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きっかけはターシャからのひと言だった。
『皇都の仕立て屋数店からドレスの試作品が届いてます』
「それと小物と靴の試作品も」そう言いながら見せられたのは、試作品とは名ばかりの上等な品々。普通に店に並んでるのと何ら変わらない物であるのに、ドレス含め、たった一度身に着けただけで廃棄に回されてしまうという。――マシェリは愕然とした。
(別に帝国のお財布が痛むわけじゃないのでしょうけど……)
「何かで有効活用できないかしら? ドレスも靴も……最終的に廃棄するのは仕方ないとしても、せめて一度くらい日の目を見せてあげたいわ」
「だったらお色直しとかどうですか?」
元気よく手を挙げたのはお針子担当のぽっちゃり侍女、ラナだった。
「お色直し?」
「はい。わたしの出身国のレオストでは公子様の婚約披露パーティーの最中、婚約者様がドレスの着替えをされるんです。フランジアに来る前一度お針子をさせていただいたんですけど、婚約者様はじめ、皆さんとても楽しそうになさってましたよ」
ふむ、とマシェリは頷いた。――"お色直し"か。なかなかいいアイデアだ。
廃棄される予定のドレスに一度だけでも光を当ててあげよう。
(そうだ、どうせなら各国のお姫様も一緒に)
ついでにお茶を用意して、情報交換の場にしてしまうのもいいかもしれない。一粒で二度おいしい『お色直し』案。
だが実現は九割方不可能だ。第一に、準備する時間が足りない。パーティー開始まで半日もないのだから。
「分かりました。侍従長に相談してみます」
さわやかな笑顔で「お任せ下さい」と言うターシャをマシェリは唖然として見つめた。侍従長であるフローラは今夜のパーティー責任者として走り回らなければならない身である。無謀な思いつきを頼んだところで、忙しさを理由に断られるのは想像するに難くない。
だから、出て行ったターシャがフローラを連れて控え室に戻って来ても、わざわざ直接断りに来たのかと思った。
「マシェリ様にお願いがございます」
新緑色の瞳が真ん丸くなる。まさかお願いをお願いで返されるとは思わなかった。しかも満面の笑みで言ったフローラの『お願い』とは――まさかの皇帝陛下への直訴。
「陛下の許可が必要不可欠ですから。さくっと取ってきて下さいませマシェリ様」
フローラが、青ざめた顔のマシェリの肩をぽんと叩く。
グレンには事情を話すように、逆にビビアンには悟られないように。準備は進めておきますからと流れるように言い添えられつつ廊下へ追い出され――有無を言わさずドアを閉められた。
(こ、断るって選択肢はないの??)
混乱し、思わずドアノブに取りすがったマシェリがハタと止まる。
自分を思い切りひっぱたきたくなった。――簡単に断れるはずがない。マシェリは、皇太子の正式な婚約者なのだから。
命令されれば黙って頷き、最善を尽くそうと奔走する。それがたとえ、内心では婚約破棄を画策している自分の言う事だとしても。
自分の立場を完全に失念し、無理なら断ってくるだろうなどと安易な考えで口に出してしまった。自分の思慮の足りなさに思わずへこむ。
マシェリはきゅっと唇を噛んだ。――せめて、言い出した責任はきちんと取る。
ビビアンが席をはずした隙に執務室へ入り込み、自筆の直訴状を皇帝陛下に差し出す。皇帝はその手を掴んで引き寄せ、マシェリの耳元で「好きにするといい」と甘く囁いた。
許可が素早く下りたのは結構だったが、危うくビビアンへの口止めを忘れて執務室を飛び出してしまうところだった。
噴き出す額の汗を拭い、控え室へと急ぎ戻る。窓の外をふと見上げれば、空は雲一つなく、美しく澄み切った青だった。
「では、参りましょう」
マシェリとクロエが赤い絨毯の上に並んで立ったとたん、会場が一瞬どよめく。
だが司会の大臣は全く意に介さない様子で、何かぶつぶつと言いながらマシェリ達の斜め前まで近付いて来た。
「それでは、これより各国の大公様よりご挨拶を――って、ええ⁉︎」
顔を上げて二人に気付くと驚き、目を見張る。図体がでかい割に気が小さいのか、おろおろと分かりやすく大臣が狼狽え始めた。
「しっつれいねえ。化け物見た! みたいな声出すのやめて下さらない? この美しい淑女二人に向かって」
クロエが腰に手をあて、ふんと鼻を鳴らす。
「こ、これは失礼を。しかし……一体どうして」
何とか冷静に事態を分析しようとする大臣の背後に、頭から湯気を出して突進して来るビビアンの姿が見えた。さながら闘牛の様相である。
真紅のドレスのクロエが思わず一歩後ずさった。
「一体、これは何の真似なんです⁉︎」
どう見ても自分より年長者の大臣を、ためらう様子もなく押し退け、気色ばんだ顔でマシェリに詰め寄って来る。
「もちろん、お色直しへ行くところですわ」
マシェリは、夜会用の笑顔でけろりと答えた。
「そんな話、私は一切聞いてません! ――さっさと席に戻ってください、この後の予定が狂ってしまいます。クロエ殿下もですよ。……早くこちらへ」
興奮気味に捲し立て、ビビアンが手をクロエに差し出す。クロエはそれを見て、紫色の瞳をぱちくりとさせた。
「やあね。そんな汗だくな手を差し出してくるなんて。無礼よ」
「なっ?」
「それは一理ございますな」
大臣が顎をさすりつつ頷く。
「騒がしいな」
鳶色の髭をひと撫でし、皇帝が椅子から立ち上がる。
ざわついていた客達がしんと静まり、貴賓席に皆の注目が集まった。
「も、申し訳ございません陛下。少し手違いがあったようなのです。しかしすぐ解決いたしますので、今しばらく――」
ビビアンが言葉を切った。口をポカンと開けたまま、マントを翻し目の前を通り過ぎていく皇帝陛下を視線で追っていく。
獰猛な獣にも似た、美しくも鋭い眼差し。向かい合ったマシェリはその場から動けなかった。
「何故、お前たちはまだここにいるんだ? 私が許したのに」
その言葉に、会場が再びざわめく。
見上げるマシェリの赤髪に皇帝が手を伸ばし、撫でる。その手つきは、まるで壊れ物にでも触れるように優しく、愛おしげだった。俯き喉をこくんと鳴らしたマシェリは、改めて口を開いた。
「……まだ、皆様へのご説明が済んでいないんです。今すぐ終わらせてこの状況を解決いたしますわ。――そうですわよね? ビビアン様」
「はっ⁉︎ いや……。はい」
皇帝とグレンを交互に見て、ビビアンは肩を落とした。
「どうぞ、マシェリ様のお心のままに」
「やだー、ちゃんと礼儀が分かるんじゃない。見直したわよ、宰相サマ」
クロエが扇であおぐと、こめかみに青筋を立てたビビアンがぎりぎりと歯ぎしりし、きっと睨む。マシェリは慌ててクロエの手を引いた。触らぬ神に祟りなし、だ。
「えーと。では私はどうしたら……」
「何もなさらなくて結構ですわ。ただ、そこをどいていただければ」
さらりと言えば、「ですよね」と大臣がすごすご退場して行く。マシェリはグレンを振り返り、小さく頷いてみせた。グレンが三杯目のグラスを掲げ、応じる。さっきの果実水がよほどお気に召したらしい。
(同じ果実水のおかわりをもらおう。……殿下の、隣に帰ったら)
長身の大臣と入れ替わりに立った場所は、大広間の最奥のちょうど真ん中だ。ここからなら、会場を全て見渡せる。
さっきまでとは打って変わって静かになった客達を前にして、マシェリは大きく息を吸い込んだ。
「本日はお忙しい中、グレン殿下とわたくし、マシェリ・クロフォードのためにお集まりいただきありがとうございます。皆様方に感謝をこめて、わたくし特別な趣向をご用意したしましたの。公女の皆様へ、侍女が先ほどカードをお渡ししたと思うのですけど、お手元にありますでしょうか?」
「はい」
人の輪の一番手前にいた、黄色のドレス姿の客がすぐに手を挙げる。目がぱっちりと大きな、金髪美少女だ。妹のサマリーと同じくらいの年頃だろうか。
黄色といえばルシンキ公国の国色。――名前は、たしか。
「メイサ・アド=ルシンキですわ。以後お見知りおきを。マシェリ様」
菫色の瞳を細め、メイサがにっこりと微笑む。それは多勢の人を惹きつけてやまない、瑞々しく花の咲いたような笑顔だった。




