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 元気よく地面を蹴ったイヌルを見て、マシェリは顔を綻ばせた。


(燃料切れの心配はなさそうね)


「では、この本はわたしが預かっていきますので」


 失礼します、とユーリィが踵を返し、図書館へと歩き出す。

 グレンはさて、とにっこり笑ってマシェリを見た。


「どっちがいい? マシェリ」







 サイドテーブルのランプに手をのばし、手探りで明かりを点ける。

 マシェリは、ベッドに突っ伏していた顔を上げ、視線だけ窓に移した。ーー既に日は落ち、空は濃い紫色に染まっている。


(寝ちゃってた……? ああ、そうか)


 まだとろんとした頭で記憶をたどる。確か中庭から戻る時、三階だから、上り階段だからと、グレンにお姫様抱っこで運ばれたのだ。ーー抱っことおんぶ、どちらで行くか選択を迫られて。


(何が『マシェリの希望も一応聞いておこうと思って』よ)


 正直『どちらも嫌』というのが希望だ。だが却下は目に見えてるし、足を開く必要のあるおんぶは淑女として論外である。結果、皇子様に似合う運ばれ方になったわけだが、一階で侍女のベルに会ってしまったのが運の尽き。

 メモを片手に三階まで付き纏われる羽目になってしまった。


(疲れ切って、部屋に着いたとたんベッドに倒れ込んだんだったわ……)


 そして、ドレス姿のままぐっすりと眠りこんでしまった。

 そこまで思い出して、マシェリはようやく目が覚めてきた。ベッドから降り、ワゴンに用意してあった水をコップに注ぎ入れる。

 ーーベルに何を詮索されたか、どう答えたか。記憶が曖昧なのが少々気になるが、グレンも一緒だったし、そう心配することもないだろう。

 マシェリは水を飲み干し、ほっと息を吐いた。ふと、ドアの下に目を向ける。


 幻のように美しい、白薔薇が一本落ちていた。




 外套を羽織って外へ出ると、白い花びらが風に舞っていた。

 かぐわしい香りが鼻をくすぐる。ーーいつの間に、花の盛りが過ぎたのだろう。頰をなでる夜風もどこかやわらかい。


「ルドルフ様」


 白薔薇の生垣のそばでマシェリが呼ぶと、陰で人が動く気配がした。砂利を踏む足音と、衣擦れの音。

 ーー来ている。マシェリは、目深に被ったフードの下で息を吐いた。


「……こんばんは、ルドルフ様。今日はどうしたんですの? 外で会いたい、だなんて」


 小さく、でもぎりぎり聞き取れるように一語一語丁寧に話す。

 一瞬、静寂があった。


「やむにやまれぬ事情がありまして……申し訳ありません。それとお話の前に、間違いなく貴女である事を確認させていただきたいのです」

「確認……? でも」

「貴女だけが持っているものを、切れ端でも一部でもいい。この手にお渡しください」


(わたくしだけが持っている……?)


 あるのだろうか? そんなものが。しかも、今ここに。

 生垣の切れた部分から、すっと差し出された大きな手を前に首を捻る。

 強く吹いた風に、マシェリの髪が流れるようになびいた。


(あ)


 ハタと気付き、ぷつんと一本抜いた赤髪をルドルフの手のひらに握らせる。槍での鍛錬の賜物だろうか。ルドルフの手にはマメがいくつもあり、ゴツゴツとしていた。


「結構です。ーー大変失礼いたしました、マシェリ様」

「用心深いんですのね、ルドルフ様は」

「当然です。万が一、人違いで名を呼んだりすれば、その者に私と貴女とのことを知られてしまう。下手をすれば不義を疑われかねません」


(不義って)


 マシェリは思わず目をぱちくりとさせた。騎士には一番似つかわしくない言葉である。


「パーティーは……残念でしたね」


 言葉を選び、気遣わしげにルドルフが言う。


「ええ。でも犯人は捕まりましたし、長い目で見てみれば、フランジア帝国に仇なす国や人間をあぶり出せたのは国にとって悪い事ではなかったはずです。損失分も、慰謝料上乗せでがっちり請求してやるとビビアン様が息巻いてましたし」

「な、なるほど……しかし、怖かったでしょう? 結界に閉じ込められて。足を怪我したと聞きましたが今、痛みの方は?」

「……。体の痛みなんて、大したことはありませんわ」


 はっ、と息を飲む気配がした。

 張り詰めていたいた糸がぷつりと切れ、涙が溢れそうになる。マシェリはきゅっと唇を噛み、決壊しそうになる涙腺をなんとか抑えた。


「クロエ殿下がどうなるのか、ルドルフ様はもうご存知なんですの? もし、知ってらっしゃるなら」

「……決定はしていないようです。しかし過去の例を申し上げれば、おそらくはカイヤニ公国への流刑が妥当な線でしょう」

「流刑……」

「女の罪人ばかり集めている、小さな島があるんです。カイヤニ大公いわく『国に大きな花街があるから』らしいです。本当のところは分かりませんが」


 罪人、という呼び方に背中がぞわりとした。


 首謀者だろうが、クロエは直接手を下したわけではない。ただ、マシェリの髪に魔石を仕込んだだけだ。

 妃候補から外され、マシェリと婚約した後も諦めきれず、グレンになんとか振り向いてほしくて、追いかけてほしくて。


 それが罪なら、愛もなく婚約を受けいれたマシェリだってきっと有罪だ。


「処分は、軽くできないのかしら」

「これ以上はたぶん無理でしょう。流刑でも、だいぶ軽くなった方なんです」

「……どういうことですの?」

「陛下ははじめ、片足か、片手を斬り落とすなりして、魔界とルシンキの国境辺りに転がしておけばいい、と言ってたんです。……魔物が片付けてくれるからと」

「……っ、そんなの酷すぎますわ。死罪も同然じゃありませんか」

「『祝福』を奪うことは、それだけ重罪だということなのですよ。マシェリ様」


 でも、と言いかけ口を噤む。ーー生垣の葉と枝の隙間から、ガサッと手が出てきた。

 何やら、薄紅色の可愛らしい包みを掴んでいる。


「こっ、これ……は?」

「貴女へ。バターをたっぷり使った焼き菓子です。今日、ちょっと遠出してきたのでおみやげに」

「あ……。ありがとう、ございます」


 少し面喰らいながら、マシェリが包みを受け取ると、またスッと手が生垣へ吸い込まれていく。


「殿下は、貴女を本気で愛しているのだと思います」


 マシェリの手から、薄紅色の包みが落ちた。

 気付いたが……動けない。


「貴女のためなら、禁忌を犯してしまうほど」

「禁忌?」

「殿下は、陛下の許可なく蒼竜石を持ち出してしまったんです。そして……それがルディ様の知るところとなってしまった」

「ルディ……様」


 優しい顔をしてるくせに容赦がない。ルディの鞭打ちを受けたクロエが、苦しげに訴えていた姿を思い出す。

 礼拝堂をふたりで出て行った、あの夜ーー


(まさか)


 マシェリは、震える体を両手で強く抱き締めた。


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