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 満月に一日足りない月が昇る。


 通常夕方で閉館する図書館には、照明が備わっていない。しかし窓から射し込む月光と、通路や窓際の机の上にいくつかランプを置けば、館内は充分明るかった。

 時間外の図書館に集まっていたのはマシェリとグレン、司書のユーリィの三人。水竜の卵を再び本に戻すため、手順に従い封じの儀式が始まった。


「……そして、水竜王子と少女は結ばれ、二人は末長く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


 本の最終頁を読み終えたユーリィが、満足そうに息を吐く。が、傍で見守るグレンは渋い顔で腕組みした。


「ちょっと割愛し過ぎじゃないのか?」

「まるでお伽話みたいでしたわ……」


 マシェリも少々辛辣な感想を述べる。

 第一の手順は『最後まできちんと読み終える』という決まりのはずなのに、ユーリィは細かい描写をすべてすっ飛ばし、大体半分くらいで読み終えてしまったのだ。皇城の司書らしからぬ大雑把さである。

 しかしそんな二人の苦言にも、ユーリィは自信満々な態度を崩さない。構わず手順の第二、『月光の射し込む机に本を置く』をドン、と済ませる。


「いいのよ! こんなんで。ーーこの私に任せておきなさい」


 艶めく唇に笑みをのせ、ユーリィがウィンクしてみせる。マシェリとグレンは苦笑いで顔を見合わせるしかなかった。何しろーー封じの儀式について知っているのは、この城内でユーリィしかいないのだから。


(もう、信じて見守るしかないわ……! でも)


 マシェリはちらりと水竜の卵が入っている籠を見た。森にいた時と比べて大人しく、身動ぎ一つしない。魔本の中の生き物のため、空腹にならず眠らず、死ぬ事もないらしいが、それでも少し気がかりだった。


(卵の殻にだいぶヒビが入ってる)


 逃げ回っている時にきっとあちこちぶつけたのだろう。覗き込んで見れば胸が痛む。……このまま、本に戻して大丈夫なのだろうか?


 しかしマシェリの心配をよそに、月光の下で魔本が蒼い光を纏い始める。ふわりと宙に浮くと、ひとりでに開いた本の頁がパラパラとめくれていき、押し花のしおりを最後に、止まった。

 ぱん、と弾ける音とともに続きの頁が現れ、本は静かに机に落ちた。  


「成功……したのか?」

「ええ。解呪するのと同様、封じる方法も至って単純なんだもの。最後まで本を読み切り、月の光を当てるだけ。ーーただし満月以外の夜に、ね」


 籠の中の水竜の卵がそわそわと動き出す。ユーリィは屈んで中を覗き込むと、微笑んだ。


「待ってなさいよー? 今、ちゃんと帰してあげるわ。貴方の在るべき世界にね」

「……」


 卵の動きがぴたりと止まる。

 心なしか、少し落ち着いたように見えた。


「残すはあと、第三の手順のみか」

「続きを読むんですわよね? そしてーー」


 水竜の卵が登場する場面で、本へ還す。


「ええ。だからマシェリ様、お手伝いよろしくお願いします」

「ーーはい。あ、でも」

「何か?」

「この子、殻にヒビが入ってますし……その、元は足なんか出てなかったでしょう? このまま本に戻して大丈夫なのかしら」


 マシェリが心配げに言うと、ユーリィはくすくすと笑った。


「心配なら、殻の補修や傷の手当てをしてから還すのもアリですよ? 本に帰ればたぶん治るとは思いますが、確実ではないですし」

「傷……?」

「怪我してるみたいなんですよ、この子。さっきチラッと見えたんで」


 ユーリィが言い終わる前に、マシェリは籠を開けていた。水竜の卵を捕まえ、出ている足はもちろん、ところどころ殻が欠けてる部分も覗いて確認し、首を傾げる。


「……怪我なんてしてませんわよ?」


 そう言った、新緑色の瞳が見開く。

 蒼く、真ん丸い瞳がマシェリをじっと見つめていたのだ。小さく欠けた、卵の殻の隙間から。


 ーー目が、合った。


「変ね? 私の気のせいだったかしら。ーー大丈夫なら、第三の手順を始めましょう。マシェリ様、準備の方をお願いしても?」

「え、ええ」


 マシェリは、水竜の卵をしっかり抱いて立ち上がると、本を手にしたユーリィの傍に立った。

 しおりを取れば、数枚しかない続きの頁が一瞬強い輝きを放つ。


「ここからは現皇帝ーーつまり、グレン殿下のお父様ですね。陛下と水竜との出会いについて、描かれています」


 水竜の卵は、陛下と水竜が初めて出会う場面に登場するため、卵を還すのはほんの数行後、二、三文字分ぽっかりと抜けてるあたりだった。「今です!」ユーリィの合図で、マシェリが卵から手を離す。


 蒼い霧となった卵が、一瞬で本へと吸い込まれていく。霧が消えた頁には『水竜』という文字が新たに刻まれた。


「……こうして、カトゥール陛下はフランジア帝国と五つの公国を支配する皇帝となりましたとさ。めでたしめでたし」


 またも内容を少々すっ飛ばしたらしいユーリィが、短く読み終えた最終頁にしおりを挟み、本を閉じる。

 ーー蒼い光が、フッと消えた。


「これでおしまいです。お二人とも、お疲れ様でした」

「僕は特に何もしていないが」

「あら。……ずっと側で見守ってらしたでしょう?近衛達が外で厳重に見張っているにも関わらず」

「これくらい当然だ。……もし、マシェリに何かあったら僕が嫌だから」


 椅子から立ち、グレンはマシェリに手を差し出した。


「帰ろう、マシェリ」

「……はい」


 最後に本をひと撫でし、マシェリはグレンの手をとった。水竜が入っていた籠は「また使うかもしれないので」と言うユーリィに預け、二人並んで図書館を後にする。

 見上げた月は美しく、金色に輝いていた。





 二人を見送っていたユーリィが、ドアを開けようとしてふと振り返る。中庭の木の影が、僅かに動いていた。 

 ーーどうも、今日はまだランプの灯を消せそうにない。


「ずいぶん仲良くなったものだな。あの二人」


 横を向けば、襟元の金バッジが月光にきらめく。

 木の陰から出てきた紺色の軍服姿の男は、長い前髪の下の目を細めて言った。


「当然よ、だって婚約者同士だもの。ーー早く入って。見つかるわよルディ様」

「今はルドルフと呼んでくれ。……誰が見てるか分からんからな」


 辺りを警戒しながら図書館の中へと入ると、ルドルフは腕に掛けていた外套のポケットを漁り、薄紅色の包みを出した。


「土産だ。お茶と一緒に出してくれ」

「あら、またブルーナ公国に行ってきたの? お兄様」

「お兄様はやめろ、くすぐったい。ーーブルーナ公国から使い鳥が来て、グレン殿下の妃候補を正式に辞退する旨の書状が届いたのさ。殿下には既に婚約者がいることだし、こっちとしてもこれ以上はごり押しできない。仕方がない、と陛下もすんなりサインしてくれたよ。早急に届けて、途中休憩も無しで帰って来たんだ。……さすがに疲れた」

「そう。ビビアン様、がっかりしてたんじゃないの?」

「ああ。私もそう予想していたんだが、それが意外にそうでもなかった」


 仕方ありませんね、と肩を竦めて見せただけだった。あの、顔も腹も黒いと国内外で噂される切れ者の宰相が。


「参ったよ。……あのお姫様は相当手強い」

「気を付けて。素がただ漏れてますよ、ルドルフ様。今のは完全に、毒りんごを姫君に食わせようと悪巧みする魔女の顔でした」

「それの何が悪い? どうせ私は」

「少なくとも、マシェリ様にとっては違うわ」


 腕組みをしてユーリィがキッと睨む。ルドルフは、目をぱちくりとさせた。


「どうしたんだ? お前まで……はっ。もしかして、あのせいか? 下手くそな腰痛の芝居に騙された彼女に同情してるのか? 確かにあれは酷かったけど」


 問いに答える代わりに、ユーリィはお土産のクッキーを掴むとルドルフの口に詰め込んでやった。ーー同情しないわけがない。


 目的のためなら血も涙も平気で凍らせる。


 こんな男をいい人と錯覚し、信じているだなんて。



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