1-5 学食にて
筑緑大学の第一学生食堂。
昼には賑わう学食も、午後二時過ぎには人気が無くなる。
大量の食器を整理してるのか、厨房からは絶えずガチャガチャと音が響いていた。
もっと静かでオシャレな休憩所は、大学構内にいくらでもあるが、俺はこの時間の食堂が一番好きだ。
ほどよい生活感、なんといっても無料で麦茶も飲めるわけだし。
その無料麦茶を飲みながら、俺は友人に相談をした。
俺の部屋……奇妙なまでにゴージャスリフォームされた105号室のことを。
「さすが、灰田クンは僕を飽きさせないねえ」
目の前に座っている友人――
鈴木諭戒は、実に楽しそうにニヤついてやがる。
大学の唯一の友人である鈴木は、下の名前が「諭戒」だ。
論じて戒める、とはとても思えない。
単に、世の中のこと、他人のことを愉快がる奴だ。
長身で色白で、切れ長の目と大きな口が特徴。
顔立ちは整っているが、ピエロっぽい奴という表現がしっくりくる。
間抜けなピエロじゃなくて、なんとなく怖い面もあるピエロ。
まあ、普段は明るく屈託がないので、不愉快でないことが救いだが。
「お前、口元が笑ってるぞ。面白がってないか?」
「うん。だって、面白いじゃない。わざわざ、いわく付き物件に引っ越したなんてさ」
断定口調の鈴木に、俺は少しむっとして言い返す。
「まだ、いわく付きと決まったわけじゃ……」
「いや、是非いわく付きであって欲しいね。僕曰く、いわく付きだよ。そりゃ。フフッ」
全く悪気のない鈴木の楽しげな様子に、反論する気も無くす。
確かに俺もあの部屋は、過去に何か不幸があったのではないかと考え始めていた。
俺は部屋の内見の際に「この部屋は、以前の住民が自殺とか他殺とかの、いわゆる事故物件ですか?」とは訊かなかった。
いい加減な夏目さんのことだ、今さら訊いてもシラを切られるだろうけど。
ただ、やめとけばいいのに、俺は余計なことを考えてしまう。
俺の発達したシミュレーション能力が発動して、想像をリアルに加速させるのだ。
血の跡が至る所にあったのだろうか?
死体はどこで発見されたのだろうか?
死体はどのぐらい腐敗していたのだろうか?
虫……とか湧いたりしてたんだろうか。
蟲……とか湧いたりしてたんだろうか。
うぎゃー! やめよう。
……でも、あれほど徹底したリフォームがされる事件って、どんだけ凄惨だったんだろうか。
ぐわー、まだ想像が止まらない。
ううう、静まれ、俺のシミュ力。
「しかし、わざわざ事故物件を引き当てるなんて、凄いねえ。僕なんか内見もせずに、アパート名だけで入居を決めたのに、何のトラブルもなかったよ」
「そりゃーよござんした」
一言だけ返事を返し、麦茶に口をつける。うむ、今日も無料の麦茶は旨い。
鈴木は唇を尖らせ、拗ねたように俺に問う。
「灰田クンが宿舎から出たいって言ったとき、僕のアパートもお勧めしたのに。
何が不満だったのさ?」
「やだよ。お前と一緒のアパートなんて」
軽口を叩き返答するが、確かに悪くないアパートだった。
ただ、昔ながらの風情があって、コミュ力がない俺には無理そうだった。
この辺りの地区――筑緑学園都市は、元々雑木林しかない北関東の田舎に、筑緑大学が設立されて発展していった。
だから学生街のアパートは、元は畑や雑木林のあった土地。
大家も近所の農家だったりすることがある。
そんな大家の中には、管理会社を介さず、直接住民と契約を結ぶ人もいる。
住民は毎月、家賃を農家のおばあちゃんの家に手渡しに行く。
おばあちゃんにとっては、大学生は孫のような年齢だ。
「ちゃんと食ってるのけ?」と言われながら、野菜を貰うこともあるらしい。
いい話だ。でも俺はそういうの苦手だ。
家賃は銀行口座から自動引き落としでいい。健康の心配もされなくていい。
それでいいのだ、それが気楽なのだ、孤独万歳。
「まぁ、僕のアパートは、まるで僕専用のようなアパート名だったしね。
……あっ、そろそろ行かなきゃ」
食堂の壁の時計を目にした鈴木は、すっと立ち上がった。
だが、すんなり立ち去らないのがコイツらしい。
座っている俺に向かって、諭すように余計な言葉をかけてくる。
「仮に、過去に何かあった部屋だとしてもさ、気にしなきゃいいんだよ。
灰田クンは、何でも気にし過ぎだよ。気にし過ぎのキミに、神様が科した試練かもね」
「………」
俺は鈴木と目線を合わせない。放っておいてくれよ、もう。
「まだ、気にしてんでしょ? あのこと」
「全っ然」
「ふーん。あっ、噂をすれば、天願さん!」
ゾクッとする震えが身体を襲った。
わずかに肩が揺れ、その反応を見て鈴木がくっくと笑う。
く、悔しい……。
俺はその名前を聞いただけで条件反射で怯えてしまうのだ。
「ほら、気にし過ぎ。あはっ!」
極めて呑気な鈴木に向かって、俺は声をひそめて確認する。
「ちょっと待て。いるの? マジで天願さんいるの? 俺の後ろの方?」
「うん。たまには灰田の方から普通に話しかけてみたら?
もう、向こうだって忘れてるって。それじゃあね!」
食堂の出入口へと歩き出した鈴木の背中を見送りながら、心の中で反論する。
向こうがあのことを忘れているわけがない。
なんなら今から確認してもいい。
俺はそっと後ろを振り返……ろうとするが、やっぱりその前に、まずは心の準備が必要だ!
少し目を閉じて、天願さんのことを思い浮かべてみる。
艶やかな栗毛色の髪は、ゆるくふわふわとしている。
けれども、ゆるふわな髪型とは一転して、顔立ちは凛々しく端正だ。
近くでじっと見つめたことは一度しかないけれど、とても綺麗な子ということは、少し離れた場所からでもよくわかる。
ただ、残念なことに、俺は笑った顔を見たことがない。
ひとつの表情しか見たことがないのだ。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳で、強い目力で、こちらを射抜くようなあの表情……。
無料麦茶を一口飲み込む。
すぅー、はぁー。呼吸を整え、心の準備は完了した。
そっと後ろを振り返る。ハイ、予想通り。
――天願カナリは、俺を、じっと睨みつけていた。