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 フローラからの報告を受けたビビアンを通じ、事件が皇帝陛下の知るところとなると、パーティーは即座に中止となった。


 白目を剥いた状態のルシンキ大公が発見されたのは、客達が皆会場を出てから半刻ほど過ぎた頃。場所は二階の演奏室の幕裏で、第一発見者は打楽器の片付けをしていた楽団員である。

 ルシンキ大公は近衛らに担架に載せられ、医務室に運ばれた際「鬼嫁に蹴り飛ばされた」とうなされ、息も絶え絶えの様子だった。そんなルシンキ大公を思いやり、医官のジムリはよく効く鎮痛薬を処方して差し上げたらしい。

 苦さで目を白黒するのを構わず、一気に口の中へ流し込んでやったというのだから、あの禿げ爺、大公相手にも全く容赦がない。

 しかし体力が戻ったルシンキ大公を待っているのは、聴取という名の拷問だ。良薬も罪を犯した現実も、決して甘くはない事を、彼はきっとこの先身をもって知る事となるだろう。


「……誰が鬼嫁なんですの?」


 ベッドに横たわっていたマシェリは、笑えない話をどこか楽しげに話す、空気の読めない婚約者をじろりと睨みつけた。


「蹴り飛ばしたのは否定しないんだな」

「正当防衛ですから」


 けろりとしてマシェリが言う。グレンは苦笑いで応じるのみだった。


「入ってもいいですかな」


 ドアの隙間からひょっこり顔を出したのは、医官のジムリだった。マシェリに気を遣ってか、叩扉が控えめすぎて気付かなかったらしい。

 グレンが椅子から立ち、入室の許可を出す。


「邪魔するよ。……ああ、顔色はだいぶ良くなったようじゃな」


 薄い白髪頭をポリポリと掻きながら部屋へと入り、年季の入った診察鞄を床へ置く。

 ひととおりマシェリの診察をし終えると、「ふむ」とジムリは頷いた。


「脈も体温も異常なし。薬湯飲んでおとなしくしとれば今日中にでも元気になるじゃろ。――まあったく、とんでもない跳ねっ返りじゃな。この嬢ちゃんは」

「でも、正当防衛ですから」


 ふん、と胸を張ってマシェリが言う。

 ジムリが一瞬何かを言いかけたが、グレンをちらと見たきり黙り込んだ。何を言ったところで無駄だ、とはっきり顔に書いてあった。


「だいたい結界と魔術師が感覚を共有するとかなんとか、普通の人間であるわたくしが知るわけないじゃありませんか」


 それが体のどの部分にあたるか、まして急所かどうかなど分かるはずがない。

 ーーもっとも、分かっていたら手加減したのかと聞かれれば閉口一択だが。


「確かにね。罪も非も全て向こうにある」

「わしもルシンキ大公に同情はせん。仕事だから一応はちゃんと治療してやったがな。あやつなどより、娘のメイサ殿下の方が心配じゃ」

「操られていた近衛に掴まれた手首ね?まさか、跡が残ってしまうとか……」


 マシェリは胸の前で拳をきゅっと握り締めた。それを見て何を思ったのか、ジムリがじりっと半歩後退する。


「処置が早かったから、そっちは大丈夫だろう。わしが言うのは、心の問題じゃよ」


 大公である父親が、自分をグレンの婚約者にするため、現在の婚約者であるマシェリを襲った。

 しかも、暴走を未然にくい止めようとした娘の健気な思いを踏みにじる、最悪な形で。


「そう……何かしてあげられる事はないかしらね。少しでも元気が出るような」

「ああ、それならもう手をうってある」


 グレンが部屋の隅にある戸棚へ立って行き、小さな引き出しから何やら紙を取り出す。


「今回の件で水脈を閉鎖しない代わりに、メイサ殿下と意中の相手との婚約を認めろとルシンキ大公に詰め寄った。この通り、婚約証明書に快くサインしてくれたよ」


 マシェリの目の前にぺらりと下げられた上質そうな厚手の紙には確かにメイサ殿下の名前と、ルシンキ大公のサインが書かれており、その上ご丁寧に血判まで押されていた。


 ーーその、相手の名前は。


「え」


 マシェリの目が真ん丸くなった。


「入ってもよろしいですか? 殿下」


 ドアから黒い顔を半分出し、後出して叩扉したのは優秀な宰相、ビビアンである。


(サラ、まだ閉じこもってるのね)


 結界にはじかれ、護衛としてマシェリを守らなかったことを気にしてかーー昨夜からずっとビビアンに張り付いている、とグレンが言っていた。『下手な慰めはかえって逆効果だから、サラの気が済むまで放っておいてやろう』

 マシェリは、グレンの提案を受け入れた。


「どうした?そんなに慌てて。お前らしくもない」

「どこが慌ててますの?」

「年がら年中、四六時中。同じ顔にしか見えんがな。わしには」


 よく違いが分かるな、そう感心したように言うジムリをグレンは綺麗に無視し、ドアへと向かう。


「カイヤニ大公なんですが」

「何だ? まさか、今さらメイサ殿下との結婚を渋ってるんじゃないだろうな?」

「いえ。……実は今」

「お見舞いの許可を貰えないかな? マシェリ様の」


 ビビアンの言葉を遮り背後から手を上げたのは、額に紫の宝石を貼り付けた若い大公。


「カイヤニ大公……来ていたんですか」

「それくらい許してくれてもいいだろう? グレン殿下。私は貴殿に言われた通りメイサ殿下の申し出を受け入れてさしあげたし、何よりマシェリ様の『祝福』の保持にひと役かった」

「……どういう意味ですの?それは」 


 ジムリに支えられながらベッドに起き上がったマシェリが問う。カイヤニ大公の唇がにっ、と弧を描いた。


「貴女は、ルシンキ大公の結界に二発目の蹴りを入れたきり気を失ってしまったんです。しかし術者であるルシンキ大公の方は、息も絶え絶えながら何とか気力で持ちこたえた。祝福を奪うチャンスが訪れたという事です。だが実際に奪いとる事は叶わず、そのショックで力が尽きた。……まあ、蹴られどころが悪かったせいもあるのでしょうが」

「……」


 憐むようなカイヤニ大公の言に、マシェリは無言でそっと目を逸らした。


「入室を許可しよう」

「よろしいのですか? 殿下」

「これ以上廊下でペラペラ喋られては敵わない。――ビビアン、カイヤニ大公のお茶の用意を」

「……御意」

「そうこなくっちゃ」


 カイヤニ大公はジムリと入れ替わりに部屋へと入って来た。


 丈が長く、袖の広い紫の衣を身に纏っている。

「失礼致します」一緒に入って来た小柄な従者は影のようにぴたりとその背後に寄り添った。


「おや。信用ないんだねえ」


 続けて部屋へ入って来た若い近衛が壁際に立つのを見て、袖に手を入れ、腕を組んだカイヤニ大公が顔をしかめる。


「警備上、普通の事ですよ。もしもお気に召さないのなら――」

「いいや。彼なかなか男前だし、特に問題ないよ」


 それ自体、やや問題のある発言である。しかし微妙な顔になるグレンと近衛を気にもせず、カイヤニ大公は鼻歌まじりにマシェリのいるベッドへ近付いてきた。

 空気の読めなさはやんごとなき方々共通の性質か。笑顔を貼り付けたマシェリの頰が、思わず引きつる。


「やあ、また会えて嬉しいよ。赤髪の姫君」

「……わたくしは姫ではありませんわ」

「つれないなあ。せっかく貴女に素敵なお土産を持ってきたのに」

「お土産?」


 差し出されたカイヤニ大公の手のひらに載っていたのは、小さな赤い宝石だった。

 それをまじまじと眺めていたマシェリの眉根がピクリと動く。


「これは……どこで?」

「貴女の髪に。会場で見かけて、あまりにも怪しかったから隙をみて掠め取った」


『君の美しい髪を触らせて貰えないかな?』


 そういえば、あの時声をかけられた。でも。


「髪には触れなかったはずだわ」

「私は手品が得意でね。気づかれぬよう触れる事など造作もない。――こんなふうに」


 カイヤニ大公の握り拳が、訝しむマシェリの前髪のすぐそばをかすめる。

 宝石は開いて見せた手から消え、前髪の真ん中にぶら下がっていた。それを見たマシェリの新緑色の瞳が大きく見開く。


「その石は、何者かの手によって貴女の髪に隠された」

「……意味が分かりませんわ。なぜそんな事を」

「蒼竜石の強い魔力によって結ばれた契約は、そう簡単に奪えるものではないからですよ姫君。ルシンキ大公は多少強い魔力を持ってるものの、所詮はただの魔術師だしね。目的を果たすためには、その石がどうしても必要だったんだろう。だけどこれを持ってるところを貴女に見られるわけにいかなかった。……だから()()は」


 『木の葉を隠すなら森の中』そんな言葉がふと頭に浮かんだ。

 ーーそして、隠すために伸ばされた、手の『主』は。


(そういう事か)


 赤い前髪にくっついたままの宝石を指先で弄びながら、ぽつりと呟く。


「殿下……は知ってたんですの?」

「……」


 たった数秒の沈黙が、ひどく長く感じた。


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