第58話
「…っ。ゼン…!」
そう呼んだ、その直後。ユリアさんが生み出した蔦が一気に襲いかかってくる。その後ろで、ユリアさんの瞳がうっすらと新緑の色に輝いた。逃げないといけないのに、何故か足が動かない。そもそも、動けたとしてもこの場所には限りがある。どこまでも逃げることは不可能だ。絶体絶命…!だが、不意に真後ろで何かが壊れる大きな音がした。それと同時に冷たい風が吹きつける。その風は、わたしを通り越して目の前まで迫っていた蔦を凍らせた。勢いよく動いていた蔦は全て氷によってその場で動きを止められた。非常に強い、氷の魔法。冷たくも、美しい…。わたしは、こんなことができる人物を一人しか知らない。でも、まさか…。そう思いつつゆっくり振り向いたその先。いつの間にか壁となっていた岩の一部が粉々に砕かれていて、その中心に一人の人物が立っている。それを見たユリアさんが驚愕の声をあげる。まるで、信じられないものを見たかのように。
「どうしてあなたがここに…?!岩の扉はちゃんと封じていたし、そもそもあれは特別な印がないと開かないはずなのに……っ!」
その問いに、ゼンは少し笑って手に持っていた本を見せた。一見、何の変哲もない一冊の本だ。でも、それを見たユリアさんは息を呑んだ。注意深く見てみると、その表紙にうっすらと正方形のくぼみがある。それが、印…?ユリアさんはそれを見た途端、急に先ほどの勢いをなくした。どうやら自失しているようだ。今なら何もされないだろう。なので、その間にゼンの方へ向かった。
「ゼン、よくここに来られたね。この中、すごく複雑な迷路になっていたのに…。でも、助けてくれて本当にありがとう。すごく助かった」
「どういたしまして。それに、僕がそんな簡単にジェシカを見捨てるわけないでしょ?…とは言っても、協会長がくれた地図がなければ間に合ってなかったかもしれないけどね。これがあって良かったよ」
そんなことを言いつつも、ゼンは不敵な笑みを浮かべた。その表情と言葉に一瞬心臓が跳ねたような気がした。急にそういうことを言われると、非常に困る。しかも、いつもと違う表情されたし…。そのことに、非常に戸惑った。やっぱり、わたしはゼンのことが好きなんだな、とこんな状況にも関わらず改めて自覚した。さっきだって、思わずゼンの名前を呼んでいたし…。び、微妙に恥ずかしい…。聞かれていなければいいんだけど。たぶん岩に阻まれていたから大丈夫だと思うけど。もしも聞かれていたら、と考えたら少し怖くなってきたので、わたしは違うことを考えることにした。そもそも、今はそんなことを言っている場合ではない。えーとえーと。あ、そういえばさっき、ゼンは協会長さんの地図がどうこう言っていたけど…。
「でも、どうして迷宮の地図を協会長さんが持っていたの?それがあったら簡単にここから抜け出せたのに…。そもそもどうやってゼンはそれを手に入れたの?」
続けて質問すると、ゼンは丁寧にそれを説明してくれた。どうやらゼンはわたしが消えた後、ずっと迷宮内を回っていたらしい。その途中でわたしが落とした魔法の花を使ってギルさんたちが連絡してきてくれて、その時に必要なものを聞かれたという。その時に本を頼んだら、地図を挟んでそれを送ってきたのだという。すごいな…。さすが協会長さんとギルさん。ただ、地図自体は協会長さん自身のものではなく、初代協会長さんが作ったものなのだという。地図を見せてもらうと確かにそう書いてある…。でも、どうしてゼンは本を頼んだのかな。他にも色々と選択肢はありそうだけど…。すると、ゼンはわたしの考えていることを察したのか、苦笑して、だがその藍色の瞳に真剣な色を映してその理由を言った。
「実は、碧の魔女について気になっていた話があって…。ただ、その話の内容を全く覚えていなかったから何なんだろうな、って考えてたんだ。ちょうどその時にギルが連絡してくれたから、何となく…」
ゼンはそう言うと、そのうちの一ページを開いた。そこに、その碧の魔女の話が載っているのだという。そこには確かに碧の魔女という文字がいくつも載っている。わたしはざっとその内容を読んだ。そこに書かれていたのは…、先ほどのユリアさんの話のその後。当時の、つまり、初代協会長さん視点での物語。もしかしてこれが、協会の真実…?わたしは思わずユリアさんの方を向いた。彼女は未だ、呆然としている。あの正方形は、ユリアさんにとってとても大切なものなのだろう。そんな彼女に、ゼンが藍色の目をまっすぐに向けて声をかける。
「この本の正方形。これは、初代協会長が非常に大事にしていたんだって。よく見ると、うっすらと蔦の模様が入っているんだけど…、これ、ここへ通じる隠し扉のところにもあったよね。そんなに大事なところにこの紋章を使っているってことは、君は今でも彼のことを想っているんじゃない?」
その言葉に、ユリアさんは顔を歪めた。悲しそうな表情を浮かべる。恐らく、ゼンの言っていることが当たっているのだろう。けれど、本当の気持ちに気付かされた人の誰もがそれを受け入れられるわけではない。中にはそれを認めたくない人だっている。少なくともユリアさんの場合はそうだった。それに、本当の気持ちを暴くという行為は、逆にその人を傷付ける場合すらある。ユリアさんは、ひどく動揺した様子で一歩後ろに下がった。だが、それと同時に洞窟の中にふわりと風が吹いた。嵐の前のような、どこか危険をはらんだ風…。ユリアさんがうつむいて言った。
「…そんなの。どうだって、いいじゃない。あたしの気持ちなんてどうせ関係ないわ。どんなにあたしがあの人を想ったって、彼は来てくれなかったもの!!!」
その言葉の最後は悲痛な叫びだった。彼女がそれを言い終わらないうちに、異常な速度で蔦が生えてきた。今までのものと比較にならないくらいの太さと長さを兼ね備えている。これ、ぶつかったら絶対にまずい。外見だけで分かった。それらはユリアさんを取り囲むようにして真っすぐとこちらに無会ってくる。ゼンがいつもの冷静さでわたしを引っ張ってくれたため、当たらずに済んだけど…。でも、ゼンはかなり険しい表情をしていた。
「これ、どうにか止めないと彼女が自滅してしまう。それに、この蔦が迷宮を壊したら上が崩落するかもしれないし」
さらっと非常に怖いことを言われた。わたしはぞっとした。けど、魔法の花がない。ゼンが一応持っているけれど、それだって残り少ない。この数の蔦を燃やすことは不可能だ。一体どうすれば…。だが、躊躇している間にもこの場所の崩壊が進んでいく。時折その破片が当たり、痛みが走る。…けど、もっと痛くて辛いのはきっとユリアさんだ。蔦の中心でうずくまっている。それを見ていたら、放っておけなかった。何とか襲いかかってくる蔦を避けながら彼女の名前を呼ぶ。
「ユリアさん……!!」
けど、ユリアさんはわたしの声に怯えたように肩を揺らした。そして、こちらに向かって手を向ける。その目はやはり新緑の色。けど、今にも泣きそうな表情だった。その表情のまま、彼女は叫んだ。
「…っ。近づかないで!!!」
それと同時にひときわ長い蔦が向かってきた。しかも、それはかなりの勢いで……。咄嗟のことに逃げることもできずに立ち尽くす。わたしは蔦がぶつかることを想像し、思わず目を瞑った。その直前、わたしの目の前に藍色の何かが映ったような気がした。
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