第63話 バスキア宣言⑤(提案するバスキア領主 後編)
王権神授説、という考え方がある。
これは、古代帝国の時代からあった古い考え方であり、今も脈々と受け継がれている。
曰く、支配者は神によって選ばれて、その恩寵を受ける存在であると。
神より認められた代行者として、この地を支配しているのだと。
王権は神から付与されたものであり、神に認められた諸王は民を導く権力を持つ。これが王権神授説のあらましである。
古代帝国が属州ごとに分かれて、それぞれの属州が独立して国となったとき、まずそれぞれの領邦の支配者は教会に権威を頼った。
皇帝の時代は終わった。この者こそ、この地の統治のために神から認められた王である、と保証してもらったのである。
己の領地を支配するには権威が必要。そして神託の代行者である教会は、権威を授けるのにこの上なく適している。
もちろん王だけではなく、教会に十分な寄進をできる有力な諸侯もまた、教会に権威を保証してもらっていた。古代帝国の分裂後の時代は、とにかく後追いでやたらと聖人が生み出された時代でもあった。
それをきっかけに教会はかなりの権力を持つことになるのだが、民を納得させるためにはやむを得ないことであった。
(でも、何代も先祖を遡っていけば、自分の血は神から認められた王の一族につながるだとか、神から称えられる聖人の一人につながるだとか、俺にとっては"それが何?"って話だと思うけどな)
今までの大陸史を紐解いて、読み解くことができる歴史的事実。
俺が気に食わないのは、この王権神授説である。
(早い話が、教会の機嫌を損ねてしまったら、"やっぱりお前の先祖は聖人じゃなかったよ"なんて言われて、自分の血を高貴なものではなくさせられてしまう。結果、教会にある程度忖度したような政治になってしまうわけだ。これが今の王国の課題だ)
教会からの影響力を排除するには、"脆い王国"から"強い王国"になる必要がある。
国がしっかり堅牢に機能していて、国として貴族の地位を保証できていれば、当事者ではない教会からどうこう言われようと大した影響はない。
それゆえ、一国として統一された力を行使できるよう、内乱の可能性を減らし、後顧の憂いを断つ必要があるのだ。
かつて古代帝国が、それぞれの属州ごとに独立して以来、"力がある諸侯は独立してもいい"という風潮が根強く残っている。
それこそが中央官僚と諸侯の対立の原因なのであれば。
「――バスキア貴族契約を結んだ貴族同士、お互いに契約を守ることを署名します。基本契約書はこちらが作っておきます。基本契約の内容は、互いの領地に攻め入らない、互いの領地の利益に反することはしない、等の単純なものです」
淡々と説明を続ける。
俺の解説に、目を丸くしている貴族がちらほらいた。今まで王家に反目するようなことを堂々と口にして、やれ貴族をやめるだとか領地経営をやめるだとか言ってたのに、一転して訳の分からない話をしているのだから、ついてこれなくても無理もない。話題の転換が早すぎただろうか、と逡巡したが、えいままよと説明を押し通す。
「この保険契約は相互扶助の考えで成り立ちます。すなわち、裏切ればひどく重い罰金を請求します。しかし領地が他国に侵略されたり、災害などで領地経営が苦しいという時は、貴族同士で助け合います。問題は"これをどうやって実現するか"です」
「……待て、バスキア子爵。あ、いや、アシュレイ卿。それは理想論にもほどがあるのでは?」
若く実直そうな貴族が、わざわざ呼称を言い直して口をはさんだ。だが、ごもっともな懸念である。
これを実現するための方法が、非常に難しいのだ。裏切りには罰金、だが貴族の危機には互いに助け合う。そんなことが簡単に出来るなら、誰も苦労はしないのだ。
「はっきり申し上げると、このご時世、古代帝国時代から続く由緒正しい家柄であったり、より純粋な魔力を宿す血を求めて、国際結婚をすることも珍しくはありません。貿易のために、国を超えた領主間で、婚姻が結ばれることも多々あります。
そのような時代ですから、領地を持つ諸侯らは、少しでも油断すれば国を変えて寝返ったりするでしょう。この王国がそれでも、強壮たる国であり続けてきたのは、結束の強力な官僚機構が中央で執政を図ってきたからこそで……」
「何をぬかすか! 魔物の大群や他国の進行、それらの脅威を、地方に封じられた我らが身を盾にして退けてきたからこそ、王国の今があるのだ! 何も苦労を知らぬだけでなく、居丈高にあれやこれやと課税したり内政干渉を図ろうとするなど言語道断! 中央の猿どもは、信賞必罰の精神をお忘れか!」
中央官僚の一人の言葉に、諸侯の一人が噛みついた。
早速議論が飛び火してしまったが、どうでもいい内容だったのでさっさと話を進めることにした。
「なるほど、これが"青き血の結束"のようで。一体感があっていいですね」
「! な、アシュレイ卿!」
「話を戻します。今回の提案では、貴族の両者を、お互い明確な価値で縛ります。すなわち資金。金の力で相互扶助をさせるのです」
保険契約の大枠はさほど難しいものではない。
先ほど説明した通り、裏切ればひどく重い罰金を請求する。しかし領地が他国に侵略されたり、災害などで領地経営が苦しいという時は、貴族同士で助け合う。基本設計はそれだけなのだ。
後は、それを金銭的にどのように実現するかという仕組みの話である。
説明を簡略化すると、下記のようになる。
まず、お互いに借金をして、お互いの領地(もしくは一族の家系)と友好関係が存続しているときのみ使用できる疑似通貨・小切手を発行する。
この発行が認められるのは各領地の領主のみ。バスキア領にて残高管理をし、領主直筆の発行要請があったときのみそれを発行して渡す。
次にそれを互いに交換する。
ここでは、金貨二万枚分の小切手を交換すると仮定する。
この状態で相手の領地が消えたとする。
すると自分が今持っている、金貨二万枚の小切手には何の価値もなくなってしまう。"お互いの領地と友好関係が存続しているときのみ"効力を発揮するという制約のためだ。
結果、自分にはただ、金貨二万枚分の借金が残ることになる。
これを回避するために、貴族は互いの領地が消えてしまわないよう、互いを支援し助け合う――というのが相互扶助の理屈である。
相手の領地が消えてしまったら、自分の持っている小切手が無価値になってしまう。ただ借金だけが残るのは避けたい。だから相手の領地が経営難に陥らないように、互いに協力しあう、という設計思想である。
逆に、もしこの状態で相手が裏切ったとする。
その時は、相手の持っている小切手が効力を失うこととする。相手には金貨二万枚の借金と、紙屑同然の小切手のみが残る。
まとめるとこうなる。
・金貨二万枚分ずつ借金をして、小切手をお互いに交換する。
・相手の領地(もしくは一族の家系)が消えたとき、小切手の価値がなくなる。
・相手が契約を裏切った時、相手が持っている小切手の価値がなくなる。
「この交換を、一対一ではなく多対多で行うことで、複数の貴族間で契約を成立させることができます。たとえ仲の悪い貴族同士であっても、大局を鑑みて協力せねばならないときは、この契約を相互に結ぶことで互いの安全を保証することができます」
「……アシュレイ卿。話が難解だが、つまり、裏切れば金貨二万枚の借金しか残らない、そして相手の領地が消えてしまっても金貨二万枚分の借金しか残らない、ということかね?」
「そうです。血縁関係に訴えかけるより、もっと確実です。損をするから裏切らない。ただそれだけです。今まで信用を置くことができなかった貴族間の関係を変えます。非常に明確です。友好関係を守ることで利益が出る形にするのです」
そう、実現したいことは明確なのだ。
王党側としては、この署名で各諸侯の離反や反乱を抑止することが可能となる。
逆に諸侯側も、中央官僚から叛意ありと疑われることを防ぐことができる。
今までであれば婚姻関係を広く結んで、血縁関係を頼みに結束していたが、子供はそう何人も生まれるわけではないし、関係を結ぶ数にも限りがある。子供を人質に送ることを喜ぶような親もいない。
子供を信用できない相手に預ける代わりに、この契約を互いに結ぶことでも、同盟はきちんと担保できる、というわけだ。
「……だが、旨味が少ない。これを導入して何がよいのだ。互いに同盟を破棄しないことを誓うのであれば、今までの公文章と何が違う」
「小切手をお持ちの人には、バスキア領から利子を渡します」
「――――――」
沈黙。
あまりにも突飛すぎる話で、全員が固まっていた。
それは、あまりにもバスキア領にとって損失の大きい話ではないのか、と全員が言葉を失った。
しかし俺にとっては、実はさほどではない。バスキア領にとってはかなりいいバランスで成り立っている。
「金貨二万枚の借金、とお伝えしたのが混乱を招いたかもしれません。実際には、金貨二万枚分のお金を使って、小切手を購入してもらいます」
「! つまり、お前は……」
「はい。バスキア領は、貴族契約を結んでいただいた皆様から金貨二万枚を貰います。その代わり、その利子として、小切手をお持ちの皆様にお金をお支払いします。バスキア領で算定した標準金利に加えて、バスキア貿易港の利益を一部上乗せで還元します」
利息つきの貸借は、原則としては白の教団の教義に反するが、それは問題ない。あのクソ大司教に交渉すればよいだけの話である。
それに、すでにバスキア領では金融業が発足しているので、実質的には黙認されるだろう。
驚きに目を丸くする貴族たちだったが、ざわめきは不思議と小さい。しかしひそひそと囁き声が盛んにかわされている様子であった。
――これはもしかすると、非常に良い話なのではないか。
――バスキア子爵の言う通り、信頼関係を結ぶにしても、婚姻や血縁関係だけでは限度がある。だが契約書ならば……。
――貴族間でお互いに裏切らないという保証を作ることができて、なおかつ利子まで発生するとは。
――しかし、果たしてすぐに金貨二万枚を用意できるだろうか。
利益が出る話ともなると、途端に誰もが目の色を変える。
事実、この提案で損をする貴族はほとんどいないように思われた。
誰もが誰も、突然の話に動揺を隠せない中、俺はチマブーエ辺境伯と目が合った。
彼女は、貴族たちが狼狽している様子が面白いのか、くつくつと笑っていた。彼女はすでに知っている。バスキア領がさほど損をしないことを。
何故ならば、貴族の一門は常に残り続けるわけではない。
お家取り潰しとなる貴族が出たとき、借金の抵当権を主張して、その貴族の家財を押収することができる。貿易ルートに事欠かないバスキア領であれば、上手くやれば美術品や金品も極めて高価に売り捌くことも可能であろう。
「そ、その、アシュレイ殿。金貨二万枚を用意できない場合でも、その契約に入る事は可能だろうか……?」
「ええ、可能です。金貨二万枚を融資します。その代わり、うちが金貨二万枚貸し出す利子と、この保険契約の小切手の利子で相殺されて、あなたの手元には利子は入りません。バスキア貴族契約を結ぶことで、お互いに裏切らないという牽制と相互扶助だけ得られるでしょう」
「待たれよ、確かに魅力的な話ではあるが、金貨二万枚をそちらにお渡ししたとて、急に資金が必要になった時はどうすればよいのだ?」
「この小切手を転売することができます。突然の解約なので、額面から少し割り引いての換金になりますがバスキア領で払い戻しが可能です。もしくは商人たちに転売してもいいですよ」
「アシュレイ殿、それは金貨二万枚までしか加入できないのか? 一口金貨二万枚であれば、複数加入することは可能か?」
「複数加入も可能です。各領地の資産をバスキア銀行が責任をもって査定します。その査定額に応じた額だけ加入できます。わかりやすく言い換えると、"あなたの領地の金目の物を全部売り払えば回収できる金額まで"なら、加入可能ですよ」
問いかけが集中する。俺を非難するような声はめっきり少なくなっていた。
非常にわかりやすい展開である。儲け話になった途端、金に目が眩んだのだ。これは中央官僚だけではない、諸侯たちもである。
しかし当然、金に目が眩まない貴族もいる。
彼らはなかなか鋭い質問を投げかけてきた。
「契約内容を追加で盛り込むことは可能か? 例えば、関税を向こう十年はお互いに撤廃する、という契約をお互いに結んだとして、それを破ったら金貨二十万枚分の小切手の失効、というように使いたいのだが」
「なるほど? 通商条約の保証代わりに使いたいのですね? 可能ですよ。その例の場合だったら、バスキア貴族契約に十口加入してください。通商条約を破ったことが王国裁判所で明らかになったとき、小切手は失効となります」
――条約代わりに使える。
これが非常に貴族たちに衝撃を与えた。
さすがにこの頃には、ざわめきが大きくなっていた。
あまりにも新しすぎる話で、誰もがついていけていないのだ。
甲高い木槌の音が鳴ったのは、まさにそのさなかであった。
ようやく話を飲み込みかけていた貴族たちが、喧々諤々と議論を交わしているところに割り込むかのように。
他ならない、国王ギュスターヴ本人が、沈黙を破って重い口を開いた。
「……考えたな、アシュレイ卿。バスキア領は利子を支払い続けるが、その期間、バスキア領に攻め込もうとする貴族はいなくなるだろう。お前は金で、安全を買ったのだ」
「はい。バスキア領で皆様の契約書控えを預かります。皆さんから金貨も預かります。この状況でバスキア領に攻め入ろうものならば、その人のもつ小切手はすべて反故とさせていただき、バスキア領にある金貨は差し押さえさせていただきます」
「バスキア領には大掛かりな領主軍がいなかったな。その分、憲兵たちに支払う費用が浮く。この保険契約でバスキア領の安全が買えるならば安いものだな。何となれば、周囲の貴族たちもバスキア領を守ってくれるであろう」
バスキア領に皆の支払った金貨と契約書控えが集まるのだから、バスキア領を守るのは当然である。
何故ならば、皆は契約を守りたい。契約を守り続けることで利子が手に入る。
バスキア領に経済的な攻撃をするものもいなくなる。もし仮にバスキア領が破産したとすれば、誰も利子を払ってくれなくなるからである。元手を回収しきる前に、バスキア領が経済破綻してしまっては、損をするのだ。
この、経済的な攻撃をするものを防げるというのが、実は非常に大きい。
今回のような物価の操作による経済混乱をたくらむものを、事前に牽制できるのだから。
利子による出費が発生しようが、バスキア領にはさして痛くない。本当に防ぐべきは、バスキア領への経済的な攻撃なのだ。それさえ取り除けば、バスキアの発展が躓くことはない。
国王は、この構造に気が付いたらしい。
さすがに国を治めるだけあって、頭の回転は早いようであった。
「……大儀である。貴族と貴族が手を取り合い、信頼関係を構築するのは、簡単なようで難しいことである。そして余もその問題に頭を悩ませてきた。それをアシュレイ卿は、誰もほぼ損をせぬ形で解決できると宣った。褒めて遣わそう」
「え、えっと、はい」
「もう言葉を飾らぬ。王門に下らぬか。バスキア領にはこれから大いなる混迷があるだろう。だが王家直轄地になれば、余の威光をかざして細かい問題をすべて払うことができよう。領地経営の足を引っ張る連中を薙ぎ払うこともできる。そなたには然るべく褒章を授けようではないか」
「残念ですが――」
思ったより素直に褒めてくれるので、俺はちょっとだけ戸惑った。
最後の機会だとわかっているのだろう。王は言葉を飾らなくなっていた。
もはや空気は一変してしまっている。先ほどまでは、もう王領直轄地にする他なくなっていたというのに、いつの間にか話が変わって、それを強要することが無理そうな空気になっていた。
ここで多少強引にでも、王家直轄地になるという合意を取れなければ、バスキア領を王家直轄地にすることは到底かなわない――と国王も理解してしまったのだろう。
だが、俺の答えは変わらない。
「バスキア領は、あくまで独立した領地でありたいと考えます」
「何故だ?」
「冒険者は自由を愛しているからです。それに、僻地に追放された連中だけで成り上がってみるのも面白いじゃないですか」
そう。
バスキア領には、中央の政治的事情で見捨てられてきた、さまざまな人たちがいる。
当時の王家から追放されたケルシュ、アルト、スタウト、並びにさまざまな少数民族たちがいる。
大陸からはみ出しものと扱われた、ヴァイツェン、メルツェンの海賊たちがいる。
教会政治から追い出されてしまったクソみたいな司教がいる。
ドワーフやエルフ、ゴブリンにコボルトたちがいる。
流れ者や、凶状持ちの厄介な連中が、たくさんこの地に集まっている。
だがそれでも、バスキア領はその名を世界に轟かせている。
現に今、王国の歴史を変えようとしているのだ。
――バスキア宣言。
史上初めての規模の、大規模な保険契約。王国の貴族たちの政治を一変させてしまった、重要な事件。
バスキア領があわや取り潰しになるかどうかという騒動は、空前絶後の大掛かりな契約の提案をもって、今、ここに幕を閉じようとしていた。
「では、せっかくのことですから、選王侯だけでも残って、契約の話を進めましょう。国王陛下も、それぞれの選王侯閣下のみなさまも、親睦を深めながら、今後のことをお話しましょう。バスキア城伯、よろしいですね?」
そんな中、ゆるりと立ち上がったのは、とても嬉しそうな顔をしたチマブーエ辺境伯であった。
そろそろ喉が渇いてお茶が欲しかったところなの、なんて茶目っ気のある口ぶり。どうやらここから先は、彼女の出番らしかった。