自伝フルチンスキーの生きた証をここに残す
やあ! これを読んでくれてる人は恐らく99%私の事など知らないでしょう。けど、それは関係ないんで、どうか読んでくだされ。
長野県某所、東京都から親族に会いに来てた父、母、兄。そんななか台風がやってきて、それが過ぎ去り、晴れて来たのと同時にフルチンスキーは産まれた。
幼稚園の前、フルチンスキー一家が住む団地の集会所でやってる子供を預かるサービスで、私が預けられる時、私は母に捨てられると勘違いしドアにしがみついて離れなかった。
幼稚園。女の子と手をつないでいるところを母達に見つかり、冷やかされ恥ずかしくなり、それ以来女の子が苦手になる。
仲良しってわけでもないのだが、私、A君、B君の3人で幼稚園までそれぞれの母同伴で通っていて、3人で少年サッカーに入った。チーム名すら覚えてない。皆がやるからやる。つまらなかった。そんな時A君が今度は少年野球に入る。私も釣られて入る。
この幼稚園の2つの出来事は人生に大きな影響を与えるので、これを読むつもりなら、この2つは覚えて読んで欲しい。
小学生。2年になり、ふとしたきっかけで親友【うっちゃん】と【かっちゃん】と仲良くなった。好きな女の子もいた【えりか】ちゃん。どう話し掛けていいかわからずセクハラしまくり、泣かせてしまっていた。社会人だったら間違いなく捕まっていた。3年。そのえりかちゃんが転校してしまう。皆で寄せ書き書くのだが。皆が見てる手前、「好き」とは書けなく、初恋は終わる。
初恋は間違いなくえりかちゃんだが、幼稚園の時先生にも恋した。しかし、それはただの幻想。本当に好きになったのはえりかちゃん。
忘れてた。少年野球で快挙。少年野球って1チーム学年別に「シニア」「ジュニア」「リトル」など別れていて、扱う球の大きさが違う。そして、そのチーム初となる3年以下のDチームができて、私はピッチャー。Dチームは扱う球がオレンジ色である。
それからは小学生卒業まで平和に楽しく遊び過ごす。読んで欲しいのはこの後【思春期編】、これは私が唯一世界中の子供たちの為に残せる結構価値のある話である。
中学生。女の子が苦手なまま、女の子はブレザーで大人っぽく見えた。私はなぜかモテた。自分で言うのもなんだが。「○○(女の子の名前)がフルチンスキーとプリクラ撮りたいって」って男の子友達伝えで聞いたり、例を挙げたらキリがない程モテた。そして、注目されているという一種の【自意識過剰の暗示】にかかり、息ができなくなった。正確にはできるのだが、水中と同じで、吸う吐くを自立神経ではなく自意識下で行わないといけなくなったのだ。
それからと言うもの、体力の低下、集中力の散漫、被害妄想、などなど、酷かった。20歳くらいか。精神科に行き、【精神障害者】になったのであった。
そう私、フルチンスキーは精神障害者。病名は双極性障害。だが、その事はひとまずおいて、なぜ、そうなったか、もっと詳しく、深く記す。
小学生卒業時、実は好きな女の子が新たに出来ていた。【かよこ】ちゃんだ。友達に相談したらからかわれ、告白せず、中学はかよこちゃんは私立へ、私は公立へ、離れ離れになった。結局、その恋も成就しないわけだが、小学生の時からかったやつが、しつこく【○○(かよこちゃん)は?】と言って来た。それで変に意識する【癖】がつく。
中学初め、隣の子が弁当箱のおかずのふたを開け、「うわっ」と言って閉じて、私も真似をした。それ以来弁当のおかずのふたを開ける事ができなくなった。
これも中学初め、私はある女の子に話し掛けられ、無視した。緊張して話せなかっただけなのだが、それでフルチンスキーはクールでカッコいいという、変なイメージが1人歩きし、なまじ私は顔が少しいいのでモテた。モテまくった。だから、下手に女子と話せなかった。理由は1、その子が好きだと勘違いされやすい風潮になっていた。2、本当に緊張してる。どんなにブスでも、ブレザーでスカートを着た女子は変な色気があった。
そんなこんなでとりあえず中2の2学期まではなんとかなった。地獄はこれからだった。
3学期初め、席替えで回りがあまり話した事ないやつらだったので寝た。ふりをした。そしたら隣の女子がこそこそなんか話し合っている。暇なので聞き耳たてる。「フルチンスキーってかわいいよね」「女の子みたい」この一言で【自意識過剰は極まった】。やっぱり常に皆(女子)は私を見ている!と錯覚。息ができなくなった。過呼吸ではない。私は皆が私の息を吸う音も聞いていると錯覚。すると無意識下では行えなくなった。吐くのも。
長文失礼しました。とりあえずこれは読んでおいて損はないかと思われる部分をブラッシングしてみたつもりです。まだまだ、削れる箇所もあるかも知れませんが、一応自伝なので自由に書きました。因みに波乱万丈なのはこのあとなのですが、興味ある人でもつまらない内容の人生なので省きます。
終わります。