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36

 その『塔』は中庭の北端にある。円形のしっかりした石造りで、広さはさほどでないものの、尖った屋根の先は宮殿より高く見えた。

 マシェリは塔の内部にある幅の狭い螺旋階段を上っていた。まだ万全でない体調のまま、なんとか最上階まで辿り着く。


「大丈夫ですか?」


 待ち構えていた若い近衛が手を差し出してくる。手摺りを掴み、肩で息をしながら、マシェリはこくりと頷いた。


(この程度の……苦しさなんて)


 全然大した事はない。これから目の当たりにする現実に比べれば、そんなものは些事に過ぎない。


「こちらです」


 見張りの近衛が、鉄格子の小窓付きのドアに鍵束の鍵をひとつ差し込み、かちりと回す。――ギギ、と金属音を立てながら、ゆっくりとドアが開いた。


「……あら。こんな所までわざわざ会いに来てくれたの? マシェリ」


 紅より赤い、血で鮮やかに染まったクロエの唇が笑う。


 マシェリは絶句した。


 人懐っこい、少しからかうような笑顔は、昨夜と何も変わりない。しかし首と手足は天井から鎖によって吊るされ、まるで操り人形のような格好で拘束されていた。

 身に纏った簡素な白いワンピースは血にまみれ、あちこち裂けてぼろぼろになっている。鞭で何度も打たれたのだろう、白い肌には無数の傷が付いていた。


 『死よりも辛い苦痛を』――皇城の主がクロエに対して下した処分は、正に言葉通りのものだったのだ。


 マシェリの髪に隠されていた赤い宝石。それはテラナ公国の国宝だった。


 魔界でも幻と呼ばれるほど珍しい、魔力を持つ赤い花の魔石。魔術師が利用すれば、ほぼ全ての契約を無効にする事ができる。蒼竜石が魔力で結んだ、婚約の祝福ですらも。


 テラナ公国の公女が社交界デビューする際、国宝を身に付ける。それを知ったのは、今からちょうど一年前、マシェリが十五歳の時だった。

 その日ーーテラナ公国主催の夜会には、マシェリと同じデビュタントとして第四公女のクロエも出席していた。彼女の首元を彩る赤い魔石はその夜、他のどの宝石より美しく輝いていた。


「わたくし、クロエ殿下に聞きたい事があるんですの」


 近衛に鎖を緩められると、クロエは床にぐたりと横たわった。

 その傍へマシェリが歩み寄って行く。


「……。何を? もう、ルディ様に全部吐いたわよ。鞭で、打たれまくってる最中に。あんな、優しい顔して……容赦とか手加減とか、まるで無かったんだ……から」


 あえぐように喋りながら、クロエが歪んだ笑みを浮かべる。そうして笑った顔のまま、血を噴くように吐いた。


「クロエ殿下!」

「『殿下』は付けなくて、いいわよ。私はもう、公女じゃないもの。……それとも、嫌味?」


 今回の件に、テラナ大公は一切関わっていない。あくまでクロエとルシンキ大公の二人が共謀して起こした事件だ。

 その事を知ったテラナ大公は、クロエの身分を剥奪し、あっさりと切り捨てた。


(大公だから、なのだろうか)


 それとも、生来の性分なのだろうか。

 ーーマシェリには、分からなかった。


 マシェリは、クロエの口元をハンカチでそっと拭った。白い布地に、じわりと赤い染みが広がっていく。


「……っつ」

「ごめんなさい。痛かったかしら」

「貴女も……馬鹿ね。私、に……謝るなんて」

「……」


 マシェリはちらりとドアの小窓に目をやった。本当は、クロエに触れる事は許されていない。

 背を向けている見張りの近衛に気遣いつつ、ハンカチを仕舞った。


「でも、まさかメイサ殿下に……好きな男がいただなんてね。あの子まだ十二歳よ? ーーほんっ当に、ありえない。想定外にも……程があるでしょう」

「だからあんな雑な手段に出たんですか。指輪を填められるからと慌てて?」


 二人の計画に暴れる近衛が登場する予定は無かったらしい。マシェリを空いてる客室におびきよせ、結界に閉じ込めるつもりだったのだ。

 ちなみに、当の近衛はマシェリに殴られた怪我のせいで未だ伏せっている。なんとも運が悪い男だ。


「雑って! 失礼ねえ。……まあ、否定はしないけど?あいつ……私にまで掴みかかろうとしてたしね。目くらましのつもりか……なんか知らないけど」


 魔力の低い者が遠隔で人を操ると、視界が悪く人の区別がつきにくいのだとグレンは言った。

 だからきっと、()()()()のだろうと。


「ところで、いつからこんな計画を立ててらしたんですの? 随分穴だらけですけども」

「……そんなの、ルディ様から聞けば? てか、さり気なく馬鹿にしたでしょ今」

「そう思ってビビアン様に聞いたら、朝早く遠征に出かけたらしいんです。残念でしたわ」

「否定しなさいよ、全く。可愛げないんだから……にしても、ルディ様って化け物なの? たぶん昨日から寝てないはずよ。あの人。……まあ、私も同じだけど」

「寝てないんですか?」

「天井から手足吊るされた状態で、どうやって寝ろっていうのよ」


 クロエがマシェリを下からジロリと睨んだ。

 少々苛めすぎただろうか。真顔になり、マシェリはクロエから目を逸らした。


 横顔のまま、口を開く。


「ルシンキ大公は、娘であるメイサ殿下をグレン殿下の妃にと望んでらした。そして、そのためには婚約者であるわたくしが邪魔だった。だから、『祝福』を奪おうとした……そうですわよね?クロエ殿下」

「……」


 一度『祝福』を奪われてしまえば、マシェリとグレンは二度と婚約できない。メイサが妃に選ばれる可能性が一気に高まるというわけだ。

 矛盾はないし、事件を起こした動機として納得はできた。ーーしかし。


「わたくしにはどうしても分からないんですの。貴女がなぜ、こんな事をしたのかが」

「……」


 『祝福』そのものに価値はない。そしてクロエは今、妃候補ではない。


 彼女には得られる利益が何も無かった。


 だが計画の首謀者はクロエだ。祝福を奪える赤い魔石をルシンキ大公の前にちらつかせ、実行役になるよう迫った。その辺、二人の供述は一致している。


 ーーと、なれば。


「もしや、単なる嫌がらせですか?」


 ため息とともにクロエがゆっくりと起き上がった。鎖の、金属のこすれる音が狭い部屋に硬く響く。

 クロエは膝を抱えるようにして床に座ると、首の鎖をじゃらりと背中に下ろした。


「だったら何よ。処刑でもする?」


 冷ややかな口調でクロエが言う。


「そんな事……っていうか嫌がらせは否定しないんですのね? ひどいですわ。クロエ殿下」

「ひどい? ひどいのはどっちよ。私が欲しくて欲しくて、それでも手に入れられなかったものを、手に入れたくせに捨てようとして」


 はっとして顔を上げる。クロエの、紫色の双眸が揺らいでいた。

 強く噛み締めた唇に、またうっすらと血が滲む。


「あの魔石に『祝福』を閉じ込めたら、私は逃げ出すつもりだったのよ。フランジア帝国とテラナ公国、そのどちらからも」

「え?」


 目を丸くするマシェリに、クロエがくすりと笑う。二粒の滴が床にぽたりと落ちた。


「そうしたらきっと怒って、必死で追いかけて来るわ。お父様も、グレン殿下も。……そうでしょう?」

「確かに……あの魔石は国宝ですから、テラナ大公はそうするでしょうけれど。でも、グレン殿下は」


 追いかけるはずがない。奪われた『祝福』を取り返したところで、どうせ元には戻せないのだから。

 その答えに、間違いないと思うのに。


 "あり得ない"そんな理由でマシェリが呑み込んだ言葉を、クロエが代わりに口にする。


「きっと彼は来るわ」


 その声は、確信に満ちていた。


「絶対に来る。だって、他でもない貴女から奪い取ったものだもの。……そしたら逃げて逃げて、さんざん振り回してやるんだから。私を半日も待たせた挙句、妃候補から外した罰よ。ーーざまあみろ」

「……クロエ殿下」

「『殿下』はいらないって言ってるでしょ」

「じゃあ、クロエ」

「切り替えはやっ。ーー何よ。なんか文句あんの?」


 開き直ったようにぶすくれてマシェリを睨む。

 構わずマシェリはクロエの前にしゃがみ込んだ。


「そのやり方では、たぶん無理ですわよ?」


 逃げて、いくら振り回してもあの皇子様は捕まえられない。


「欲しければ、自分の方から行かないと」


 襟首掴んで迫るのが一番手っ取り早いですよ。ーーとは、さすがに言えなかった。


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