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第34話 スライムの変化・辺境伯と司教の密談

 2692日目。

 スライムが表情のようなものを覚えた。微笑みの表情が俺に喜ばれると学習したのか、俺と目が合うと毎回、口元を釣り上げて微笑みを浮かべてくれるようになった。正直かわいい。

 あとは角質や垢を食べるのが好きなようで、俺の手の指とか、足の指とか、踵とかをかじったり、首筋を舐めたりしてくるようになった。

 もちろん、そもそもマッサージを行うついでにお客さまの角質やらを食べているじゃないか、という話ではあるのだが、どうにも彼女はまた学習をしたのか、俺にだけはわざわざ人型の姿で、そしてわざわざ口でそれを食べようとする。完全に俺の好みだった。完璧に学んでいるようだった。


(……そうか、心がつながっているから、俺の願望がそっくりそのまま伝わってしまうのか)


 迂闊だった、と俺は苦笑いした。そもそも俺は、彼女と意思疎通がある程度できているではないか。

 そう考えると、彼女をいつまでもスライム扱いしているのは良くないかもしれない。

 これからはきちんとˈʌndiːnと名前を呼ぶほうがいいのだろうか。


 しかし、失われた言語のひとつ、古リンガラティナ語を迂闊に口にしてしまうと、魂魄を損耗してしまう恐れがある。憚りながらも白銀級指定の魔術師である俺の直感では、あのˈʌndiːnの呪術的意味は恐らく"根源"に近い。果たして、正しくない発音で口にしてよい言葉だろうか。

 俺の指を咥える彼女を見ながら、俺はしばらくぼんやりと答えのないことを考えていた。――彼女の名前をきちんと呼ぶのはいつになるのだろう。

 スライムと目が合う。彼女は顔を上げて、もう一度微笑みを浮かべてくれた。




 2693日目~2719日目

 チマブーエ辺境伯から呼びだされて、司教と一緒に辺境伯領にまで向かうことになった。

 なんということだ、手土産を用意せねばならないぞ、と司教は浮ついていたが、俺はすでに用意してある(・・・・・・)ので気楽なものである。


 道中、司教とはあまり面白くもない会話に興じるしかなかった。

 彼は立場上、俺の施策に苦言を呈することしかしなかったし、俺は八方美人というべきか、どうとでも取れるような玉虫色の回答でその場を濁すだけ。寄進が少ないだの、信仰を広める協力をして欲しいだの、欲の皮が張った提案はたくさん出てきたが、それらはなあなあに返しておく。


 逆に俺としては、どんどん増えるバスキア領地のもめごとを、教会の裁量でも一部裁けるようにしてあげるように一部権限の委譲を認めてあげた。

 ただし方向性は"罰する"方向ではなく、"彼は救われるべきだ、罪状酌量の余地がある"として領主代行に抗弁できる権利、としてだ。非常に申し訳ないが、教会に俺の領民を好き勝手に罰する権利は与えられない。神の御心をもってして、俺の領民を救う方向性のみを認めるのだ。

 そのために必要な悔い改めも、教会が自由に定めて良いようにした。要するに、「賄賂を教会に送ったら罪を軽くする」という裏口を認めるようなものだ。

 かなり危うい取引ではあったが、俺はこれぐらい問題ないと睨んでいる。


 引き換えに、教会の抗弁が正当かどうかを審査する第三者機関を置くことが条件になっている。

 その第三者機関に置く人間こそが、チマブーエ辺境伯の息のかかったものになる。


(司教は、何とかして答申に法的拘束力がない諮問機関に落とそうとしている。俺は、参与機関として一定の拘束力を持たせようとしている。教会に首輪をつけられるかどうか、ここが正念場だ)


 裁判の権利は、王国法でも極めて重要な領主権限として定められているものだ。

 それに教会が影響をきたすなど、本来認めてはならないこと。だが、一部条件付きで俺はそれを教会に認めようとしている。これが認められたら、この司教の功績は非常に大きなものになるだろう。

 しかもこのバスキアは、今や成長著しい領地だ。この地で教会の影響力拡大を図ることができたのであれば、この生臭欲張り司教は大司教に任ぜられること間違いなしだ。


 一方で、このまま教会を放置していては、遅かれ早かれ行政の一部に干渉してくるのは予想できること。

 早めに干渉できる範囲を決めておいて、それ以上干渉できないように先に首輪を嵌める必要があった。監査する仕組みがあれば、一定の首輪になるはずだ。それにセント・モルト白教会に先に監査機関を置くことができれば、他の教会が同様にうちの領地に入ってきたとしても、同様の監査をかけることができるだろう。先例に倣わせることができるはずだ。


 ――そう思っていたのだが。


「なかなか面白い話をしてますね、キルシュガイスト司教、バスキア城伯。ですがちょっとお土産が足りないようですね?」


 俺の予想の斜め上の答えを、平然と彼女は口にしていた。

 お土産が足りない。つまり、これ以上寄越せと言っているのだ。


 これで足りないなんて予想外にもほどがある。

 何せ、チマブーエ辺境伯がセント・モルト白教会を監査する立場になれば、このクソ司教は必ず、チマブーエ辺境伯に賄賂をしこたま送るはずなのだ。賄賂を送るから、監査を緩くしてくれ、と。

 俺からすればそれでいい。教会が強大になりすぎなければいいのだ。元から強すぎるチマブーエ辺境伯が、ちょっとお金儲けできたところで、俺にとって困ることはない。

 勝手にチマブーエ辺境伯が、このクソ司教から金を搾り取ってくれるはず。

 そう思っていたのだが。


「先に言っておきますが、キルシュガイスト司教。大司教になったあと、枢機卿選挙に出るまでの野望をお持ちなら、白の教団本部の幹部たちへの根回しが必要ではなくて? そこのバスキア城伯の特別な計らい(・・・・・・)のおかげでお金は唸るほどあるでしょうが、バスキアなんて西の外れにいながら中央の政治も上手にこなしているようには到底見えませんね」


「……むう、なるほど、チマブーエ辺境伯を前にしてはあまり格好はつけられませんな。ええ、確かに中央への根回しはやや疎かかもしれませんが……」


「強引に司教まで上り詰めたものの、賄賂の黒いうわさが絶えない生臭僧侶だなんて言われているから、こんな辺境に左遷に近い形で追いやられたのです。それが、バスキア領の予想外の経済発展で、出世の可能性がわずかに降って湧いてきた。あなたはそこに縋ろうとしているのでしょう?」


「っ、御冗談を! 私はただ、もっと神の御心を世に広めたい一心です!」


 チマブーエ辺境伯は、こういうところがある。あまりにもずけずけと、中途半端な言い訳は許さないとばかりに鋭利な言葉で話を進めるところが。

 そして彼女は耳が広い。だから、欲に塗れた人間だったら心を読まれてしまうぐらいに鋭い洞察を見せる。


「バスキアはいい場所ですよ? 風光明媚、文化も経済も発展の兆しが見えます。だから、あなたを馬鹿にして左遷に追いやった連中が、中央で出世していく様をそのまま指を咥えて眺めていても、まあ、そんなに悪い人生ではないでしょう」


「お、おお、なんと手厳しい、なんと、いやはや、御冗談が過ぎますな……」


「見返したいなら出世なさいな。バスキア城伯から何とか搾り取って手土産を作ろう、なんて安直に考えないこと。あなた、中央に貢いでいるだけなのよ。政治力が貧弱なのに、お金だけ貢いでくれる都合のいい貯金箱、としか思われていませんよ」


「!」


「のし上がるなら、怖くなくてはいけません。あなたを裏切ったら、こんな怖い目に遭うぞ、という影響力が必要なのです。それがない状態で、いろんな貢物だけ周囲に送ったところで、お金配りをしてくれる親切なおじさんにしかならないのですよ?」


「は、はは、なんとまあ、そんな間抜けな男がいるのですな……いやはや」


 利用なさい、とチマブーエ辺境伯は茶器を置いて、緩やかに諭した。

 それは俺に対して時折みせる、人生の先達としての表情に近かった。


「ご存じのとおり、私は選王侯の一人です。国王さえ選ぶ力を持つ貴族。あなたの足りない政治力を、私が少しばかり手助けしてあげましょう。つまり、教団の中の政治(・・・・・・・)にも一枚噛ませていただきます。上手に私を利用なさい」


「! い、いや、お待ちを! 教皇宣言をお忘れなく! 元来、貴族が教会から干渉を受けてはならないのと同じように、教会も貴族から干渉を受けてはならんのですよ! 原則、原則は、そんなに露骨なつながりを持ってはいけないことに……!」


「貢ぐ相手を間違えてはいけませんよ? 貴方を貯金箱としか思っていない人に貢ぐのか、あなたをうまく出世させたら一緒に恩恵を受けられる共犯者に貢ぐのか」


 それは、非常に過激な話だった。

 俺の予想よりも大きな話が、彼女の口から語られた。


 俺はあくまで、この金満クソ司教から好きに絞ってくれ、代わりに首輪代わりになってくれ、という程度の提案だったのだが。

 なんとチマブーエ辺境伯は、もっと肥え太らせる代わりにもっと根っこを狙おうとしているのだ。


「ちょうどいいところです。この前懇意だった枢機卿の一人が隠居なさったところで、枢機卿への渡りがもっと欲しいと思っていたところです」


「は、はは、ご婦人、今の枢機卿らへの叛意と取られかねない言葉ですな、いやあ、私に言質を取られるなんて、迂闊な、ええ、迂闊な……」


「政治は簡単です。あなたの欲しい席がある。その席を空席にしてあげたら都合のよくなる人がいる。そこ(・・)に手を結ぶ余地があるのです。利権を分け与えるから強引にその席に捻じ込んでくれ、では、限界があるのですよ」


 ぎらぎらしている人は嫌いじゃありませんよ、といかにも上品な微笑みで、チマブーエ辺境伯は言葉をつづけた。

 その代わり、覚悟なさい――と冗談でもいうような口ぶり。


「叙勲されて、王国の歴史にずっと名を遺せるような栄誉を得るには、いろいろと努力が必要ですよ、キルシュガイスト司教? でも、あなたを馬鹿にした連中を抜き去っててっぺんに立つのはさぞ気持ちいいでしょうね」


 茶菓子が欲しいわ、とチマブーエ辺境伯は俺の方へと話の水を向けた。俺はバスキアの焼き菓子を無言で差し出した。


 俺が逆立ちしても勝てないような化け物がいる。俺が天狗にならない理由は、それがすべてだ。




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