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 手間、と呟き一拍遅れて気付いたマシェリは、真っ赤に染まった頰を両手で覆った。


「せっかく同じ宮殿に住んでるんですもの。これを利用しない手はないわ。さっさと既成事実を作ってしまいなさい、マシェリ」


 クロエがマシェリの肩へしなだれかかり、耳元に妖しく囁く。黒を基調としたドレスに吊り目がちな瞳が相まって、さながら毒りんごをすすめる悪い魔女のようだ。およそ公女が口にする言葉とは思えない。


 マシェリははああ、と深いため息を吐いた。


「……わたくしは公女様たちと争うつもりはありません」

「っは⁉︎」


 目を剥くクロエに構わず、淡々と言葉を続ける。


「テラナ公国の水脈の開放が終わったら、皇帝陛下に婚約解消を申し出るつもりでいます。……公国の伯爵令嬢でしかないわたくしが皇太子殿下の婚約者だなんて、はじめから分不相応なお話だったんですもの」


 そうしなければ。自分が身を引かなければ。きっとあの皇子様は国益なんか無視をして、マシェリと結婚しようとするだろう。

 ーーそれがどれだけ自分を、守るべき国民を国の未来を、不幸にするかわからずに。


(大丈夫、悔いはない)


 婚約者として、グレンの隣の席に着くことができた。……それに何より。


『それでも僕は君がいい』


 ーーもう、充分過ぎるほどたくさんだ。


「マシェリ!」


 クロエがマシェリの両肩をガシッと掴んだ。マシェリの新緑色の瞳が大きく見開き、揺れる。


「貴女それ、ほんとに本気で言ってるの⁉︎」

「本気です。ーーああ。水脈の事なら、心配なさらなくてもちゃんと証明書がありますから大丈……ク、クロエ殿下。肩に親指めり込んでますっ。痛い!」

「我慢なさい!」

「そんな無茶な」

「私は目を覚まさせてあげてるのよ。マシェリ、あなた……庭師のアディルに片思いしてる時も、似たような事言ってたわよねえ? お茶会で」


 うぐっ、とマシェリが詰まる。


 クロエはマシェリの肩を掴んだまま、眉を吊り上げずいっと顔を近付けた。


「身分がどうとか、家がどうとか、妹がどうとか。どうでもいい事をぐだぐだと」

「あのでも……貴族の結婚の条件としては決してどうでも良くはない……」

「どうでも良いのよ、そんな事! 一番大切なのは、愛! 身分も家も親兄弟だって関係ないわ! 愛さえあれば水脈だって何とかなる! 性別だって超えられる‼︎」

「水脈も性別も愛ではどうにもできないでしょう! ーーもう、クロエ殿下、いい加減にっ……」

「分かりますわ」


 突然割って入った言に、はたと見れば金髪美少女の幻が立っていた。

 うんうんと繰り返し頷きながら、姿勢正しく二人の向かいの席へと座る。


「恋に国も年齢も親兄弟も関係ありませんわよね。良く分かります」


 やけにはっきりと喋る幻が、広げた扇の下で儚げにため息を吐く。固まっていたマシェリの口が辛うじてぱくぱくと動いた。


「メ、メイサ殿下……? 何でここに」

「やだ敵襲? 怖い」

「申し訳ありません」


 メイサの背後からひょこりと顔を出した護衛の近衛が、マシェリに深々と頭を下げる。

 一歩後ろにはフローラも控えていた。


「急にやって来て、どうしてもマシェリ様に会わせろと。もちろんお止めしたんですが、帯刀を自らの喉元に突き付けられて……その、会わせなければ死んでやると脅されてしまいまして」


「やぁだ。脅すだなんて人聞きが悪いわ! お願いしただけじゃないの威圧的に」


 ころころとメイサが笑う。


「威圧的って言っちゃってるけど」

「つっこむと睨まれてしまいますわよ」


 呆れ顔でメイサを眺めるクロエを小声で諫める。とはいえ、笑顔で脅しを威圧と言い換えるあたり、やはりまともな人間の態度ではない。


(一体何の目的で……いえ。そんなの決まっているわ)


 婚約者の所へ不意打ちで乗り込んできたのだ。理由などいわずもがなである。


「どうしましょう? マシェリ様がもしお嫌なら今すぐつまみ出しますが」

「いやだ扱いがまるでネ」

「失礼ですわよクロエ殿下。ーーいいわ。話を聞きましょう。フローラ様、メイサ殿下にもお茶をお願いできますか」

「かしこまりました」


 フローラが一礼して下がると、護衛の近衛はメイサの斜め後ろへ移動した。


「もう帯刀は渡したでしょ? 信用ないのね」

「念のためです」

「ーーメイサ殿下。時間がないので単刀直入にうかがいますわ。わたくしに一体何の用なんですの? わざわざ今来なくとも、もう次がメイサ殿下の番でしたのに」


 メイサがぱちんと扇を閉じると、露わになった薄桃色の唇が、ニッと弧を描く。


「それじゃ遅いもの。時間がないから結論だけ先に言うわね。私、グレン殿下の妃になるつもりないの! 他に好きな人がいるから」

「えっ?」

「でもお父様は認めてくれない。お姉様が妃候補だった頃は私の事なんか見向きもしなかったくせに……! お姉様がグレン殿下に振られた途端、私を妃候補にって画策し始めたのよ。……冗談じゃない」


 メイサが美しい薔薇色の頰を歪めて笑う。嘲るように。ーー一瞬見えたそれは確かに少女のものでなく、愛しい人との恋路を邪魔され憤る、女の顔だった。


「マシェリ様、グレン殿下の事好きなんでしょう?」


 淑女の笑みを取り戻したメイサがふふ、と上目遣いでマシェリを見る。


「そっ。……そんな事、は」

「ない、なんて言わせないわ」


 たじろぐマシェリの手を取り、小さな両手できゅっと握り締める。全てを見通すような澄んだ菫色の瞳が、マシェリの鼻先に迫った。

 近衛が、バッと身構える。


「それなら私の挑発にのるわけないもの。ーーねえ、嘘吐かないで。本当の気持ちをみせて。そうしてくれれば私は貴女を守る事ができる」

「守る?」

「そうよ。正に愛の力ってやつ」


 目を丸くしたマシェリから笑顔でぱっと手をはなし、メイサはネックレスの宝石を手に取った。


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