第74話
ジェシカとイジュアが別の空間に連れ去られた後のこと。その時ゼンは研究室に籠って実験をしていた。この前から同じ実験を繰り返しているのだが、なかなか上手くいかない。そのため、ここ数日気分転換のためによくジェシカの練習に付き合っていた。もう少ししたらまた様子を見に行こうかと考えつつ、机に置いてある本を手に取る。そこに書いてある文章をしばらく読んでいると、ノックの音もなしに突然扉が開いた。ゼンは本から顔を上げた。
「…あれ、ユリア。入るときはちゃんとノックした方がいいと思うけど…。どうしたの?」
苦言を呈したが、彼はユリアの様子がおかしいことに最初から気がついていた。彼女がノックをせずに扉を開けるのはいつも通りのことだが、表情はこわばっている。ユリアはかなり急いでこちらに来たようで、しばらく肩で息をしていた。そこでゼンがちょうど近くにあった水を差しだすと、彼女は一気にそれを飲み干し、言った。
「ジェシカとイジュアが、急に消えたの。たぶん、『竜』にどこか別の空間に連れ去られたんだと思う」
予想外すぎるその言葉にゼンは一瞬意味を理解できなかった。なぜなら、彼らはちゃんと計画を立てていたからだ。もしその通りに状況が進んでいるならば、こんなことにはなっていないはずなのに。ゼンはしばらく考えていたが、前提となる情報が足りないことに気付き、詳しい経緯を話すよう求めた。
「それが、あたしとジェシカが話していたら急に『竜』が現れたの。それで、ジェシカがあなたに連絡しようと花を取り出した瞬間、真っ白な炎でそれが燃え出して…。その後いなくなっちゃった」
ゼンはうなずいた。こういう場合は、実際に現場を見に行くほうが早い。そこに何か、手掛かりが残っている可能性もある。彼は本を閉じ、机に置く。普段であればちゃんと整理してからこの部屋を出ているが、今はそれどころではない。器具などを全て出しっぱなしにしたまま部屋を出て、ユリアにその場所へ案内するよう頼んだ。その途中で更に詳しい説明を聞く。だが、聞けば聞くほど最悪な事態になっているような気がしてきた。
まず、ジェシカたちが姿を消す前に現れた人物が、魔法仕掛けなのかというユリアの質問に肯定したことだ。しかも、その後に彼が言った言葉。光華の魔術師以外は関係ない、というもの。それこそが彼の正体を証明している。そして、もう一つ。ジェシカは今、炎以外の魔法が使えない。魔法の花さえあれば、どうにかなる。花は非常に万能なものだ。けれど、それが全て燃やされてしまったということは…、彼女は、向こうの攻撃を防ぐことくらいしかできない。魔法仕掛けが人を操っている以上、操られている人を攻撃することはできない。色々と厄介な状況だ。どうにかして、彼女たちがいる空間に行ければ良いのだが…。考えているうちに、その場所にたどり着いた。近くには協会長やギルもいる。どうやら、不穏な気配を感じてやって来たらしい。よく見ると、彼らの視線の先には何かがあった。それは、古ぼけた鏡。
「…あれ、こんなところに鏡ってあったかな。しかも、こんなにぼろぼろな…」
ゼンは思わずつぶやいた。彼の言う通り、その縁の木の枠は朽ちている。ユリアがその目の前に立ち、表面をじっと見つめた。一見、何の変哲もないただの鏡だが…。
「これ、うっすらと魔法の気配を感じる。しかもこれ、『竜』が現れる前に感じたのと同じ気配!たぶん、『竜』が封印されていたものね。前にイジュアが言っていたわ。鏡の中に閉じ込めた、って…」
ゼンはその鏡をじっと見つけた。そこにはもちろん、彼やユリアの姿が映っている。しかし、一瞬、表面が揺らいだような気がした。それと同時に、赤い光がよぎる。ユリアもそれに気付いたらしく、小さく息をのむ。ゼンは目をこらした。ぼんやりとしていて見えづらいが、真っ暗闇の奥に、確かに誰かの姿が見える。それは、彼がよく知っている少女と、魔法使いなら誰でも知っている、非常に有名で強大な力を持っている魔術師。ゼンは鏡の中の世界に二人がいることを確信した。思わず協会長たちを見ると、彼らは苦々しい表情でうなずいた。彼らは既に、これを知っていたらしい。ギルが説明した。
「実は一つ、大きな問題があってだな。俺たちはこの中に入れないんだ。恐らく、この中にいる『竜』とやらがそう設定しているんだと思う。どうにかしてそれを解除できればいいんだが」
ゼンは試しに鏡の表面に触れてみた。確かに、冷たく硬い感触が返ってくる。ほんの少し魔法の力をぶつけてみたが、全く効果はないようだ。四人が鏡を前に考えていた、その時だった。
「…みなさん、こんなところで何をしているんですか?鏡の前で何かの儀式…?」
第三者の声が聞こえた。見ると、そこに大量の本を運んでいるニーナがいた。そこでゼンは、ニーナが魔法仕掛けについて研究していることを思い出した。彼女なら、魔法仕掛けの弱点などを何か知っているかもしれない。そのことが、空間を通り抜けるための鍵になる可能性がある。早速彼がそれを聞くと、ニーナはあっさりとこう答えた。
「それなら、一番は動力源を失わせることですね。魔法仕掛けは万能とは言え、名前の通り元はからくりです。そして、からくりは何かしらの力がないと動かない。ですから、その動力をなくしてしまえば、自然とそのからくりがかけた魔法も消えると思います。魔法仕掛けの場合はもちろん魔法が力です」
だが、それは非常に難しい。向こうは人の体を乗っ取っている。その人物と繋がっている限り、力をなくすことは不可能だ。それに、動力源が切れるまで魔法を使わせたら、操られている人間の方も危ない状態になる。ユリアも同じことを思ったらしく、ニーナに言った。
「他に何か、もっといい方法ないかな?魔法が切れるのを待っていると、色々と大変なことに…」
「他…ですか。詳しい特徴を言って頂ければ、場合によっては何か思いつくかもしれません」
そこで、彼らは分かっている範囲でその魔法仕掛けの特徴を話した。恐らくイジュアの方が詳しいはずだが、残念ながら彼女はここにいない。そのため、イジュアから話を聞いていたユリアが情報提供の中心となった。全て伝え終わると、ニーナは「そうですね…」と考え始めた。不意に抱えていた本の一冊を取り出し、ぱらぱらとめくり始める。そこで何かを確認したニーナは何故か満面の笑みを浮かべた。
「念のため確認しますが…、その魔法仕掛けって、非常に古いもの、なんですよね?つまり、劣化していたり、どこかが破損している可能性があったりするということですよね?」
「光華の魔術師が生きていた時代のことだし、相当古いわよ。仕掛けもそうだし、あの鏡も同じくらい劣化しているはずだけど。というか、見た目からして年代を感じさせるわね」
ユリアがそう答えて鏡を見遣る。相変わらずその面には真っ暗闇が広がっている。けれど、ニーナは納得したようにうなずいた。そして、他の方法を提案する。
「それなら、どこかに綻びがあるかもしれないですねー。いくら魔法仕掛けが強い力を持っていて意志を持っていても、元は物品です。構成のどこかが劣化によって解けていると思います。そのため、魔法仕掛けが力を使っても完璧にはならない。魔法のどこかに穴があるはずですよ」
つまり、人が入れないように鏡の表面にかけられた魔法にも、その綻びがあるということだ。そこからどうにか入ることができるかもしれない。少し時間はかかるかもしれないが、確かな手掛かりが見つかった。
読んで下さり、ありがとうございました。




