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泡沫の夢-ほうまつのゆめ-

作者: 調 げた

夢を見る。

僕はいつも泣いている。

いつも誰かを探してる。

顔もわからない君の名前を、探している。


駅のホームを降りて五十歩先。

バスに乗って北東へ。

寂れた海岸に君はいる。



「やあ、また来たのか。懲りないね、君も。」

少女の黒いシルクのような髪を潮風がさらう、太陽の日がまっさらな白い肌を透かした。

「いつ来ようが僕の勝手だろ。」

「嗚呼、すまない。君にはまだ待ては早すぎたようだ。」

少女が触れれば折れそうなほど華奢な身体を震わせながら笑った。

「伸びたな」

そう微笑み少女は、踵を浮かせて僕の頭に触れる。

いつからだろう、少女の顔を見下ろすようになったのは。

昔は僕が見上げていたはずなのに。

いつの間にか少女の頭は僕の肩程の位置にある。

 少女の姿はとても幼い。

きっと見た目だけなら僕より年下だろう。

出逢った頃と変わらない十六歳の姿で少女は僕の前に立っている。

見た目とは裏腹に大人びた喋り方と言動、変わらない容姿。

少女はどこか普通ではなかった。

それでも。

「人を小馬鹿にするのもいい加減にしろよな。」

僕は気づかない振りをしている。

其れを口に出してしまったら、泡となって消えてしまう気がするから。

「なんだ、拗ねたか?」

「拗ねてない。子供扱いするなよ、今年で十八なんだから、もう立派なおとなだろ?」

「いいや、子供だよ。私からすればな。」

少女の横顔はどこか寂しそうで、僕は胸がぎゅっと苦しくなった。

其れはどういう意味なのか。

そう問いただそうとした言葉を、僕は反射的に飲み込んだ。

「な、なんだそれ。いい歳して厨二病発言かよ。」

「ちゅうにびょう?なんだそれは。君は今年で高校三年生だろ」

「いや、そう言う意味じゃないんだけど」

「なんだ、違うのか。」

ビー玉の様に大きな目を見開いて驚いている

いや、驚き過ぎて目玉が溢れそうになっている。

どうやら、本気で中学生のことだと思っていたらしい。

こういう所は見た目相応だと、こみ上げてくる笑いを堪えるために目一杯お腹に力を入れた。

「おい、君。今、私を見た目相応だとか失礼なこと考えなかったか?」

「・・・。」

「なんだその顔は!正直に白状することだ。さもなくば、坐摩大神の鉄槌が下るぞ。」

もう駄目だ、ギブアップ。

必死の抵抗も虚しく僕は盛大に吹き出してしまった。

この後、少女の鉄槌を受けたのは言うまでもない。

 暫く少女と思い出話に花を咲かし、気が付くと辺りが薄暗くなっていた。

「今日はもう遅い。君は先に帰るといい。」

少女はいつもの様に僕を急かした。

去年までの僕なら、素直に帰っていたところだが今回ばかりはそうもいかなかった。

「あのさ。なにか、忘れてない?」

「・・・。何のことだ。」

「名前。僕が十八歳になる夏の日に、教えてくれるんでしょ?」

そう、僕は出逢ってから今に至るまで一度たりとも少女の名前を聞いたことがない。

厳密には、何度か訪ねたことはある。

しかし、其の度に技巧みに流されてしまっていたのだ。

だが去年、ついに僕の努力が実を結んだ。

天に昇る思いとは正にこの事だと思った。

なぜ少女が、突然あれほど拒んでいた名前を急に教える気になったのか、そんな単純な疑問さえ浮かばない程、僕は舞い上がっていた。

 その場に長い沈黙が流れる。

僕は緊張で聞こえているはずの波の音すら聞こえなかった。

沈黙を破ったのは少女の深いため息だった。

「やはり忘れていなかったか。君の記憶力にはたまに驚かされる。その記憶力、勉強に使ってみたらどうだ?」

 学年トップも夢じゃないぞ?

少女はいたずらをする子供の様ににやりと笑った。

「余計なお世話だよ。後、話をすり替えようなんて無駄なこと辞めた方がお互いの為だと思うよ。」

ばれたか。

少女はぼそりと呟いたつもりだろうが、丸聞こえである。

「嘘つきは坐摩大神の鉄槌が下るんじゃなかったの?」

僕はここぞとばかりに少女にまくしたてた。

「・・・。わかったよ。降参。」

そう言うと、少女は大袈裟に両手を上げてみせた。

「私の名前は・・・・・」


ヤオだ、と少女は言った。


「八に百と書いてヤオ。八百万のヤオ。」

「八百か、変わった名前だな。」

「嗚呼、」だから言いたくなかった。そうこぼす八百の表情はかすかに曇っていた。

自分のことについて一切話したがらない少女のことだ。

他に理由があってもおかしくない。

普段の僕ならそう思っただろう。

だが、この時の僕はどうしようもなく浮かれていた。

「いいじゃん。個性があって。近頃は子供の名前に個性を求める親がわんさかいるくらいだ。」

「名前に個性か、昔は名前なんて個人を区別するだけのものだったのにな。まったく理解に苦しむよ。」

少女、いや八百と別れ、僕は今に破裂しそうな心臓を胸に街灯の少ない小道を歩いていた。

ふと、スマホをみると十一時と表記された液晶画面が僕を照らした。

まずい。これはまずい。

全身から血の気が引く音が聞こえた気がした。

 何故こんなに焦っているのか、その理由は母の兄、僕の叔父にあたる、ゲン叔父さんにある。

叔父さんは普段、温厚で人望も厚い漁船の船長だ。

しかし、そんな叔父さんにも欠点はあるようで、叔父さんはここらじゃ有名な気早。しかも、せっかちゲンさんと通り名がつく程である。その為か、一分一秒のロスすらよしとしないのだ。

今日、叔父さんの家に尋ねる約束の時間が午後八時、既に三時間も過ぎてしまっている。

「た、只今帰りました。」

正直、不在であってほしい。

しかし、そんな僕の願いも虚しく鬼の形相をした叔父が台所から何故か大振りの包丁を片手に現れた。

「おーようきたな。遅かったじゃねぇーか。道でも迷ったか?」

目が笑っていない。

「いや、その、」

僕が八百の存在を伝えるべきか決めあぐねていると。

「まあいい。今日は早く寝ろ、明日から大時化だ。」

「え、時化って。台風でもくるの?」

「いや、数百年に一回起きる大災害だ。俺も体験したことはないが毎年多くの死傷者がでるらしい。おめぇーよ、人魚って信じるか?」

「人魚?」

何故か八百の顔が脳裏に浮かんだ。

「八百比丘尼伝説だよ。その昔、この地に美しい娘がいた。娘の父親は村の長でそれはそれは幸せに暮らしていたそうだ。だが、ある日。長の元に見た事のない魚が網にかかったと知らせがあった。その魚は人の姿をしていたそうだ。」

「それが人魚?」

「ああ、そうだ。当時、人魚の肉は不老不死を与えると信じられていてな。村人たちは人魚の肉を食おうとした。だがその場で食べた者はおらんかったそうだ。村人たちは気味悪がってその肉を捨てていった。しかし、その長だけはこっそりと肉を持ち帰っちまったんだ。不老不死を水に流すのが惜しかったんだろうなぁ。それが間違いだった。長の娘が肉を見つけて食っちまったんだ。それからだ。大災害が起こるようになったのは。」

何故か心臓がうるさい。

「その、長の娘は、どうなったの。」

「なんだ気になるのか。十六歳で体の成長が止まり八百年も生き続け、晩年は尼となり洞窟に入ったきり行方知れずになったそうだ。、一説にはまだ生きているという話もあるがな。」

その言葉を聞いた瞬間、僕は弾かれたように叔父の停止も聞かずに家を飛び出していた。

外は既に荒れていて立つのがやっとだった。

波が唸りをあげている。

気を抜いたら自分が飛ばされてしまいそうだ。

それでも、会いに行かなければ。

きっと君はあの場所に居るはずだから。

会いに行ったとしてなんて言おう。

きっとなにも言えないだろう。

ただ、会いに行かなきゃいけない、その衝動に駆られたんだ。


「八百!!」

少女はいつもの場所に立っていた。

黒いシルクの様な髪を濡らして。

「やあ、また来たのか。君は暇なのかい?」

その表情はいつにも増して影が差しているように見えた

「何故来た。もう気付いているだろ。」

少女の冷たい視線が僕をとらえる。

「私は今日この地を離れる。もう君とも会うことはないだろう。」

「な、んで。」

本当はわかっていた。

きっと出逢ったその日から、なんとなく感じていた。

見て見ぬふりをしていただけだ。

だって。知ってしまったら、君は僕の前から消えてしまうから。


「私が八百比丘尼だからさ。」


「私は人魚の逆鱗に触れてしまった。君も知っているだろ。人魚の怒りは嵐を呼ぶ。だから、これは私が招いたことだ。もっと早くにこうするべきだった。でも、確証がなかった。いや、これは言い訳だな。」

伏せた瞳が少女の白い肌に影を落とす。

「怖かったんだ。もし、己の身を投げた後、何も変わらなかったら。

災害が治まらなかったら。私の全てが意味を失う。そうなってしまったら、生きようが死のうが私の存在は無いのと同じだ。」

少女の声は微かに震えていた。

「私は生き過ぎた、私を知る者は常世にはもう存在しなかった。

ならば、もう救う価値などないとすら考えた。そんな時だ。君と出逢えたのは。」

僕の滲んでいく視界が映したのは十六歳の見た目とは裏腹に悠然とした少女の姿だった。その瞳は凛と力強く前を見据え、迷いなどしずくの一滴も感じさせない。人魚すら悋気させる程美しい半妖は、泡沫の笑みを僕に向けた。


「君との八年間はとても楽しかったよ。私には勿体ない程に。」


少女は小さな声でぽつりとこぼした。

お陰で決心がついた、っと。



「ありがとう。最高の八年間だった。」



少女の触れれば折れてしまいそうな程華奢な身体が宙を舞った。

黒いシルクの様な髪が重力に逆らって流れていく。

海水が少女のまっさらな白い肌を飲み込んだ。

















「なあなあ、進路決まった?」

外には痛いほどの日差しと五月蠅い程のセミの鳴き声が鳴り響いている。

「適当な割のいい会社にでも就職するよ。」

「おまえなぁー。もう成人だろ?そろそろ真面目に進路考えようぜ。」

夏は嫌いだ。

暑いし、セミは五月蠅いし、何よりなによりおかしな夢を見る。

その夢の中で僕は泣いていて、唯々悲しみと喪失感だけを残して朝を迎える。

なぜ自分が泣いているのか。

未だにわからないでいる。

「なあ。そういえば今日じゃね?」

「何が」

「福井県若狭市の大災害。あれ凄かったよな。数百年に一度の大型台風、直撃は避けられないって騒がれてたのに突然跡形もなく消えたんだから。」

「あー、あの人魚の奇跡とか言われてネットで騒がれてたやつか」

「そうそう、人魚かー、会ってみてーな。なあ、人魚に占ってもらえよ。お前にいつ彼女ができるか。」


「余計なお世話。ほら、次、移動だろ。行こうぜ。」


「ちょっ、待てって!」



今日も。騒がしく、めまぐるしい一日が終わる。

当たり前の夜が来る。




今日も。

夢の中の僕が笑い合える未来を願って眠りに落ちた。


                        


-end-


人の記憶とは水泡のように儚いもの。

きずかぬうちに消えてしまう。

私はそんな儚さに惹かれてしまうのです。


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