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「ありがとうございます。メイサ殿下」


 笑みを決して崩さず言う。フルネームでのご丁寧な自己紹介は、おそらくこの場で自分の存在を知らしめるためのもの。いわばマシェリへの宣戦布告だ。ここで狼狽えては相手の思う壺である。

 やられたらやりかえせ。社交に長けた母のお小言、いや、教えを思い出す。


 マシェリは一つ深呼吸すると、フランジア帝国式の"礼"をその場で披露した。 


 ーーこれは、マシェリがグレンの婚約者たる証だ。


「やるじゃない」


 クロエが扇越しににんまりと微笑む。

 その声に気付き、マシェリはハタとした。これは返り討ちと言えなくもない……のかしら?


「……っ」


 顔を上げてみれば、涙目で頬を赤らめ、睨んでくるメイサと目が合った。思わず唇の端がひきつる。


(や、やり過ぎた? ……少し、大人げなかったかしら)


 泣き出したらどうしよう。一瞬焦るが、隣にいた黄色のコート姿の男性がすぐにメイサの肩を抱き、宥める仕草をみせた。おそらく父親のルシンキ大公だろう。マシェリはホッと胸を撫で下ろし、再び口を開いた。


「今宵は皇帝陛下の特別なはからいにより、ドレスの国色しばりを解禁していただきました。そのカードは、お茶会を兼ねたお色直しの招待状ですの。順番にご案内させて頂きますので、大公閣下の皆様方には、大事な娘が拐かされたなどと勘違いなさいませんよう、宜しくお願い申し上げます」


 会場が再びざわつき始める。ひそひそと嘲るような態度の客もいたが、笑みを浮かべながら軽く拍手する紳士や、きゃっきゃとはしゃぐ声も多く聞こえてきた。皇帝が出て来た事も大きかったのだろう。何とか受け入れてもらえたようだ。


 もう一度改めて礼をした後、赤い絨毯の上で待つ、クロエのもとへ向かう。


「お待たせしました。クロエ殿下」

「いいのよ。わたしが一番最初で嬉しいわ。お茶はダージリンね。カードに丸、しておいたから」

「承知しておりますわ。――では、参りましょう」


 二人並んで絨毯の上を歩き出し、大広間の中ほどまで行ったところでマシェリはぴたりと足を止めた。


(ルドルフ様……! 来ていたのね)


 天井まで届くほどの大きさがある、大広間の扉。その側に二人、軍服姿で何やら護衛の近衛と話をしている者がいた。うち一人には見覚えがないが、隣にいるのは間違いなくルドルフだ。


「あら。どこに行ったのかと思ってたら、あんな所にいたのね。ルディ様」


 扇でぱたぱたと顔をあおぎながらクロエが言う。


「ルディ様?」


 まさか、ルドルフの隣にいるあの騎士がそうなのだろうか。目を向けるが、近衛が壁になって顔が見えない。


「ええ。……って、どうして疑問符なの? まさか知らないわけじゃないわよね。彼、皇帝陛下の側近なんだから」

「そのまさかですわ」


 クロエが目を丸くする。しかし、本当だから仕方がない。登城して四日、顔を合わせる事はおろか、今の今まで姿を見た事すらなかったのだから。


「嘘でしょ、あり得ない。ーーでも、本当なら今がチャンスよ。さっさと初顔合わせ済ませちゃいましょう!」


 クロエがぐいとマシェリの手を引っ張る。とたん、毛足の長い絨毯に足をとられた。

 巻き込まないよう、クロエの手を離す。ーーと、横から出てきた腕に抱き留められた。


「……ああ、何とか間に合った。大丈夫?」


 肩を抱く手を辿って見上げれば、額の真ん中にある紫色の宝石が一番先に目につく。近くで見てもやはりまだ若いーーカイヤニの大公閣下だ。


「あ、ありがとうございます」

「気にしなくて良いよ。わたしにとってはむしろ役得というか……」

「役得⁉︎」


 眉を寄せ、訝しむようにクロエが覗き込むと、慌ててマシェリから手を離す。


「ちっ、違う。そうじゃない! いや、そうかもしれないけど違うんだ。その……マシェリ嬢にお願いがあって」

「お願い?」

「その、美しい髪に……触れさせては貰えないかな?」


 目を大きく見開いたマシェリの赤髪に、カイヤニ大公の手が伸びる。


「そこで何をやってるんですか⁉︎カイヤニ大公閣下!」


 叫ぶ声に振り返れば、走って来たらしいビビアンが、ゼイゼイ言いながら立っていた。手に何やら細い棒を持っている。


「あ、や。これは……その」

「マシェリ様はグレン殿下の婚約者です。無礼な真似をするのはこの私が許しません! 大体、そんな痴漢まがいの事をしている暇があったら、自国から連れて来たあのオーケストラを今すぐ何とかして下さい。新しい指揮棒は用意いたしましたから」


 ビビアンは手にしていた指揮棒を放り投げた。カイヤニ大公が慌ててそれを受け止める。


「マシェリ様、クロエ殿下」

「「はっ、はい」」

「陛下とお客様方には私の方から改めて説明いたします。一度仕切り直してからお色直しに向かって下さい。ちゃんとオーケストラの音楽が流れる中で。ーーせっかくの、婚約披露パーティーなのですから」

「……ビビアン様……」

「ビビアンで結構です」


 それだけ言って、くるりと背を向けたビビアンは貴賓席へと向かって行った。


 空腹だったらしいクロエは、ちょうどテーブルに並べられていた料理を取りに行った。

 マシェリは大広間の扉の方へ目をむけ、ルドルフと、側近のルディの姿を探す。しかし、先ほど彼らがいた場所には護衛の近衛が二人、扉を挟むように佇んでいるだけだった。


 会場内の客たちの間を縫うように視線を巡らせてみても、二人のどちらも見つけ出せない。

 喉が渇いたマシェリは自分のテーブルへ向かい、グレンの四杯目のグラスを奪い取った。


「あ」

「あまり飲み過ぎてはごはんが食べられなくなりますわよ」


 飲み干したグラスをテーブルに置き、椅子に腰掛け靴を脱ぐ。くるぶしが少し赤くなっているが、幸い傷はついていない。


 ホッとして靴を履き直す。ひょいと顔を上げたとたん、グレンに唇を重ねられた。


「……っ、殿下!」

「押し倒したい衝動はちゃんと我慢してるよ? これくらいは許して欲しいな」

「だから、そういう事は私達には……っ」

「早くない。さっきビビアンもそう言ってたし。婚約者なんだからそれくらい当然です、むしろもっとばんばん迫って愛を深めていくべきだって」

「はい⁉︎」


 マシェリは目をまたたかせた。さっきからビビアンがどうも変だ。やけにマシェリに好意的……いや、グレンに協力的と言うべきか⁉︎ どちらにしろ急に態度が変わり過ぎである。もしや、さっき皇帝に無視されたショックでおかしくなってしまったのだろうか。


 不思議に思い、グレンに恐る恐る尋ねてみれば、端正な顔が甘く微笑む。


「試作品のドレスは試着後廃棄するのが皇城の常識だったんだ。でも、君がそれをパーティーの趣向として有効に使おうとしてるって説明したら、ビビアンが妙に感動しちゃってね。さすが伯爵令嬢だ、金銭感覚の鍛え方が違うって」

「……褒めてるんですの?それ」


 マシェリは思わず半眼で呟いた。

 いや、確かに……ドレスを捨てるなんてもったいないとは思った。思ったけれども、どうにも納得がいかない。


(わたくしは……! 決してセコいわけじゃありませんわ)


「ああ、ようやく指揮者が戻って来たみたいだ」


 二階の演奏室を見上げてグレンが言う。

 中座していたオーケストラの面々とともに、棒をぶんぶん振り回しつつ入場して来た者がいる。それは確かに、途中退場した指揮者のようだ。


 オーケストラの音楽が、再び会場内に響き渡った。


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