引き継がれる夢(3)
「先生! ただいま帰りました!」
紙袋を携えて、裏口からエルフィムが入ってくる。私は先に戻ってきていたレナードと共に、彼が買ってきたサンドイッチを食べつつ魔術書を読んでいた。
「お帰り、フィー。記事のほうはどうだった?」
「無事通りましたよ! って先生、ご飯食べてたんですか? 帰り道に新しいパイのお店があったので買ってきたんですが……よかったらレナードさんもいかがですか?」
「ありがとうございます。ええっと、エルフィムさん。記者をされてるんですよね?」
彼がそう問うと、彼女は楽しそうに話し出した。
「そうですよ! 事件やニュースとあらば、どこにでも向かっていっていろんなお話を書くんです! 不思議な事件なんかは、先生についてきてもらって手伝ってもらったりするんです。解決したらそれを記事として出してるんですよ。もちろん許可を取ってますから、レナードさんのことを無理に書いたりはしません、ご安心ください!」
そう言い終え、彼女は慣れた手つきでキッチンから大皿を持ってきて、紙袋から可愛らしい小さめのパイを取り出し並べていく。私は彼女が帰ってくる前に沸かしていたお茶を人数分注ぎ直すと、話を再開した。
「先ほどの魔法陣について調べました。すこしいじってあるようなのですが、本来の魔術がどのようなものなのかは分かりましたよ」
私は先ほど映写機で撮っておいた魔法陣の写真と比べるように本のページを机に広げて見せた。ページの一部を指さしながら説明を続ける。
「すこし古い術式が付与されているんですが、元はこの術式をもとに作られた魔術です。簡単に説明すると、これは術を掛けられたものの魔力を消費して、その術自体を継続させる、といったものですね。レナードさんの場合だと、貴方自身の魔力が消費されて、悪夢を見せる術が発動しているようです。」
魔力は元々、命の根源でもあるものだ。減った魔力は食事などで補うことも出来るが、それでも自分が保有する魔力が減りすぎてしまえば、命の危険に繋がることもある。
だが本来、人間の魔力と言うのは消費されることは無く、減ることもない。専門に学ぶ者以外は、その危険性を知るものは少なかった。
「なるほど……だから夢を見るたびに憔悴しているんですね。そうだったのか……この魔術、というのは、やはり誰かが意図的に僕にかけたものなのでしょうか……?」
彼は、納得しながらも不安そうな表情でそう聞いてきた。
「それについてはまだなんとも言えません。本来ならそう考えるのが普通ですが、今の時代、魔術をこのように使う人はほとんどいません。魔道具や家具等、魔術式を埋め込んだ道具を使うほうが、よほど効率的ですからね。このような、術式自体をいじって、人に直接かけるような魔術は、いわゆる呪術と呼ばれるものの類です。今ではおとぎ話とされるような、魔女が使っていた術、というものですね」
私は、少し乾いた口をお茶で潤しながら続ける。
「解決策としては、かけた本人を探し出して術を解除してもらうというのが一番手っ取り早いですね。それか、時間をかけて術式を解読して、確実に解除していく、という方法もあります」
それを聞いた彼は、考え込むように首を傾げ、そしてまたこちらを向き直した。
「そうですね、ここまでされる程、恨まれるようなことは……残念ながら思い当たりません。ですが、もしかしたらカーティス教授が何か知っているかも知れません」
「そういえば、この症状に心当たりがある、と仰っていたらしいですね」
病気ではない心当たりがある、と言っていたことを私は思い出す。魔術学研究の特別教授でもあるアンブローズに頼ってくるということは、何かしら思い当たる節があるのだろう。もしかすると、そのカーティスという教授が関与している可能性も考えられる。
「とりあえず、その教授に一度お話をお聞きしておきたいのですが……近日中、可能であれば今日にでも。連絡はとれますか?」
時間が経てば経つほど、この術による身体への影響は大きくなる。できる限り早く解決しなくては、彼自身も危ないだろう。
わかりました、とレナードが頷き席を立った。少し外します、と、携帯式の電話機を取り出しながら部屋を出て連絡を取りに向かった。
「はい、レナードです。今ハーヴァーさんの所にお邪魔してるのですが……はい、体調の方は今は大丈夫です、ありがとうございます。実は、はい。話をお聞きしたいらしく」
そんな会話が廊下から聞こえてくる。しばらくして戻ってきた彼から、今日の夕方頃に時間が取れるという旨を伝えられた。彼は、バッグの中から先程とは別の名刺を取り出して渡してくる。
「これ、教授の名刺です。ハーヴァーさんの名前で伝えておいたので、大学の関係者用の入口から入れるようになっているはずです」
それを受け取り、確認する。名前の下には、連絡先と共にアルストロ国立大学医学部医学科教授、と記載してあった。
「そういえば、レナードさんは医学部の学生でしたか。所属している研究室の教授なんですね」
「はい、今は助手のアルバイトのような事をしながら勉強しています。教授は父の友人でして……僕が小さい頃に父は他界してしまったのですが、親代わりのように良くしてもらってるんです」
少し悲しそうな笑顔を浮かべながら彼はそう語った。教授のことを随分と慕っているようで、彼について話しているレナードは幾分か表情が明るかった。
「それで、先程連絡を取った時、先生が僕には家に戻るようにと。確かに体調は万全ではないですし、お休みを貰っていますから……本当に申し訳ないのですが、ハーヴァーさんお一人で伺ってもらうことになってしまいます……」
「大丈夫ですよ、大きな大学ですから、場所も分かりますし。確かに少し休んだ方が良いでしょう」
表情を落とす彼に私はそう言うと、少し席を外すと言って作業部屋に向かった。奥の棚に閉まってある箱の中の、きらきらと輝く青い液体の入った小瓶を一つ取り出してリビングへと戻る。
「今日中にでも解決出来れば良いのですが、そう上手くいくとも限りませんので。これを。個人的に作ったものですが、魔力を直接摂取出来る回復剤です。悪夢を消すことは出来ませんが、消費される魔力はこれで多少は補えますので。魔力不足で起きる身体の怠さは軽減されると思います」
「何から何まで、本当にありがとうございます……どうお礼をすればいいか……」
「まだ解決した訳ではありませんから。無事治れば、是非うちの店をご贔屓にして下されば」
冗談めかしてそう言うと、彼は笑ってまたお礼を言ってくる。私自身、依頼を受ける理由は別にあった為、元から見返りを要求するつもりはなかった。
そうしてその場は一度お開きになった。レナードには詳細がわかり次第連絡すると告げ、彼が帰った後、私は夕方に向けて準備を始めた。
「予定通り夕方には大学に向かう予定だが、フィーはどうする?着いてくるか?」
「それはもちろんです! 先生の助手ですから、どこにだってお供しますよ!」
エルフィムは元気な声でそう返事をする。既に出掛ける準備の出来ている彼女は、先程までメモをとるのに忙しくしていて中断していた食事を続けている。
少し冷めたお茶と共に、残っているパイをちまちまと食べていた彼女が口を開く。
「先生、今回の話、どう思いますか?」
「……そうだな、まだ何とも言えないが。あまり良い状況とは言えないだろう。彼にかけられた術は、確実に悪意を持って作られたものだ。あのように少しずつ衰弱していくような呪術……使った人間は相当な恨みがあるんだろう」
そう言いつつも、私は少し疑問を持っていた。実際に話した時間は短いが、彼がそう恨まれるようなことをする人間性であるとは思えなかった。それにこのような古い術を使用する者に恨まれること自体、考え難いことだった。
「それにアンブローズの紹介だ。下手な人間を寄越すとは思えないしな」
今回の依頼者を紹介してきたアンブローズは、私の事情を知る、信頼出来る数少ない友人の一人だ。今は大学で魔術学の特別教授として定期的に教鞭をとりながら、国の研究室で魔道具開発の研究をしつつ、私の技術を買い取ってくれる取引相手でもある。
今回の件は、その彼の友人だというカーティス教授の教え子からの依頼ということになる。そうなってくるとやはり無碍に扱うことも出来ず、慎重に事を進めていきたい所ではあった。
「カーティス教授については、アンブローズの友人だと言うのなら教え子を呪うような人間ではないだろう……それにまだはっきりとは分からないが、この呪いの出処は大体予想がつく」
「そうですね、レナードさんも私のことを好奇の目で見てきたりしませんでしたし、きっといい人だと思います! それにお医者さんを目指してるんですよね、きっと感謝されることはあっても、恨まれることはあまりないと思いますし……何か事情があるんだと思います」
確かに、彼女はこの辺りで見るには珍しい森棲種だ。その特徴的な耳はもちろん、精巧な顔立ちや白く透き通った肌などが、良くも悪くも好奇の目を向けられることは少なくない。
最近では他種族の人間社会への進出が増えていく一方で、やはり物珍しさもあるため初めて会う相手だと特に、そういった目で見てくる事は多い。エルフィムはあまり気にしない質だったが、やはり普通に接してくれる相手は好意的に映るのだろう。
「そうだな、だからこそ尚更、はやくどうにかしてやろう」
実際、どのような事で恨まれるかなど分からない。それこそ逆恨みのようなものもあるだろう。
そんな不安を抱えながらも、準備を終えた私は大学に向かうべく、エルフィムと共に家を後にした。