1.ガラスの靴で踊りましょう
「うわぁ、足かゆい。絶対ここら辺ダニいる。」
灰音はジャージに使い古した靴下と軍手、マスクをつけた状態で物置の前に立っていた。いわゆる完全防備だ。
「うぅ、行きますか!」
軽く息を吸って灰音は威勢よく、物置に入って行った。
「ゴホッ、ゴホッ。」
灰音を出迎えたのは、カビた畳のような妙な匂いだった。目の前にあるタンスのようなものの上には、雪のような白いホコリが2センチほど積もっている。
長い間誰も足を踏み入れなかったこの物置は、一応室内とはいえおそらくゴミ屋敷のプロでさえ入るのを躊躇うくらい汚かった。その中を灰音は何かを探しているかのように辺りを見回しながら進んでいく。ふと、灰音は一つの古い戸棚の前で足を止めた。
「お、鍵穴発見。どれどれ。」
灰音は古びた戸棚に鍵穴がついているのを見つけた。すると、いきなり無造作にジャージのポケットに手を突っ込んだ。しばらくたって、灰音は古い銀色の鍵を取り出した。
その鍵の色は戸棚の色によく似ている。
灰音は唾を飲み込み、無言で鍵を鍵穴におし当てる。
「......。」
カチリ、時が止まっているかのように静かな物置に鍵の開いた音が響いた。
ドキドキと鳴る心臓を抑えつけ、灰音はゆっくりと、戸棚を引いた。
「......封筒?」
中には茶色の封筒が入っていた。何度も見返したのだろうか、四隅が擦りきれてボロボロになっている。
「何々。......診断書?」
本当に時が、止まってしまったかのようだった。
「......え?」
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「何で父さん、出ていっちゃたんスかね。」
突然、星乃は無邪気な笑顔で言い放った。
「......。」
星乃は櫛を持ち、顔を灰音の方へ向けている。髪の毛を結びながら灰音の返事を待っているようだ。
「......知らない。そんなこと。」
「そうスか。ちぇー、物知りな灰音なら知ってると思ったのになーっ。」
星乃は頬をリスのように膨らませている。
「私達双子なんだから知識量なんて大して変わらないでしょ?」
「えー、変わるッスよ!もう!」
(はぁ。)
不満を口にする双子の妹に、灰音はそっとため息をついた。
「ところで、時間ヤバくないッスか?」
「あ。」
7時30分。遅刻寸前の電車に間に合うかどうかという時間だった。
「不味い!星乃、急ぐよ!」
「アイアイサー!!」
――ガラッ。灰音が勢いよく教室の扉を開けると、まだ担任は教室内にいなかった。間に合ったようだ。ノロノロと自分の机に向かい、椅子に腰を降ろす。
「うわぁ、アイツ髪ぼさぼさじゃん。汚い!」
黒髪ロングが自慢の髪を弄りながら嘲笑う。
「てゆーかー、遅刻ギリギリとかウケる。」
茶髪のピアスが手を叩く。
「まぁアイツ今父親いないらしいからねえ。」
委員長が目を反らす。
「でも星乃ちんはちゃんとしてんじゃん。」
「それなぁ!見習ってほしいよね!」
灰音は机の下で拳を強く握りしめた。
(だいじょーぶ、だいじょーぶ。)
「あ、次理科室だ。」
もう少しで昼休みが終わる頃、灰音はいきなりそのことを思い出した。急いで荷物をまとめ、廊下に飛び出し走り出す。ペンケースに入れたペンがカタカタと音をたてた。
「ん?」
廊下の先に星乃がいた。友人らしき3人ほどの女の子と一緒だ。笑いあっていて、とても、とても、
――楽しそうだ。
灰音が思わず目の前の光景に見入っていると、星乃と目があった。
友人達に囲まれていた星乃が、灰音に軽く手を振った。
その、灰音とは違う、スカートから伸びるすんなりとした足や意思の強そうな凛とした目、幸せそうな笑みが灰音の網膜に焼き付いた。
―― 気が付くとその場から走り去っていた。
階段を一段飛ばしでかけ降りる。
「あ、」
階段のへりに上履きが引っ掛かった。派手な音がして頭とすねをひどくぶつけ、上履きが宙を舞う。しかし、上履きも拾わず駆け抜ける。
――かまわない。逃げろ。逃げろ。
これ以上、惨めになる前に。
灰音は階段の下にある体育準備室に走り込み、強く扉を閉めた。ここは、ほとんど誰も来ない上に、そこそこ清潔で昼間から夕方までは日光が入ってこないため薄暗い。
「ふうっ」
灰音は無意識に詰めていた息を吐きだした。それと同時に、抑えていた涙が、感情が、次々と溢れでてくる。
「うあぁああぁっ!何で、何で、私頑張ってるのに、嫌い、嫌い、嫌い!何で認めてくれないの!いいなぁ!星乃は皆に愛されて!何の努力もしてない癖に!私は、私は、これ以上努力なんて出来ない。もう嫌だ。死にたいよ。苦しい。誰か、助けて......。」
「いいよ。」
「へ?だ、誰!?」
気が付くと、灰音が強く閉めたはずの扉は開いていた。そこから光が漏れ出していた。
星乃ちゃんはいい子です。ちょっと無邪気過ぎるだけで。