第55話
気がつくと、わたしは蔦の生い茂る庭のような場所にいた。確かここは…、この前の夢と同じ場所。だが、頭が少しぼんやりとしているせいで、今が現実なのか夢なのか、よく分からない。そこで頬を思いっきり引っ張ってみたのだが、全然痛くない。…ということは、ここは夢…?ただ、この前と違うのはそこに誰もいないということ。碧の魔女と呼ばれていたあの少女はどこにもいない。取りあえず奥へと進んでみることにした。近くの小道に入り、先へ先へと進む。足を進めるたびに、植物の緑色が濃くなっていく。それ以外に、何も見えなくなる…。ふと振り返ってみると、先ほどわたしがいた場所も草に覆われていた。いつの間に…。どうやら、歩いた後の場所は全て草で覆われてしまい、他には何も残らないようだ。だが、不意に、目の前を蝶が舞った。きらきらと、輝く光を放ちながら。翅が動くたびに、手招きされているような気分になる。こっちにおいで、と呼ばれているような……。わたしは誘われるがままに更に奥へと向かった。辺りは不気味なほどに静まり返っていて、わたしが草を踏む音だけが聞こえる。時折、葉の先端に引っ掻かれた。小道の脇にあるのは、やはり蔦だ。まるで、何かを隠しているかのように何重にも重なって伸びている。どうやら、蔦の先には透明な塀があるみたい。そこからうっすらと別の場所が見える。ほとんど何も見えないが…。だが不意に視界が開けた。そこには名も知らない白い花が植えられている。その真ん中に立つ、一人の少女。わたしよりも一足先に彼女のもとへたどり着いた蝶がその指先に止まり、翅を休める。少女が小さく笑い声をあげた。…あの子は、さっき地下迷宮で会った女の子だ。自由に蔦を操る、碧の魔女。そう確信した。だが、その名前が出てこない。確かに、この前聞いたはずなのに…。大切な、ことだったはずだ。それなのに思い出せない。次の瞬間、白い花が一斉に宙へと舞った。そしてそれはすぐに落下しはじめ、視界を白く染める。思わず目を閉じた瞬間、夢から覚めた。
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花の真っ白な色の次は、今度は岩の灰色が目の前に広がった。確かわたしは、碧の魔女らしき少女が操る蔦に一人で閉じ込められたんだっけ…?そこで辺りを見てみたが、やはりゼンの姿がない。…もしかして、わたしだけここに移動させられた?持っていたはずの魔法の花まで消えているし…。一気に心細くなった。ここに一人でいるという状況が、とても怖い。誰か、一緒にいてくれる人がいたらどんなに心強いことか。ゼンが、いてくれれば…。思わずそんなことを考えてしまった。でも、少なくともここにはいない。ならば、どうにかして自分で探さないと。…取りあえず、先ほどの場所に戻らないと。ただ、ゼンがそこにいるとは限らないから更に探さないといけないな…。色々と考えつつ出口を探そうとしたのだが、そもそもそれが見つからない。どの方角も岩に塞がれていて、出られそうな場所がない。…どこかに、何か仕掛けがないかな?地下迷宮だし、あってもおかしくはないだろう。そう思ってコツコツ、岩をいじっていたその時だった。不意に、明るい少女の声が岩の部屋に響いた。
「あ、もう起きたんだ?意外と早かったわね。もうちょっと起きるまで時間がかかると思っていたんだけどなあ…。まあ、いいか」
驚いてそちらを見ると、いつの間にかそこに少女が立っていた。夢で出てきたばかりの…。恐らく、彼女は碧の魔女。その顔を初めてしっかりと見たような気がする。少なくとも見た目は、わたしよりも幼い。そして、その声と同様に非常に可愛らしい。瞳の色は翡翠のような綺麗な色で、ほんの少しだけ輝いている。やっぱり、さっき瞳が光って見えたたのは気のせいではなかったみたい…。
「…えっと…、色々と聞きたいことがあるんだけど、ゼンはどこ?」
一番先にそれを尋ねると、彼女は虚を突かれたような表情をした。そのまましばらく固まっていたが、やがて呆れたようなため息をついた。けど、どうしてそうなったのか、分からない。何か変なこと言ったかな。と考えていると、
「お互い、自分じゃなくて相手を心配するって……。どういう関係なのよ?」
何かをつぶやいたが、聞こえなかった。だが、すぐに彼女は呆気にとられたような表情を消して、にこりと可愛らしく笑った。それなのに…、冷たい雰囲気を感じるのは何故だろう。どこか怖くて…、それなのに寂しさを感じさせる。
「さあ、あたしは知らないわ。きっと今頃、一人でさっさと協会に戻っているんじゃない?一応、あの子には帰り道は教えておいたから」
戻った…。一瞬、その言葉に対して衝撃を受け、目の前が真っ暗になりかけた。どうしてそれだけのことで衝撃を受けたのか…自分でもよく分からない。でも、認めたくなくてわたしは自分に言い聞かせた。彼女の言っていることが本当かどうか分からない。わたしがちゃんと見たわけではない。だから…、ゼンが戻っていないことを信じたい。ただ、目の前にいる少女は非常に強い魔法の力の持ち主であることは確実だ。危険に巻き込むよりは帰っていた方がいいかもしれない。その方がどう考えたって安全だ。それに、地下迷宮を彷徨うことになったら大変だし…。我ながら矛盾している思いを抱えていると、少女は不意にふわりと手を動かした。その瞬間、地面から音もなく蔦が水のように溢れ出てきた。徐々に生長していく。今度は蔦で何をするつもりだろう…、と警戒したが、それは杞憂だった。彼女が手を翻すと動いていた蔦は光となって消えてしまった。きらきらとした光だけが後に残る。
「…ところで、貴女はあたしが誰なのか知っている?まだ、名前を呼んでくれていないけれど」
それは問いかけだったけれど、半分確信しているようだった。わたしが、彼女を知っていると。少女は口元に笑みを浮かべたまま、こちらを見た。分かっているなら言ってみて。そう彼女の目が告げている。
「あなたは……、六人の魔法使いの中の一人。…『碧の魔女』。違う?」
そう尋ねると、少女は更に笑みを深めた。とても嬉しそうに笑う。取りあえず正解したみたいだけど、彼女は「名前」と言った。恐らく本名はあるはずで、わたしは確かに夢の中でそれを聞いた。それが思い出せなくて困っている。思い出そうとするたびに、逆にその名前が離れていってしまうようで…。非常にもやもやする。しかし彼女は、わたしがそれを言えただけでも満足してくれたらしい。自らその名前を教えてくれた。
「ご名答。いかにも、あたしは『碧の魔女』。名前はユリア。ここでずっと、一人で暮らしているわ。理由は…、まあ、色々だけれど。でも、貴女が来てくれて本当に嬉しいな。だって、貴女もあたしと同じようなものでしょう?」
その途端、ようやくわたしの頭にもその名前がよみがえってきた。確かに彼女は「ユリア」と呼ばれていた。けど、「同じようなもの」って一体…?何を指してそれを言っているのだろう。気になったが、碧の魔女――ユリアさんはそれ以上何も言わずにただ微笑んでいる。だが、彼女の瞳には寂しさがにじんでいる。恐らく、理由は色々と言っていたけれど、本意ではないのだろう。…それじゃあ、どうして彼女はここに…?何か、大切な理由があるのかもしれない。「忠誠」や協会と何か関係はあるのだろうか?
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