1-4 違いすぎる
業者が来るまでの間、俺は205号室の部屋の掃除を手伝った。
少女の部屋に入るのは気がひけたが、玄関は開けっ放しで、床に水は溢れる異常な状況で、そんな気を遣う場合でもなさそうだった。
「本当にごめんなさい。下の階までご迷惑をおかけして……」
床からの水の勢いは少しずつ弱くなっていたのが、唯一の救いだった。
俺はびちゃびちゃのタオルを絞って掃除を手伝いながら、ふと本来の目的を思い出した。
ポケットにねじ込んでいたタオルを取り出す。
「粗品」と書かれたのし紙がくしゃくしゃになっているが、まあ仕方ないだろう。
「あ、これ、よかったらどうぞ。
引越しのご挨拶で、近所の人に渡そうと思ってたんです」
その言葉とともに、俺は少女にタオルを差し出す。
途端、少女の水色の瞳が大きく見開かれ、「ほわぁ!」という明るい驚きの声が漏れた。
よ、喜んでくれたらしい。
それからの少女の振る舞いは、卒業証書を受け取る優等生のようだった。
「あ、ありがとうございます!」と感激の言葉をあげ、両手でタオルをそっと包み込み、一礼をする。
そうしてタオルを大事そうに胸に引き寄せ、ぎゅうっと抱きしめたのだ。
まるで愛しい宝物のように。ああ、俺はそのタオルになりたい。
「私なんかに、これほどまでに親切にして頂いて……このご恩忘れません!
申し遅れましたが、私は月見と申します。近いうちに必ず恩返しをしますね!」
その少女――月見さんは、感極まったような表情で、俺をじっと見つめる。
い、今時、タオルひとつでこれほど喜ぶ若い女の子がいるだろうか。
部屋や服が濡れていて、我ながらナイスタイミングだったとは思うけど。
でも、一枚五百円のタオルにしては余りあるほどの真っ直ぐな感謝だ。
俺は少し照れながら、目を逸らし、話題も逸らした。
ふと目についた状況を口にする。
「あ、でも、こっちの畳の方まで被害がでなくてよかったですね。畳は濡れてな……」
――畳?
はて。あれ? あれれ?
違和感に気付いた途端、背筋がゾクリとした。
嫌だ、嫌な予感がする。
俺の部屋はフローリングだぞ。なぜ、この部屋は和室なんだ?
水が溢れる見知らぬ女の子の部屋に入ったことで、冷静に観察できていなかった。
一度冷静になれば、こんなにおかしいことはない。
いや、畳とフローリングの違いぐらいならまだ説明がつく。
俺の部屋は内装リフォームしたばかりだ。畳替えするより、板張りした方が安くついたり、若い人には人気が出ると思ったのかもしれない。
でも――
「月見さん、お風呂場やトイレも見ていいですか?
他でも水漏れがあるかもしれないし」
「あ、そうですよね! お願いします」
俺は勢いよく立ち上がり、風呂場に立ち入った。
扉を開けた先にあったのは――
このアパートの外装に相応しい非常にボロい風呂場だった。
浴槽は、ベコベコと凹みがあるステンレス製で、膝を折らないと浸かれない狭さ。
温度調節ができず、追い炊きもできない。ジャグジーなんて夢ですか、という感じ。
俺の部屋の風呂は、脚を伸ばしてゆったり浸かれる、大理石のバスタブなのに……。
動揺しつつも、トイレも確認する。
丁寧に掃除はされているが、当然のようにウォシュレットなんてない。
洋式なだけありがたいと思え! 和式じゃなくてよかったな、という感じ。
「あのー、なんか問題ありました、か……?」
月見さんが俺の背後に立ち、もじもじと恥じらっている。
女性の部屋のトイレを、ずっと見つめてる自分。挙動不審だ。
「あ、ええ。他は特に問題がないみたいですね」
平静を装いつつも、俺は呆然と立ちすくんだ。
違いはこれだけではない、きっと調べれば調べるほど違いが出てくるのだろう。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせる。
だが、その説得も空しく、胸の動悸は早くなる。
心臓というやつは、どうして時折、存在感をアピールしてくるのであろうか。
――さあ、大問題だ。
この部屋と俺の部屋は違う、違いすぎる!
アパートのしょぼい外装や、水漏れが起きてもおかしくない年季の入った築年数から考えて、このボロい205号室こそ自然なのだ。
これがフツー、あるべき姿なのだ。
奇妙なほどにゴージャス内装の俺の部屋……105号室は、明らかにおかしい。
そうだ、よく考えろ自分。俺ももう十八歳だ。
世間というものを知るべきだ。
うまい話には、裏がある。そうに決まってるじゃないか!
俺のばーちゃんも「東京はこわいとこやけんのぉ」と度々俺に言い聞かせてた。
いや、ここは北関東の田舎で、東京カンケーないけどね!
とにかく、ハッキリ言って、最初からおかしかったんだ。
月額二万九千八百円(なんて半端な金額だ)の家賃の部屋で、ジャグジーがつくわけがない!
俺が知らない間に、日本経済が激しいデフレでも起こしてなければ、絶対にあり得ない価格設定なのだ!
混乱し熱くなっている俺の頭の中で、夏目さんの声が再生される。
――この部屋は、内装をしっかりリフォームしていて、設備も充実しているんです。ほら!
沸き起こるのは、疑心、疑念、疑問……。
多くのクエスチョンが頭の中をぐるぐると掻き乱す。
何で俺の部屋は、あそこまで完全にリフォームされているのだ。
俺の部屋……105号室で、過去に一体何があったんだ?
あの管理会社は、いまいち信用できない……。
俺は、どこまで騙されているんだ?