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 緑色の光が空高く旋回している。


 マシェリがそれに気付いたのは、最後のスコーンをごくんと飲み込んだ後だった。


「クルル」


 ルドガーの呼び声に応え、羽根に緑の光を纏わせた美しい鳥が舞いおりてくる。ふわふわと柔らかそうな冠羽に、長い尾羽、金色の瞳は宝石のように輝いていた。


「まあ、何て素敵。とても綺麗な鳥さんだわ」

「お褒めにあずかり光栄です。こいつは僕の相棒でして。使い鳥のクルルといいます。ーー空と陸での探索能力なら、イヌルにも負けません」


 ルドガーが、肩に留まったクルルの頭を撫でる。その手に、クルルが頭を擦り付けた。


( ずいぶんと仲良しなのね )


 マシェリは新緑色の目を細め、じゃれあうルドガーたちを見つめていた。



 使い鳥は本来魔界にのみ生息している。神獣と見まごうばかりの煌々しい見た目だが、れっきとした魔物だ。


 魔界と繋がっている洞窟から度々ルシンキ公国に迷い込んでくるため、ルシンキ公国ではその度に使い鳥を捕獲し、魔界へ送り返していた。

 しかし迷い込む数が多い上、すばしっこいので捕まえるのに人員も時間も割かねばならない。魔界は魔界で、条約破りの高額な罰金をルシンキ公国に支払わねばならず、お互いにとって長年頭を悩ます問題になっていた。


 二十年ほど前、魔王とルシンキ大公がようやく重い腰を上げる。当面の対策として、使い鳥のみ互いの国の行き来を解禁するという仮協定を結んだのだ。

 その際、迷い込んだ使い鳥の受け入れ先のひとつとして、魔術師が飼う事も同時に認められた。


 ただしーー反対する国民への配慮のため、使い鳥が万が一害鳥になり下がった場合、仮協定は即刻破棄、魔界へ強制送還という条件付きで。


( 害鳥なんて。カラスでもあるまいに )


 光の粒を散らしながら、クルルが空高く飛び立っていく。マシェリはそれを見送ると、先を歩くグレンのもとへ歩み寄った。腕にまわした手が、小刻みに震える。


「大丈夫? マシェリ」

「……ええ。やっぱりわたくし、こことあまり相性がよくないようですわ」


 煉瓦造りの古い建物が目の前にある。数段の階段を上り、ステンドガラスの小窓が付いた重厚なドアを開ければ、そこはマシェリにとってあまりいい思い出のないーーというか、トラウマしかないーー水竜の卵が逃げ出した現場の図書館だった。


「ユーリィ! 僕だ。例の本を持ってきてくれ」


 グレンが叫ぶと、奥の方で何やらガタガタと物音がした。

 大きく開いたドアから、司書のユーリィがひょっこりと顔を出す。白銀の長い髪が揺れた。


「例の本ってどっちですか?」

「は? どっち、って……そんなの」


 グレンが言葉を切る。その視線は、ユーリィが抱えている二冊の本を捉えていた。


「だから、魔本とおーーむぐっ⁉︎」

「そう、魔本だ。僕が君に頼んだのはそれ一冊だけだ。……そうだな? ユーリィ」


 グレンに口元を押さえられたユーリィが、目を白黒とさせる。


「僕は、他の本など断じて頼んでいない。……そうだろう?」


 美しく整った顔に浮かべる冷ややかな笑みは、もはや凶器である。ユーリィは首すじにナイフを突きつけられたが如く青ざめ、こくこくと頷くのみだった。

 マシェリとルドガーが同時に顔を見合わせる。ーーさわらぬ神になんとやら。


 目が、口ほどにものを言っていた。





「これが水竜の卵を封じ込めていた本だ」


 窓際の机に置かれた青い革表紙の魔本。

 最後の頁を開いて見れば、一昨日のまま押し花のしおりが挟まれていた。


 ルドガーがぱらぱらと本をめくり、ああ、と頷く。


「俺も小さいころ読んでもらったことあります。だけど最後は確か…….水竜がお姫様を湖底でもてなし、おみやげに宝箱を渡すんです。決して開けてはいけないと言い含めて」

「まあ。テラナ公国のものとはまた違う内容ですのね」


 マシェリは目を丸くした。

 テラナ公国に出回っているフランジア王国誕生物語の最後は、健気に尽くしてくれた水竜をあっさり捨て、お姫様は人間の王子様と結婚してしまう。

 水竜は深く傷付きながらも、二人の幸せを願ってフランジア王国を建国し、そのまま静かに湖底へと去って行くーーなどという、お姫様にとってかなり都合のいい展開になっていた。


「確かに。……けど、ルシンキ公国のもなんだか引っかかる終わり方だな。お姫様は結局、宝箱を開けたのか?」

「さあ? そこで終わりなので」


 それはそれで何だかもやもやする。


 微妙な顔になるマシェリの隣で、グレンが黒曜石の瞳を細めた。ひと差し指を添えた形のよい唇がふっ、と弧を描く。


「魔女に聞いたら教えてくれたのかもな。昔々、水竜の卵を封じ込めた」

「宮廷付きの魔女だったんですか?」

「いや。禁呪の森に棲んでいた魔女だと聞いてる。……僕は、名前も顔も分からないが」


 グレンは押し花のしおりを長い指先でつつ、と触れた。


「それは美しい、黒髪の魔女だったらしい」


(……美しさなら、貴方の方が)


 マシェリはそう言いかけて、やめた。まるで、焼きもちをやいてるみたいだから。


「一度会ってみたかったですね。ーーああ、それではこの本はお借りしても?」

「もちろん構わない。できるだけ急いでくれ。あまり遠くに行かれては捕まえられなくなってしまう」

「はい。すぐ始めます。ーーあ、でも」

「何だ?」

「契約は? ビビアン様には、ルディ様がいないから後でいいと言われましたけど」

「ああ、そうだな。夕方には帰ってくるから、その時にでも」


 グレンの言葉に、マシェリの眉根がぴくりと動いた。


「ルディ様、夕方にはもう戻られるんですの? わたくし、ご挨拶に伺いたいわ」

「そういえば、マシェリも会った事なかったね。でも、ごめん。今日は報告とかでバタバタしてるだろうから、多分無理だ」

「そう……ですか」

「水脈を開放させる時には必ず会わせてやれるから。ーーさ、そろそろ戻ろう」


 グレンが手を差し出してくる。年下なのに、マシェリよりひとまわりほど手が大きい。

 図書館を出ると、ルドガーが手をまっすぐに上へとのばしていた。空で旋回していた使い鳥のクルルが、その指先にふわりと降りてくる。


「……足ならもう平気ですのに」

「だーめ。ジムリからも無理するなって言われてただろう? 明日出掛けたいのなら、今日は大人しく養生するんだ」

「明日⁉︎」

「うん。湖の向こう岸まで散策にでも行こうかと思ってね。景色のいい場所があるんだ」

「養生しますわ!」


 マシェリは、グレンの腕にぎゅっとしがみついた。




※ 『クルル』は本編に一度だけ登場しています。マシェリの父親、ゲイルからの手紙を届けた使い鳥。

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