第29話 植林の開始・ガラス工房の新設・レンズ作りの発足
2417日目~2451日目。
普人族には珍しいがエルフにはある概念として、「植林」という営みがある。
考えはいたって単純で、木材を使った分だけ木々を植えるというもの。効果が出るまでに何十年もかかるため、自分の世代では効果が殆ど望めず、さらにはやたらと費用もかかる。軍の増強や貧民への救済施策、鉄器増産や建築資材確保を優先して、植林がなおざりになるのも仕方がないといえる。
ましてや、魔物の住処にもなってしまう森は、いたずらに増やすと管理が難しくなるというもの。一般人は貴族の許可なしには植林できないように王国法で規制されている。以上が、王国で植林が珍しい理由だ。
だが、悠久の時を生きるエルフにとっては事情が異なる。何十年という時の長さは、千年を生きる彼らにとっては十分待てる時間。それにエルフは木々の呼吸で吐き出されるマナを活用して生きている種族でもあるので、木への信仰は深い。
「うちの領地は、エルフへの友好のアピールとして植林を積極的に行おうと思う。スライムにやってもらったら負担もかからないしな」
温帯湿潤な気候であれば放っておいても木々が育ってくれやすいのだが、このバスキアはやや潮風が強く、ちょっと不安である。自然の復元力に任せるのは少々心もとない。
洪水対策にもなる、と耳にしたことがあるので、その意味でも一考の余地はあるだろう。
(せめて十年ぐらいで伐採できるような成長の早い木がないか探してみるかな)
どうせ植林を行うのなら、うちの資源に有効活用しやすい木材がよい。薪材にしたり船の建築資材にしたりと、木材は何かと入用である。領地経営に余裕ができつつある今、植林は未来への投資、と考えればそこまで抵抗はなかった。
2452日目~2477日目。
我がバスキア領でもガラス作りを発足させる。全くの知識ゼロからのガラス工房の設立である。
なので最初はそこまで高度なものを求めないつもりである。高度な工芸品を作るには、まだ道のりは遠い。
今作るのは、もっと単純なものだ。
(地面に穴をほって鋳型を作り、そこに溶融ガラスを流し込む板ガラス生産。これは鋳型を砂で作るから、砂が混入して透明度がぐっと減るという欠点がある。だが、うちの領地に限って言えば気にしなくていい)
鋳型の表面をなぞるように溶融ガラスを薄く流し込むと、砂の混入した薄いガラスができる。その上からもう一度溶融ガラスを流し込むと、砂はほとんど混入されない。
後は、冷やしてから、スライムに最初に作った部分を食べてもらえば完璧である。
(理想を言えば、銅の鋳型を使ってガラス作りをしたいんだけどな)
裕福な領地は、銅の鋳型を使って、砂の混入しない純度の高いガラスを作っている。だが我がバスキア領では、いったん保留している。
今わざわざそこまで設備投資をしていないのは、純度の高い板ガラスにどこまで需要があるかが不明瞭であることが理由の一つである。バスキア工房のブランド名はそこそこ有名になっているが、果たしてガラス産業に新規参入しても有効かは分からない。バスキア工房といえば、未だに石造りの調度品が代名詞である。無理矢理セント・モルト白教会にステンドグラスを買わせるという手はあるが、それ以上続かない。
よって増産体制に入るかどうかは慎重に検討したい。
もう一つの理由は、レンズ作りの自由度のため。
銅の鋳型を作ると、厚みや大きさ、焦点距離をカスタマイズすることが難しくなってしまう。同じ規格のレンズを大量に作るならともかく、今は受注生産でも十分。地面の掘り方を変えて、好きな鋳型にできる今の手法の方が、より自由にいろんなレンズを拵えることができる。
(レンズなんて使い道が分からない、というやつもいるが、これが結構ねらい目だと思うんだよな)
レンズには夢がある。
星を見る望遠鏡を作って、星図の作成や天測器の作成を盛んにして占星術の研究者を集めたり。
遠くを見る双眼鏡を作って、魔物の大群暴走をいち早く察知したり、他領地の軍の動きを偵察したり。
小さいものを拡大できるルーペや顕微鏡を作って、昆虫の卵の生態研究を進めたり、宝石の原石の傷を調べやすくしたり。
たくさん質のいい眼鏡を作って、加齢により視力が低下して文献を探したりするのが困難になった初老の魔術研究者などを招聘して、まだまだ研究できますよとうちの領地で活動してもらったり。
このように、見づらいものを見えるようにするというのは、思った以上に広く効果がある。
しかもうちの場合は、スライムのおかげで、変な歪みも研磨傷もほとんどない質のいいレンズができるので、他の領地に真似をされても差別化は容易にできる。しばらくうちの優位は崩せないだろう。
(紙づくり然り、レンズ作り然り、とにかくうちの領地は、本をたくさん作れる環境にしたいんだよな。知識の集積と学術の発展の場所になれば、今よりももっと多くのことができるはず)
知は力なり。
遠大な野望を胸に抱えつつ、俺はガラス工房に技術顧問として招聘するドワーフから、様々なことを教わるのだった。




