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ぶちり、と不穏な音が耳に届く。
マシェリもクロエも、思わず顔をしかめた。しかし当の本人は涼しい顔で、マシェリの前に握り拳を差し出してくる。
「これは光の魔石よ。妖精の粉を魔術師が集めて精製したものなの」
ゆっくりと開かれたメイサの手のひらには、涙型をした小さな宝石がのっていた。内側からきらきらと黄色の光が輝いている。
(魔術師。……そうか。彼女はルシンキの公女だものね)
マシェリたちが住むこの大陸には、フランジア帝国をぐるりと囲むように五つの公国が存在しており、そのうちのひとつーールシンキ公国は魔界と隣合わせだ。
太古に魔王と人界の長の間で結ばれた『平和条約』により、お互い許可なく行き来は出来ないものの、国境である標高の高い山脈には魔界と繋がる洞窟がいくつか存在しており、魔物の化石が魔石化したものが数多く掘されていた。
その魔石の影響か、山脈の近隣にあるルシンキ公国の村や町の住人は、大なり小なり魔力を持って生まれてくる。彼らは魔石をもって魔力を増幅させることで、自らを魔術師にいたらしめた。
ーーその始祖が、ルシンキ公国の初代大公だと言われている。
(人間にしては大き過ぎる魔力を持っていたと本で読んだ事があるわ。もし、グレンと同じように半分魔物の血を受け継いでいたとしたら……)
あくまでも可能性だ。テラナ公国で読んだ本にはそんな記述全くなかった。しかしフランジア帝国の本の内容が公国のものと違っていた事を考えると、その推測はあながち間違いではないのかもしれない。ーーだとすれば。
今目の前にいる愛らしいお姫様は、おそらくただの人間ではない。
「ーー私を、どうか信じて」
メイサの菫色の瞳がほのかに光る。宝石が手のひらの上でくるくると踊るように回転し、ぐにゃりと丸に形を変えた。
「指輪⁉︎」
「これは『鍵』よ、マシェリ様。魔力を門前払いにするための」
光の粒を纏った金の指輪。差し出そうとしたメイサの手首を、近衛が横から掴んで止める。
「こんな怪しげなもの……! 受け取ってはいけませんマシェリ様。危険過ぎます」
「危険なんかじゃないわ。離して! ……マシェリ様、これを左手に填めて下さい。お父様が勘付いてしまう前に。ーー早く!」
「お父様って……ルシンキ大公の事? どうして」
「お父様はマシェリ様の左手にある蒼竜石の祝福を奪うつもりなの。奪われてしまえばもう二度と元には戻せなくなるわ。だからお願い。私を信じてこの指輪を填めて!」
近衛は手を掴む力を緩めない。なのにメイサは額に脂汗を浮かべながら、それでもマシェリに精一杯手を伸ばす。
(蒼竜石の祝福を奪う……?)
そんな事が出来るのだろうか。
マシェリは何もない左手を思わずじっと見つめた。
「やめた方がいいわよマシェリ。近衛の言う通り、怪し過ぎるもの」
マシェリの肩に手を置くクロエに、顔を向けたメイサが何か言いかけた。
『ソウダ。ヤメ、タホウガイイ』
地を這うような低い声。はっとして視線を向ければ、メイサを押さえている近衛の腕が一瞬、二重に見えた。
よく鍛え抜かれた肩も、精悍な顔も。
『私、ガ、オ守リシマス、ヨ。マシェリ様』
「ーーっ。逃げて! マシェリ様‼︎」
マシェリに覆いかぶさってきた近衛を、メイサが後ろから羽交い締めにして止める。
「なっ、何よこれ⁉︎ 一体ーー」
「クロエ殿下!」
メイサを軽くいなし、掴みかかろうとした近衛の腕をアンが手刀で払う。ーーが、もう片方の手がアンの白い喉元を掴み、上に向かって締め上げ始めた。
「……! ぐっ……」
「アン!」
そのまま壁際に追い詰められ、アンの美しい顔が苦痛に歪む。それを見上げる近衛の目は赤く、ぎらぎらと獣のように輝いていた。ーーどう見ても正気ではない。
「わ、私っ。騎士を呼んで来ます!」
ベルがドアノブに取り付く。近衛の目がじろりと一瞬そちらを睨んだ。
「⁉︎ 開かないわ」
ラナと二人、固まったように動かないドアノブを力任せに回そうと足を踏ん張る。その背後に、アンを手放した近衛が迫っていた。
マシェリが咄嗟にドレッサーの椅子を掴む。
『余計ナ、事ヲ、スルナ‼︎』
「「きゃああああぁっ!」」
「伏せて! ベル、ラナ‼︎」
思い切り振りかぶった椅子を近衛の後頭部に叩きつけると、衝撃で猫脚が1本弾け飛んだ。ーーしかし、手加減してやる余裕などなかったのだから仕方がない。
頭を抱えてうずくまったベルとラナのすぐ側に、ズシンと音を立てて近衛が頭から倒れる。ひっ、と二人が飛び退いた。
(やった……? でも)
腕を組み、床に突っ伏したままの近衛を見下ろす。ーー指先がピクピクと蠢いていた。
二重に見えた姿を思い出せば寒気が這い上がってくる。あれは、何かに操られていたとしか思えない。また暴れ出さないよう、拘束しておかなければ。
香油の瓶を手に浴室からそっと顔を出したリズに、紐か縄を探すよう言いつける。
「ベル、ラナ。廊下に出て騎士を呼んで来て頂戴。フローラ様はこの事をビビアン様に知らせて来てくださいませ。……ターシャ」
「は、はい」
「医務室へ行って、医官のジムリ様を連れて来て。アンとメイサ殿下の手当てをお願いしたいの」
今度は何の抵抗もなく開いたドアからターシャ達が出て行くと、心臓が改めてどくんどくんと大きく波打ち始める。……落ち着かなければ。
リズが持ってきたバスローブ用の紐で近衛を後ろ手に縛りあげる。ホッとしたマシェリは胸に左手を宛て、ふうと息を吐き出した。
その手首を、何者かがグッと掴む。
「マシェリ様!」
メイサが叫ぶ。マシェリは目を見開き、自分の手首を掴む色も体温もない輪郭だけの大きな手を凝視した。手首から上は何も無く、手だけが宙に浮いている。
『ツカ、マエタ』
「……っ! な」
低い声が頭の中で響いた。同時にパシン、パシンとガラスが割れるような音が数回鳴り、目の前に半透明の壁が現れる。素早く視線を動かしてみれば、既に四方を囲まれていた。バン! という衝撃音とともに頭上が同じ壁で閉じられる。
ーーつまり。半透明の箱の中に閉じ込められた。
(これは……まさか、結界?)
自由な右手でマシェリが壁に触れた途端、左手をぐいと引っ張られ、そのまま床へ横倒しにされた。こめかみをしたたかに打ち、思わず顔をしかめる。
「いっ……!」
『オトナシク、シロ』
閉じかけた視界の端で、透き通った手に押さえつけられた自分の左手が見える。手のひらから浮き立つように蒼く輝き始めたのは、重なり合う槍と水竜。フランジア帝国の紋章だ。
ーーこれが蒼竜石の祝福か。『奪われたら二度と元には戻せない』メイサの言葉が脳裏をよぎる。
(冗談じゃないわ……!)
マシェリは左手にグッと力を込め、紋章を握り締めるようにして隠した。上から強く圧をかけられるも、歯をくいしばり、耐える。ーーたったひとつしかない自分の人生を、道を。他人にねじ曲げられてなるものか。
何をどう選び、どこへ向かって進むのか。決めていいのは自分たったひとりだけだ。
「婚約破棄するのはこのわたくしよ。ーーあなたじゃない!」
マシェリはドレスの裾を右手でたくし上げると、ハイヒールの硬い踵で思い切り結界の壁を蹴った。




