第1章 第3節 将人が選んだビジネス~二人の独立
光一は、「将人がいきなり、会社を辞めて独立する」というメールを見て、さすがに驚いた。
「将人さん、突然で驚きましたよ。
でも、いきなり辞表を出すなんて。本当に大丈夫なんですか。それに奥さんも説得しないとまずいんじゃ……」
「明美のことか。まあどうにか説得するから大丈夫だよ」
将人はすでに3年前に結婚している。
しかし将人は妻の明美に、将来、起業することを一言も話していなかった。
将人は、明美に起業することを話すと猛反対されるのはわかっていたから、話せなかったのだ。
もとより将人は、大学時代から将来、起業することを真剣に考えていた。
そして今、将人は、長年の念願がついに叶えられようとしている。
将人がずっと探していた「理想のメシのたね」が、ついに見つけ出せたからだ。
――そして翌日、将人は本当に会社に辞表を出した。
将人の会社では、将人を二年後、役員に昇進させる計画があったため、さすがに重役たちも驚きを隠せなかった。
そして将人の奥さんである明美も、いきなりの起業話でさすがに驚いた。
明美は安定志向が強く、当然、猛反対した。
明美は、急成長中の会社で活躍している将人となら、安泰して暮らせる。そう思って、自分から将人に強くアタックして、将人との結婚にたどり着いたという経緯があった。
そして将人も明美の熱心なアプローチに対して、結婚することを決めた。つまり、明美は将人の人生観や将来の夢を理解して、結婚したわけではなかった。
そんな明美の気持ちを知っていたため、将人は今まで起業することを明美に黙っていたのだ。
しかし、将人の決心は固かった。
明美は猛反対したが、将人は明美に相談せず、すでに会社に辞表を出していた。
どんなに反対しても後の祭りだった。将人は明美の反対を無視して、独立の準備を進めていたのだった。
――将人が会社に辞表を出して、1週間後の土曜日。
光一は、将人が始めた事業の説明会に参加した。光一は、将人がどんな仕事で独立を決めたか当然、興味があった。
そして将人は、光一と一緒に仕事ができることを強く願っていた。
事業説明会には、20名ほどの参加者がいた。
そのセミナーは新世界通信社が主催し、その会社で紹介していた商品は、最新型IPフォンであり、代理店の募集だった。
……一通り、事業説明会が終わり、将人が光一に話しかけてきた。
「光一くん、これだよ。俺がずっと探していたビジネスモデルは……」
「う~ん、どうかなあ。自分にはまだわからないなあ。だけどインターネットというものがここまで進化していたのは、びっくりしたよ。それにお客様が獲得できたら、その後も毎月、権利収入が得られるのは確かに魅力的ですね」
「そうさ、しかも新しい代理店を3つ確保できれば、支払った加盟金も元がとれてしまうしね。光一君も一緒にやらないかい?」
IPフォンの代理店となるには、加盟金として150万円ほどかかる。
けっして安い金額ではないが、まったく出せない額ではなかった。
しかし光一は今の勤め先で、定年までずっと働けるイメージは持てなかった。
そして将人と連絡を取り合い、商売についてずっと話し合っているうちに、光一もまた、起業への関心が高まっていたのも事実だった。
それと光一は思った。
(長年、経営や商売の勉強をしてきた将人さんが選んだ仕事だから、きっと成功する可能性は高いんだろうな)
光一は、新世界通信社のパンフレットをもう一度読んでみた。今から8年前に設立した新しい会社だ。しかし売上高は昨年度で150億円を超えている。そして最近では、有名スポーツ選手を使ってのテレビCMを積極的に行っていることが書かれている。確かに光一もこのテレビCMを見た覚えがかすかにあった。
ものすごい勢いで急成長している会社であることも確認できた。
光一はついに、新世界通信社の代理店に加盟することを決意したのだ。
ただ光一は、すぐに会社を辞めることまでは考えていなかった。光一は電気系統やネット機器の扱いがとても苦手で、ビデオの録画すらできなかった。
そして若い世代では珍しく、インターネットをまったく活用していなかったのだ。
光一は、IPフォンの操作や設定など、必要な知識の習得に、自分は人一倍、時間がかかると考えていた。
さらに光一は、建設分野の技術職だったので、販売の経験はまったくなかった。
しばらく今の会社で働きながら、副業のような形で始めていって、経験を積み、軌道に乗ってから独立しようと光一は考えたのだ。
(自分の独立は、インターネットについても営業についても、もっともっと勉強してからだ……)
こうして光一は、IPフォンの代理店に加盟し、週末や会社の仕事終わりに少しずつ、営業活動をしようと考えた。それと将人とは違い、光一は、代理店獲得には関心がなかった。光一は、「まずは自分で消費者に売れることを実証して、それから代理店獲得をしていこう」と考えた。
また光一には、この頃、別の夢を持ち始めていた。
(まだずいぶん先の未来だけど、いつか自分の本を書きたい……。本を書くことこそが、自分が本当にやりたかったこと。自分の本当の天職かもしれない……)
しかし今、光一が働いている会社は、現場をマネジメントする仕事が大変ハードだったため、本を書くには、まさに最悪の環境でもあった。
しかし光一は思った。
(このIPフォンの事業を時間をかけて軌道に乗せ、独立して一定のお客様が確保できれば、権利収入で生活も安定し、本を書く十分な時間がとれるようになる。そうなれば、自分の本を書ける時間を確保できるかも……)
それを思うと、光一は次第に気持ちがわくわくしてくるのだった。