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森の一本道をしばらく進むと、明るい光が射す出口が見えた。
「ーー家がありますね」
ルドガーが呟く。太陽の光が降り注ぐ、開けた土地にあったのは、沼のほとりに佇む赤い屋根の小さな家だった。古く、傷んではいるものの、人が住めないほどではない。
家のまわりの雑草も、きちんと刈り取られていた。
「この家は、まさか魔女の……? 随分きれいですけれど」
「そうだ。だがもう魔女は滅びた。たぶん彼女の崇拝者か何かが、たまに来て手入れしてるんだろう」
グレンの言葉を肯定するように、家の割れたガラス窓から鴉が一羽、飛び出して行った。ーーどうやら中を荒らしていたらしい。
「ここから先は歩きです。ーークルル!」
ルドガーが叫ぶと、上空から降りてきたクルルが、沼の向こう岸にある森の小道へ入っていった。グレンも呼び笛を吹き、沼の中からイヌルを呼び出す。
護衛の騎士も加えた総勢五人と一匹が一列となり、クルルを追ってぞろぞろ森の小道へ入って行く。こちらの道は棘つきの蔓などはほとんどなく、辺りに生えているのはごく普通の草木ばかりに見えた。
今日は白いワンピースと軽装なため、マシェリの足取りも軽やかである。日よけの帽子を押さえつつ、鼻歌交じりに歩いているとーー足元に何かが触れた。
「きゃっ?」
「どうした⁉︎ マシェリ」
前を歩くグレンが振り返る。マシェリはパッと下を見た。体のやけに大きな、一つ目のネズミと目が合う。
「きゃあああっ‼︎」
マシェリが悲鳴を上げたとたん、ネズミに似た生き物が弾かれたように駆け出す。
「やはり魔物がいたか。……小者だが、あれでも齧られれば指の一本くらい簡単に千切れる。ーーマシェリ」
「は、はい?」
「絶対に僕から離れるな」
「……! はい」
力強く、グレンがマシェリの手を握り締める。イヌルもマシェリの側に付いて歩きはじめた。
歩きながら、ふんふん、と鼻をひくつかせる。
「 あれえ? ……ねえねえ殿下ぁ。あっちから、何かすごい血の匂いがするよ」
「血の匂い?」
「ブルーナ公国との国境が近いせいでしょう。あの国の連中は、この森の獣をよく狩りに来ますから」
「もう国境はすぐそこです。ここからは私たちが前を歩きましょう」
土地勘のあるらしい、騎士二人がそれぞれ声を上げる。指先で示す方へ視線を向ければ、少し広くなった道の途中に、黒い石碑が建っていた。
お仕事終了、とばかり、クルルがルドガーの肩へふわりと留まる。
「……ここが、国境なんですの?」
「うん。間違ってもその石から先に行っちゃだめだよマシェリ。矢で射抜かれて死ぬから」
にっこり笑ってグレンが言う。
ぽかんとしたマシェリの前に、騎士が守るように両手を広げて立ち塞がった。背が高く、よく鍛えぬかれた体つきをしている。ーー襟元に、銀のバッジが光っていた。
「フランジア帝国第七近衛騎士団副団長、サリエル・グースだ! ブルーナ公国第二公女、アズミ姫! もし近くにおられるなら、お目通り願いたい!」
よく通る声でサリエルが叫ぶ。
アズミ姫、という名前に聞き覚えがあった。パーティーを欠席した、グレンの初恋相手である。
(狩猟が趣味だとは聞いてたけど……ま、まさか)
お姫様でありながら、騎士に名を覚えられるほど頻繁に、この危険な森へ来ているということか。
マシェリの心の問いに答えるように、ガサガサと茂みが動き、人の背丈ほどもある弓が出てきた。
「ーー騒がしいな」
弓を手にしていたのは、唇の紅がなければ一瞬美少年と見まごうような美しい少女だった。黒髪に凛とした切れ長の瞳。スラリと背が高く、着ているものもドレスとは程遠い、いくらか改良を加えたらしい紺色の軍服だった。
「帝国の騎士が私にいったい何の用だ。ーーそれとも、用があるのはそっちか? パーティー欠席の文句でもつけにきたのか」
アズミがグレンを一瞥し、眉根をしかめる。
とてもお姫様と思えぬ口調だが、慣れているのか、グレンは涼しい顔を崩さない。
「そんなもの、僕は毛ほども気にしてない。君を呼んだのは、国境を越える許可がほしかっただけだ」
「断る」
アズミはグレンを一蹴し、手にした弓の弦の張り具合を確かめ始めた。しかし側にいた護衛らしき男が何やら耳打ちすると、渋々と口を開く。
「……分かったよ。でも、今は本当に忙しいんだ。珍しいものを拾ったから、早く城に帰りたくて」
「珍しいもの?」
「ああ。さっき一つ目のネズミを追ってる途中で見つけたんだ。ーー見るか?」
そう言って、アズミが大きな鳥カゴらしきものを茂みから引っ張り出してくる。
マシェリは嫌な予感がした。……今、緑と青のマダラ模様がチラッと見えたような、気がしなくも、ないような。
「ほら。珍しいだろう? 卵に足が生えた魔物なんて」
アズミが得意げに掲げたカゴの中で、おろおろと動く水竜の卵。マシェリは目を見開き、グレンは頭を抱えた。
クルルが、小首を傾げてルドガーを見る。
「間に合わなかったか……」
ルドガーのため息と、イヌルの欠伸が同時だった。
「断る」
不貞腐れたように地面であぐらをかき、立てた膝に頬杖をつく。ぶすくれた顔のアズミとグレンは、もうかれこれ半刻ほども石碑の前で話し合いを続けていた。
しかし、一向に進展する気配はない。
「その一言で何でも済まそうとするな。それは魔本から抜け出した水竜の卵なんだ。戻さないと色々とややこしい事になる」
「知るか。とにかく、これは我がブルーナ公国で私が見つけて拾ったものだ。飼おうが殺そうが私の自由。帝国の皇太子の言う事だろうが聞いてやる義理はない。一つ目のネズミでも獲ってさっさと皇城へ帰れ」
「……水脈止めるぞ」
焦れたグレンが、据わった目でぼそりと呟く。だがアズミはフッ、と鼻で笑った。
「好きにしろ。権力を笠に着て、偉ぶる男の言う事など、誰が聞いてやるものか。お前も所詮、水脈を盾に傍若無人に振る舞う父親と同じ。このまませいぜい好き勝手に生きて、生き恥を晒す裸の王様にでもなるがいいさ」
「ーー貴様、黙って言わせておけば……! もう我慢ならん」
サリエルが剣に手をかける。アズミの護衛も弓を構えた。国境の石碑をはさみ、ピリピリとした空気が辺りを包む。
グレンは変わらず冷ややかにアズミを見るばかりで、その感情がつかめない。怒っているのかいないのか。
だが一つだけはっきりしてるのは、このまま放っておけば、間違いなく両国の間で争いが起きるという事だけだ。
ーーもう、迷っている時間などない。
「アズミ姫」
マシェリは、盾になっていた騎士の陰から一歩前に踏み出した。
止めようとする騎士を視線で制し、流れるような所作で貴族の礼をする。ワンピースなので少々華やかさには欠けるものの、アズミの護衛がつい弓を下ろすほどには完璧だった。
「初めまして。わたくしはマシェリ・クロフォード。そこにいるグレン殿下の婚約者ですの」
「婚約者……? ああ、そういえば赤髪だな。テラナ公国の、もの好きな伯爵令嬢か」
「ええそう。テラナ公国一気の強い、赤髪のたかが伯爵令嬢です。ーーけれど」
国境前に立つグレンの側まですたすたと歩いて行き、腰の剣に手をかける。グレンは動かず、表情ひとつ変えなかった。
ーー金で施された、フランジアの紋章が日を浴びて光り輝く。
マシェリが抜いた剣先は、弧を描き、アズミの鼻先へピタリと向けられた。
「貴女のような礼儀知らずに言われたくありませんわ」
「……お前もたいがい無礼だと思うが?」
眉間にしわを寄せ、鋭く見上げながらアズミが言う。しかしーーマシェリは、くすくすと笑い出した。
「おかしな事をおっしゃいますのね。この剣先は我がフランジアを僅かも出ておりません。貴女の言葉を借りるなら、我が国で何をしようがこちらの自由なはずでしょう?」
「貴様……」
「水竜の卵を返しなさい」
剣先を向けたマシェリの新緑色の瞳が、射るようにアズミを睨みつけた。




