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「それではこれより、マシェリ嬢とクロエ殿下のお二人がお色直しへ向かいます。皆様、拍手でお見送りください」
再び手を取り合って並んだマシェリとクロエは、予想以上に盛大な拍手が湧き起こる中、今度こそ赤絨毯を歩ききり、大広間の扉を出て行った。
控え室の前には、近衛と共に初老の女性が立っていた。銀縁メガネの位置を直してこちらを見たのは、侍従長のフローラである。
「お待ちしておりましたわ。マシェリ様、クロエ殿下。準備は全て整っています。どうぞ中へ」
「ありがとう、フローラ」
一つではない感謝が込められたマシェリの礼に、フローラが柔らかい笑みで応える。ーー彼女が今夜、マシェリにとっての魔法使いだ。
「やだ、まるで自分じゃないみたい。怖い」
黒と銀の絹糸を織り込んだ、光沢のあるなめらかな布地。
クロエは全身が映る鏡の前で、マーメイドラインのドレスの裾を少しつまんで持ち上げた。薄茶色の髪は侍女のアンの手によってふんわりと結い上げられ、真珠の髪飾りで上品にまとめられていく。
「燃えるような真紅もとてもお似合いでしたが、こちらのドレスは色も形もエレガントで、殿下のスタイルの良さと気品をさらに際立たせてくれています。もしも私が男ならイチコロだったことでしょう。さあ、できた」
最後の髪飾りを留めると、口元に笑みを浮かべてクロエの顔を覗き込む。
すらりと背が高く、凛とした切れ長の瞳のアンは、中性的な魅力を持つ美形だ。そこらの貴族が口にしても引かれるだけのキザな台詞も、アンが言えばそれは花の蜜ほど甘い囁きに聞こえるらしい。例に漏れず頰を赤らめたクロエが、ほう、とため息を吐く。
「貴女が言うと説得力あるわねぇ。侍女にしとくの惜しいわー。ねね、テラナ公国でわたしの執事とかする気ない? そしてテラスにいる私に向かって薔薇を差し出すの。姫と執事の禁断の愛! なぁあんてロマンチック!」
「執事って……クロエ殿下、アンは女性ですよ」
きゃあきゃあと一人はしゃぐクロエに、お色直しを終えたマシェリが苦笑いで声を掛ける。
「そう、問題はそこよね。やっぱり愛には障害がつきものなんだわ」
問題以前の問題だ。しかしこうなったお姫様をどうにかする有効な手立てはない。マシェリは無言で紅茶のカップを傾けた。
「次はルシンキ公国のメイサ殿下でしたよね。ーードレスの裾丈、これで大丈夫でしょうか?侍従長」
「ああ、そうね。メイサ殿下はたしかターシャと身長が同じくらいだったと思うから、大丈夫だと思うわよラナ。あとは腰のリボンで上手く調整してちょうだい」
「はい!」
ドレスを手に踵を返すラナを横目に見ながら、お色直しの完了したクロエがマシェリのもとへとやって来る。
「お疲れ様ですクロエ殿下」
「ただいま。あ、お茶のお代わりいただける?」
畏まりました、とターシャが頷きワゴンの上でポットをカップに傾ける。
浴室の前に設置された小さなテーブルセットに並んで腰掛けると、クロエがマシェリにそっと耳打ちした。
「各国の公女の名前とか背格好とか全部記憶してるわけ? おっそろしいほど優秀ねえ。さすがは皇城の侍従長」
「フローラは皇妃様の専属侍女として長年仕えていた方ですし、宮殿で行われるパーティーの責任者、いわば仕切り役ですもの。本人曰く、公女様はもちろんのこと、各国の要人の顔、名前と歳、好みの酒から紅茶に砂糖を入れるかどうかに至るまで、すべて把握しているらしいですわ」
彼女が協力してくれなければ、パーティー開始まで半日もない状況で六人分ものーーアズミ姫が欠席したため実際には五人分になってしまったがーーお色直しの準備など、不可能だったに違いない。
「いちばん手っ取り早いのは子種を宿してしまう事よ」
前触れもないクロエの爆弾投下に、マシェリは口に含んだばかりの紅茶を吹き出しかけ、むせた。
「いやだ、大丈夫?」
手で口を押さえつつゴホゴホと咳き込むマシェリの背中を、クロエが慌ててさする。が、その口元はニヤけたままだ。
「ーーなっ、何を突然おっしゃいますの? クロエ殿下! グレン殿下はまだ十四歳なんですのよ?」
口に手をあて、目に涙を浮かべたマシェリが、斜め上のクロエを睨めつけながら言う。
クロエは尖らせた唇に指を当て、んー、と小首を傾げた。
「他の妃候補と差をつけるのに一番効果的な方法は何か、私なりに分析してみた結果なんだけど……」
「一体何を材料に分析したらそうなるんです?」
「私の兄夫妻よ。お義姉様ったら三人いた他の妃候補をだし抜くために、毎日お兄様の部屋の浴室に潜んで帰りを待ち構えていたらしいの。それでめでたくご懐妊して正妃の座を手に入れたんですって」
「なん、で浴室に……っ?」
「やだ決まってるじゃない。誘うのに効果的だし、色々手間も省けるからよ」
クロエは意味深な笑みを浮かべ、マシェリにウィンクしてみせた。




