短編 ニーナと赤紫色の思い出 その3
突然閉じたまぶたの向こう側に明るい光を感じた私は思わず目を開けた。目の前に広がるのは、自分のよく知る部屋の天井。私とジェシカの部屋だ。辺りを見てみると、窓際に立っているジェシカがカーテンをいじっている。…あれ、確か私、セシルと一緒にレポートを出しに行ったはずなのに…。何故ここにいるのだろう。その後の記憶がなくて混乱していると、ジェシカが私が起きたことに気付いたらしく、駆け寄ってきた。
「ニーナ、起きた?良かったー。というか、大丈夫?どこかおかしくない?」
「平気…ですけど。あの、私、書類を出しに行きましたよね?もしかして、夢だった…?」
混乱していると、ジェシカは呆れたような表情をした。その様子を見て、かなり迷惑をかけたようだと分かった。ごめんなさい…。それでもジェシカは丁寧に説明してくれた。私がレポートを提出した直後に気を失ったこと、そんな私をセシルがここまで運んで来てくれたこと…。そして、今はその翌日の昼らしい。…つまり、私はほぼ一日眠っていたということ…?というか、セシルにもかなり迷惑をかけてしまったような気がする。後でお詫びしに行かないと。
「あ、そうだ、昨日ギルさんに薬を貰ってきたんだけど…、ニーナが起きなかったから結局使わなかったんだよね。というわけで、用意するから今飲んで」
そう言ってジェシカは薬とお水を用意しに行ってしまった。…色々と申し訳ない。そう思いつつも、私は何となく夢の内容を思い出していた。…あの夢、久しぶりに見たな。魔法使いのほとんどはこの協会に属している。けど、たまに魔法を持っていてもここに来ない、という人もいるので必ずではない。それでもあの時の少年がこの協会にいる可能性はかなり高いと思う。一体誰だったんだろう…。フードで顔を隠していたからよく分からなかったし、もしちゃんと見ていたとしても、随分前のことだから、既に忘れていただろう。ちなみにあの時の赤紫色の花は一部を押し花にして今も大切に保管している。
「はい、ニーナ、お待たせ。薬だよ。苦いかもしれないけど、まあ頑張って!」
そう言って薬を渡された。…そう言われると、飲みたくなくなるんだけど。一応お礼を言ってそれを受け取ったが…、ふと私はあるものに気付いた。棚の上に飾られている、花。それは花の日に贈られる特別な花で、その色は――、あの時と同じ赤紫色。見間違いではなく、確かにそれは、あの思い出の色だった。
「ジェシカ……。一つ、いいですか?あそこに飾ってあるお花って、一体…」
「え?あー、あれ?昨日の夜、お見舞いにってセシルが持って来たんだよ。珍しいよね、あの花の赤紫色って。わたしも初めて見たよ。で、それがどうかしたの?」
しかし、途中からその言葉は聞こえていなかった。あの花をセシルが持って来たということは…。セシルが、あの時の――?早く、セシルに確認しないと。そう思って私はベッドを降りようとしたが、ジェシカに止められた。
「ちょっと、ニーナ!まだ安静にしてないとだめ。疲れてるんだから、しばらく休まないと。というか、そもそも薬すら飲んでないじゃない。話はそれからだよ!」
それで少し冷静さを取り戻した私は、大人しく薬を飲むことにした。案の定、苦い…。急いで飲みこんだが、それでも口の中に苦さが残っている。それをどうにか消そうと水を飲んでいると、不意に部屋の扉が叩かれた。ジェシカが怪訝そうな表情をしつつも扉へと向かう。そして、一言二言会話した後で戻ってきた。…後ろに、誰かを連れて。だが、それが誰なのか分かった瞬間、私は思わず立ち上がっていた。…が、一日寝ていたせいか足元がふらつき、倒れかける。けれど、完全に倒れることはなかった。…あの時のように、支えてくれる人がいたから。――セシルだった。
「ニーナ、倒れて一日しか経っていないんだからまだ大人しくしてろ。いや、そもそも無理するな!一人で全部やろうとするな、って言っただろう?」
「それは…、すみません…。反省してます。…って、それはいいんですけど、ちょっとお話ししたいことがあるので、少し場所を移動しませんか?」
私の言葉にセシルはほんの少し微妙そうな顔をしたけど、五分だけ、と言ったら渋々了承してくれた。ジェシカも非常に心配そうだったが、取りあえず許可してくれたので、私とセシルは部屋の外に出て、中庭へと向かった。普段は魔法の練習場所としても活用されている場所だけれど、今は誰もいなかった。とても静かで、時折風で木々が揺れる音だけが聞こえてくる。そこに着いた後で、私は早速質問した。
「単刀直入に聞きますね。…セシル、数年前の花の日に、私にあの赤紫色の花をくれましたよね?ヴェリエ国の街中で」
「…!覚えて…、いたのか。…そうだよ、けど、あの時の俺は顔を隠していたし、一度しか会ったことのない人のことなんて覚えていないかと思ってた」
「忘れているわけないですよ。だって、私がここに来ると決まった時、一番初めに思ったのが、またあなたに会えるかもしれない、ということでしたから」
けれど、入ってすぐにその考えが甘かったことに気付いた。この協会には、そこまで多くないとはいえ、それでも一人の人間を特定するには難しいくらいの人が存在していたから…。そもそも顔さえ分からない人だ。だから、私は半分それを諦めかけていた。それが今になって明らかになるなんて…。
「けど、どうして言ってくれなかったんですか?同じ研究をしていたし、話す機会はたくさんあったのに…」
「悪い。ニーナが覚えているかどうか分からなかったから…。けど、いつかはあの時の花をもう一度渡そうと思っていたんだ。…伝えようと思っていたこともあったから」
突然、セシルは真剣な表情をした。そんな雰囲気の変化に思わず私も背筋を伸ばした。けど、伝えたいこととは何なのだろう。そんな私に、セシルは静かな口調で問いかける。
「ニーナ…、ピンク色の花の意味、覚えているか?」
「え?えっと、愛と恋…、ですよね?急にどうして………、あ!」
そこでようやく私は理解した。あの花に込められた、本当の意味を――。最初に赤紫色の花をくれた時、セシルは紫色の「祈り」という意味で渡してくれた。けれど、あの花束は本当の、純粋な紫色ではない。もう一つの色が隠されている。赤紫色――、つまり、ピンク色の持つ「恋」の意味も込められていたということだ。最初にもらった時、私がセシルに言われたことを鵜呑みにしていただけで…。数年経ってようやく真意に気付いた私は何も言えなくなった。何をどう言えばいいのか分からなかったのだ。けれど、よくよく考えてみれば、確かに不思議だ。何故、彼が赤紫色の花をくれたのか…。祈りの意味ならば、普通に紫色の花で良かったのだから。私がその意味を理解したのを悟ったらしく、セシルは笑った。
「そういうわけで…、まあ、別に返事は急がなくていいよ。今まで通りに接してくれればありがたい」
「え…、あ、待ってください、セシル!その…、今まで通りは、嫌です。――私もあなたのことが、好きなので。そうじゃなければ、きっと私はあの時のことを今でも覚えていないはずです」
あの時、私は本当に嬉しかった。誰かから花をもらったのが初めてだったし、花を買ったとしても誰も気付かないだろうと諦めていた私に、その思いが否定されるべきではない、と言ってくれた人だったから…。しかし、セシルは私の言葉が予想外だったのか、ぽかんとしたような表情で私を見ている。あまりに反応がないので、もしかしたら聞こえなかったのだろうか、と思ったがそうではなかったらしい。しばらくしてからようやく喋り出した。
「いや、何と言うか…、正直、その答えを予想していなかったから…、驚いてた。その…、さっき言ってた言葉は本当に…?」
「このタイミングで嘘をつくわけがないじゃないですか。本心ですよ!」
私の迷いのない言葉に、「そうか」とセシルは嬉しそうに笑った。そして、あの時のように、魔法を使って赤紫色の花束を作った。二つの意味が込められた、あの日と同じ花。
「本当は昨日、直接ニーナに渡したかったんだけど、眠っていたから…。けど、君が覚えていてくれただけでも良かったよ」
そう言って、セシルは私に花束を手渡してくれた。――私と彼の、特別な花。それは、私たちを祝福するように色鮮やかに咲き誇っていた。
結局四月中に終わらなかったですが…、ニーナのお話完結です。
読んで下さり、ありがとうございました!




