第63話
「――イジュア。何をしているの?薬草を燃やしたらまた宵闇に怒られるんじゃない?」
不意にそんな声を聞いた。振り向くと、そこにはユリアがいる。けれど、わたしの名前は、イジュアではない。そもそも、ここにユリアはいないはずで…。もしかして違う人を呼んだのかと思ったけれど、周りにはわたしたち以外誰もいない。どういうことだろう。そもそも、ここはさっきまでいたお花屋さんではなかった。木々に囲まれた、見知らぬ場所。協会と雰囲気が似ているけれど、明らかに違う場所だ。しかし、イジュアと呼ばれた「わたし」は、ユリアに近寄った。何故か勝手に体が動いている。どうやら、わたしはイジュア、という人の中にいるようで、自由に動くことはできないようだ。どうにかそこまで理解した。…どうしてこんなことに…?すると、「わたし」が口を開いた。
「違う。薬草を観察していただけだ。わたしは細かい作業とか、こつこつ積み重ねるような作業は好きではないからな。だから少し羨ましいと思っただけだ。大体、お前もよくいたずらしているくせに、人のことを言えないだろう。どちらも同じようなものじゃないか?」
口調はどこか荒いが、女性の声だ。イジュアさんって一体何者なんだろう…。しかし、その質問に答える人は誰もいない。そもそも、誰かに質問できる状況でもない。混乱している間にも話は続いていく。
「まあ、それはそうかも…。…あ、そういえば貴女に聞きたいことがあったんだ。南の方に一晩で国ができた、っていう話を聞いたんだけど、本当?普段はイジュア、あの辺りにいるでしょう?」
その話は、聞いたことがある。確か、授業の時に。その国は、光華の魔術師が建国に携わったと…、そう伝えられている。…ということは、これは、過去の話…?すると、尋ねられた方のイジュアさんは淡々とその問いに答えた。それは、彼女が何者なのかを示す言葉でもあった。
「ああ。それは、わたしがやった。色々と面倒なことがあってな。光華の魔術師として、今はあの国にいる。他の国には手出しするつもりもないし、心配するな」
その答えにユリアが息を呑む。衝撃で何も言葉を発せないようだった。わたしも、その言葉が一瞬理解できなかった。イジュアさんが光華の魔術師で、南に国をつくった、張本人…!?どうして、わたしは今、その時の会話を聞いているのだろう…?何も分からない。けれど、全く謎が解けないまま、突然景色が大きく歪み始めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…ジェシカ?おーい。大丈夫?もしかして、寝てる?」
急にそんな言葉が聞こえて、我に返った。突然、夢から現実に戻ってきたような…、そんな気分だ。わたし、一体…?しっかりと周りを見ると、あの光景の中の木々はどこにもなかった。つまり、ここはちゃんとした現実。夢では、ない。隣でユイカが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。何か反応しなければ、と思って、取りあえず大丈夫だとうなずいておいた。一体、何が起きていたのか。けれど、思考はちゃんとした形にならずに消えていく。頭がぼんやりとしている。まだ、あの森の中の光景が強く頭に残っていて…。ユイカはわたしが反応し始めたことに安心したようだったが、まだ少し心配そうな表情で、
「本当に大丈夫?さっき私がここに戻ってきた時には既にぼーっとしていて…。表現が難しいけど、目を開けたまま夢を見ていたみたいな…、そんな感じだったよ」
とさっきまでのわたしの状況を分かりやすく説明してくれた。その時の記憶は全くない。というか、いつわたしは中庭から戻ってきたんだろう。それすら思い出せない。疲れているのかな…?首をかしげつつ、ユイカが差し出してきたグラスを受け取る。ご丁寧に氷まで入れられている。それを揺らすと、氷はグラスの表面に当たってカランと冷たい音を立てた。カラカラとそのままグラスを小さく揺らしつつ、ぼんやりと考える。今のは、一体…。ユリアに聞いてみれば簡単に分かることだと思うけど、ここにはいないので分からない。でも、何か既視感のようなものがある。知らないはずの会話なのに…、どこかで聞いたことがあるような気がしてならない。それに、あの声もどこかで聞いたことがある気がする。確かに、知っているはずだ。もう少しでそれが思い出せそうなのに…。
「…そういえば、ゼンさんの方は元気?」
ユイカが不意に話題を変えた。そういえば、わたしはちょくちょくここに来ているけれど、ゼンは最近ここに来ていないような…。だからきっとゼンの方はユイカたちにはしばらく会っていないだろう。ゼンは真面目だからなあ…。そう思いつつ、うなずく。たぶん、元気だと思う。でも、しばらくまともに話してないから詳しい状況は分からない。一応、協会内でばったり会ったら一言二言くらいは会話する。ただ、ゼンは忙しそうなのですぐに行ってしまう。だから大した話はしていない。なので、それを断定できるかは分からなかった。研究が忙しそうだから、邪魔するわけにもいかないし。あ、でも、もしかしたら研究のために徹夜しているかもしれない。ゼンだったらそれくらいしそう…。自分の気になることはとにかく徹底的に調べるタイプだし。そんな話をしていた、その時。急にお店の扉が勢いよく開いた。その勢いに驚いていると、何故かそこには話していたばかりの人物がいた。それは、ゼンだった。急いで来たのか、息が乱れている。けれど、その表情はどこか強張っていて…。一体、何があったのだというのだろう?わたしは突然のことに固まっていたが、ユイカはすぐに驚きから立ち直って、
「あ、お久しぶりです!何か急いでいるみたいですけど、どうかしましたか?」
と普段と変わらない調子で尋ねる。接客とかしていると、急に何かが起こってもすぐに対応できるようになれるのかな?なんて、どうでもいいことを考える。…というか、状況が理解できない。ゼンは一時間くらい暇じゃないのでは?研究をしているから、って…。さっき会話した時、ゼンは確かにそう言っていた。時計を見てみても、まだ時間は連絡した時から一時間も経っていない。それが、どうしてここに……。ゼンはユイカに向かって軽くお辞儀すると、わたしの方に向き直ってこう告げた。
「ジェシカ、協会長が今すぐ戻ってこい、だって。一応、協会長が魔法の花を通じてそれを伝えようとしたみたいだけど、届かなかったって言って…。だから僕がここに来たんだけど」
……はい?どういうことだろう。あの協会長さんが今すぐ戻ってくるように言うってことは、何かが起こっているのだろう。でも、魔法の花には何の反応もなかった。そこでふと思い当たった。もしかして、ちょうどその時、わたしがあの不思議な光景を見ていた…?それで気付かなかったのかもしれない。けれど、だからと言ってその状況をすぐに飲みこめないのも事実だった。
「ま、待って。まだ買った花を協会に運んでないよ。結構量があるから時間が…」
そう言うと、ゼンは近くに置いてある花を見て、げんなりとした表情を浮かべる。
「…うわあ、確かに大量。それなら僕も手伝うよ。そうすれば一回で済むよね?とにかく、早く帰らないと。時間がないんだ、って協会長が言ってたから――」
そんな感じでわたしは慌ただしくお花屋さんを後にした。ユイカは驚きつつも、「また来てね」と笑ってくれたけれど…。ゼンに手を引かれて走りながら、考える。急に、何が起こったんだろう…。何も分からない。ただ、予感がする。何か大きなものがわたしを待っているような…、そんな予感。でも、こういうことが起こった時はいつも理由を説明してくれるゼンが何も言わないということは、ゼンも何も聞かされていないのだろう。それが余計に不安を煽る。
…そういえば、結局ハーブティーを飲めなかったな…。と、どうでもいいことが頭に浮かぶ。でも、そうでもしないと何かに対する漠然とした不安で、心の中がめちゃくちゃに荒れてしまいそうだった。
読んで下さり、ありがとうございました。




