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昼下がりの明るい日差しの下、薔薇の生垣を目指して歩く。マシェリの足取りは、塔に上る前より軽くなっていた。
残っているのは、ほんの僅かな疼きだけだ。
「思ったより元気そうでしたわ」
「……そのようだね」
片頬が赤く染まったマシェリを見て、聡い皇子様が苦笑いで頷く。
ーー重い鎖に繋がれた手とは思えぬ一閃だった。
(あの一言のどこにそこまで怒る要素が?)
ぶつぶつと言いながらグレンの向かいの椅子を引く、マシェリの手がぴたりと止まった。
思わず頰が引きつる。
グレンはシャツのボタンを幾つか外して足を組み、けだるそうに椅子に座っていた。
無駄にととのった麗しい顔立ちと、背後にしょった生垣の薔薇の相乗効果で妙に艶っぽく見える。
本人にその気は無くとも、だだ漏れてるのはそこはかとなく妖しい夜の雰囲気だ。
マシェリはため息をつきつつ、白いテーブルセットの席に着いた。怪訝な顔のグレンを無視し、ターシャが淹れた紅茶に手を伸ばす。
「……少しは自重して下さいませ」
「何が?」
流し目で見ながら髪をかきあげる。だからそういうところを、と言いかけーーマシェリは言葉を切った。
宮殿の方からこちらへ歩いて来る二つの人影がある。まだ遠すぎて人相は分からないが、前を歩いているのはビビアンだ。離れて見ても、やはり顔が黒い。
「お休みのところ申し訳ございません」
黒い顔の鼻から下を白いフェイスベールで覆っている優秀な宰相は、恭しく頭を下げた。
「いや、構わない。……連れて来たということは、許可が下りたのか?」
「ええ。住まいはフランジアにあるものの、ルシンキ公国出身という事で、数人の大臣からは懸念の声もあがったんですが……陛下が『魔術師一人ごとき、大した脅威にはならん』とおっしゃいまして」
(昨日の今日でよくそんな事を)
マシェリはついしかめ面でビビアンを見た。細い切れ長の目と一瞬視線が合う。しかし、澄んだ緑色の瞳からは表情がまったく読み取れなかった。
「……マシェリ様」
「何でしょうか」
「先ほど、フローラが焼きたてのスコーンをお出しすると申しておりました。ですので、もう少々お待ち下さいませ」
「……」
こちらはひとの心情を深く読み取りすぎである。
マシェリは紅茶を一口含んだ。冷めたせいか、少し苦い。
ターシャに代わりを頼もうと振り返るが、いつの間にかワゴンごといなくなっていた。ーースコーンを取りにでも行ったのだろうか?
首を傾げつつ向き直せば、ビビアンの背後に隠れていた人影をグレンが引っ張り出していた。
「紹介するよ、マシェリ。こちらはルドガー・マーキン。水竜の卵の探索を依頼する事になった、将来有望な見習い魔術師だ」
気恥ずかしげに頭をかきながらマシェリの前に立ったのは、白いローブ姿の若者だった。
鋭い三白眼の顔立ちは、グレンとはまた違ったタイプの美形だ。茶色がかった長い黒髪はひとつに束ね、背中におろしてある。
「ルドガーと申します。未熟者ですが精一杯つとめさせていただきますので、よろしくお願いします」
ルドガーは胸に手をあて、マシェリに深々と頭を下げた。
「初めましてルドガー。わたくしはマシェリ・クロフォード。水竜の卵を逃した張本人ですの。ねえ、ビビアン」
「……私、ちょっとスコーンの具合を見てまいります」
ビビアンはそそくさと宮殿に戻って行った。ルドガーが不思議そうな顔でその後ろ姿を見送る。
「ビビアン様、よほどスコーンがお好きなんですねえ」
「ええ、そうね。オーブンの前で焼き上がるのを待ちわびすぎて、焦げるほどには愛してらっしゃると思いますわ」
半眼で淡々と語るマシェリを見て、ルドガーが目をぱちくりとさせる。グレンは顔を背け、笑いを必死に噛み殺していた。
パーティー前日に魔本から逃げ出し、未だ逃走中の水竜の卵。
国境は人海戦術で既に封鎖済み、皇都は精鋭の騎士数人がチームとなり、しらみつぶしに探している。モノがモノだけに触れ書きは出せないものの、何かおかしな噂でもあれば情報屋を通じてすぐ報せが入ってくるはずだ。
水場に寄って来ることももちろん想定し、テアドラ湖や川などは水の精霊イヌルが四六時中監視している。
これだけ万全を期した捜査網でありながら、未だ手がかりひとつつかめないのは何故なのか。捜索にあたっていた騎士の代表が、ひとつの可能性をビビアンに示す。
『被っていた卵の殻が割れたのではないか』
「邪魔な殻がなくなって自由になった水竜の子どもは、水脈を通って他国へ旅立って行きましたとさ。めでたし、めでたし」
「ーーちっともめでたくありませんわ……!」
「子どもというか、まだ赤ちゃんですよね?水脈は恐ろしく深いテアドラ湖の水底にあると聞きますし、そこに辿り着くのがそもそも不可能じゃないですか?」
まだ温かいスコーンをもぐもぐと頬張りながら、ルドガーがいたって冷静な分析をする。
フローラが焼いたスコーンは宮殿のコックが普段作る固めのものと違い、表面さっくり、中がしっとりとしていて、おいしい。半分に割った断面に果実のジャムをのせて頬張れば、口いっぱいにバターの香りと甘酸っぱさが広がり、紅茶との相性も抜群だ。
二つめのスコーンに手を伸ばしつつ、マシェリはしみじみと思う。優秀だがひと言多い、あの黒い顔がいなくて本当によかった。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
「ああ、お願いします」
黒縁メガネをかけた侍女のベルは、ワゴンで紅茶を淹れながら、目を輝かせてルドガーを見ていた。
しかし見目がいいからと見とれているのではない事を、マシェリは知っている。
丸顔でやたら愛想のいいこの侍女のポケットには、城内のありとあらゆる情報がつまったメモが隠されているのだ。
皇城内において、ベルは絶対敵にまわしてはいけない人間の一人なのである。
(味方なら心強い事この上ないけど)
いい噂話のネタができたとばかり、ほくほく顔でワゴンをひいて戻って行くベルを、マシェリは苦笑いで見送った。
あまり好きではなかったのか、グレンはスコーンに手を付けない。二杯目の紅茶を一口含むと、話の続きを切りだした。
「ーー赤ちゃんでも水竜は水竜だからね。それぐらいは平気でやってのけるだろう。……だが問題はそこじゃないんだ」
「じゃあ、どこなんですか」
「そうですわ。はっきり言って下さいませ」
「何で君たち二人が結託するんだ?ーーこれは、他言無用でお願いしたいんだが」
「大丈夫ですわ。墓場まで持って行きます」
「僕も鍵かけてしまっときます」
「……」
グレンは何故かむっとした顔で口を噤み、マシェリが半分皿に残していたスコーンに手を伸ばした。
キョトンとするマシェリの目の前で、奪い取ったスコーンを一口に頬張る。
「何をなさいますの!」
「……ごちそうさま。思った通り、甘すぎて口に合わないな。これは」
ならばなぜ手を出したのか。けろっとして紅茶をすするグレンを、マシェリが憮然とした顔で睨む。
ルドガーは視線をテーブルに落とし、残っていたひと欠片のスコーンを手に取った。
口に入れかけ、ふと手が止まる。
「マシェリ様。これ、よかったらどうぞ」
「え?」
ぽかんと開いたマシェリの口に、スコーンが放りこまれる。その途端、グレンが椅子からガタンと立ち上がった。
「僕にとっては十分脅威だ……!」
「……」
マシェリはもぐもぐと口を動かしながら、何となく……スコーンを飲み込むのが怖いな、と思っていた。
※ 『白ローブ』は本編のどこかで登場してます(隠れキャラ)よかったら探してみてくださいねー(*^ω^*)




