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3-13 ピカピカのフローリングの床

 もう俺たちのすぐそばに、二人は立っているのだろう。


 ナツさんはスマイル増量の嬉しそうな声で語る。

「このお部屋は収納もたっぷりなんですよ」


 ――軽く息が止まりそうになった。

 ちょ、ちょっと待て、収納とかいうな! 開けるな開けるなよ! 

 祈るように念じる。


 ぐわー、どうせなら待機していることを、ナツさんに言っておけばよかった! 

 冷汗がつぅーと伝うように背中を流れた。

 そして俺は思い出してしまった。


 俺にこの部屋を紹介してくれたとき、ナツさんは次にこう言いながら、クローゼットの扉を開けたのだ。

 ていうか、今まさにそのセリフが暗唱されている。

「お洋服が多くても安心なんですよ。ご覧ください、このクロ――」


 クローゼットの扉が数センチほど開く。嫌ぁあああああ!


「あの!」

 そのとき、天願さんのよく通る声が響いた。

 ナツさんが手を離したのだろう。扉は自動的にパタリと閉じる。


 ――た、助かった。

 隣の月見さんからも、安堵の吐息が聞こえてきそうだった。


「あの、それよりも、つかぬ事をお伺いしますが」

 扉のすぐ向こうから、朗々とした天願さんの声が聞こえてきた。

「ここはどのぐらいの期間、空き部屋だったのかしら?」


「実はつい二週間ほど前まで、入居者がいらっしゃったんです。

もちろん、天願様に引き渡しの際には、改めてハウスクリーニングさせて頂きます。

何か気になる汚れなどありましたら、言って頂ければ」


「ちなみに、前住んでいた方は、どちらに?」

 うわあ、怖いいぃ。

 やっぱり俺を追ってるのかよ! 

 俺は呼吸にすら気をつかい、じっと息を潜める。


 ナツさんは営業モードを崩さず、にこやかに返事をしている。

「そこまでは、ちょっと。

ああ、通っている大学が夏休み中なので、一旦実家の方に帰るとは仰ってましたね。

確か……北海道の旭川だったような」


 ナイス、ナツさん。俺の実家は九州の福岡だ。

 まあ、いくら天願さんが復讐に燃えていても、実家までやってくるということはあるまい。

 夏休みの間に、天願さんの怒りが静まってくれることを願おう。願うしかない。


「そうですか。それでは検討してみますわ。

申し訳ないのですが、他にも見ておきたい物件がありますので。

今日はこれで」


「ええ。何かあったら声をかけてくださいね。

人気物件なので、出来るだけ早くご連絡頂けますと嬉しいです」

 ああ、人気物件って、やっぱり言うんだ。俺にもそう言ってたもんねー。


 今日のところは穏便に終わりそうだ。そう思った瞬間、


「――ここだけの話なんですけど、前の方、ちょっと嫌がらせされてたみたいなんです」


 ドクンと心臓が跳ねる。

 ナツさんの暴走が始まった! 


 とっさに月見さんを見る。

 薄暗い中、月見さんは無言で頷く。

 月見さんにとっては、予想通りの展開なのだろうか。


「付きまといっていうんですかね。どこで恨みをかったのかは知りませんが。

うちのアパートもゴミ漁りされたり、勝手に花を植えられたり、

無関係な住民の部屋の前に、ダンボール箱を置かれたり、

まったくいい迷惑だったんですよねぇ~」


 ナツさんの口調は皮肉っぽく、先ほどまでとはガラリと変わっている。

 声は相変わらず明るいのだが、きっと顔は笑っていないのだろう。


「わけわかんないでしょ? 復讐っていうとご立派かもしれませんけど、

無関係な人を巻き込んでいる時点で単なる逆恨みですよね。

ちょっと頭とかおかしい人なのかな~。ふふっ」


 天願さんの声は一切聞こえず、反応が全くわからないことが、余計に俺の恐怖心を煽る。

 ナツさんの声は、なおも続く。


「私は、ここの大家さんにちょっと恩があるんです。

ですから、大家に迷惑をかけるその犯人に、とても腹が立っているんです。

もしも犯人が目の前に居たら、こう言ってやりたいです。


『――このアパートには二度と近づかないで。コソコソしてみっともない』ってね」


「…………」

 沈黙が訪れた。


 ナツさんは言いたいことを全て言い終わったらしい。

 二人は睨み合っているのだろうか、それとも――


 沈黙を破るように、よく通る天願さんの声が響いた。

「最近の不動産屋って、随分お喋りですのね。

でも、こそこそしてみっともないのは……」


 一瞬、間があり、急激な光に目がくらんだ。


「この人達もですよね」


 クローゼットの扉が開けられたのだと理解したのは、目の前にナマ脚が現れたからだ。

 顔を少しあげると、チェック模様のミニスカート。

 さらに顔をあげると――


 天願さんが目を細め、冷淡に俺を見下ろしていた。ひいいいいぃぃぃぃ!


「月見ちゃん!? 灰田くん!? なんで? バカッ!」

ナツさんの罵声が頭上から飛んできた。


 天願さんから目を逸らし、かといってナツさんを見ることを出来ず、俺はフローリングの床を見る。

 うわあ、この前月見さんが掃除したからピカピカしてる。

 で、どうしたらいいの? どうしよう! 


「わたくし武道の心得がありまして、不自然な気配はわかってしまうんです。

まあ、別にこのことは構いません。

それより貴女、夏目さん――」


 天願さんが、一歩、また一歩とナツさんに距離を詰める。

「な、なによ」


 天願さんは右腕を上げ、ナツさんの頬にそっと手をあてた。

 単に手をあてているだけなのに、刃物を首筋に突きつけているかのような威圧感を感じる。

 天願さんは無表情に語った。


「貴女は何か勘違いをなさっているようですね。

私は単に、この物件の内見に来ただけです。


それを何ですか、付きまといだとか、復讐だとか、逆恨みだとか、

そんなわけがないでしょう。

どうしてそのようなことを仰るのですか?」


 ナツさんは天願さんの手を払いのけ、全く怯まずに睨みつけながら言い放った。

 それは、俺たちが推理してきたことのまとめだった。


「しらばっくれてもムダよ。

あなたは、このバカ灰田からゲロをかけられ恨んでいた。


で、復讐しようとして、ゴミを漁ったり、花を植えたりした。

空のダンボール箱も『引越せ』というメッセージを込めてたくさん置いた。


灰田くんの周りの住民を退去させ、他の部屋に悲鳴も届かなくなった105号室で、

灰田くんにじっくり危害を加え、拷問にかけようとした。

……これがあなたの計画の全てよね?」


 ナツさんの言葉が続く間、俺は扉の開けられたクローゼットの中から天願さんの姿を観察していた。

 手はぎゅっと握られ、肩は小刻みに震えている。


 やばい、怒ってる。

 ハイキックの犠牲者は俺ひとりでは済まなくなるかもしれない。

 もし、ナツさんや月見さんまで巻き添えになったら……


 天願さんは、怒りに打ち震えるような声で言い切った。

「それは違いますわ! 絶対に!」


 もう限界だ! 

 俺はたまらずクローゼットから飛び出し、床に額を擦りつけながら

叫ぶように懇願した。


「あの、ごめん天願さん。ほんと、ごめん! 

ゲロのことはものすごく悪かったと思ってます。

何でもしますから、もうこのアパートの他の人たちに迷惑かけないでくださいいいぃぃ」


 天願さんは悲痛な表情を浮かべ、苛立たしげに床を踏みつけた。

「だから、違う! わたくしは、こんなの絶対に認めない!」


 天願さんの顔は、解消されない怒りを押さえつけているかのようだった。

 俺の心臓はドクンドクンと高鳴りっぱなしだ。

 睨まれて、怖い。すごく怖い。


 ミニスカートなんてお構いなしで、今にもハイキックが飛び出してきそうだ。

 ハイキックってどのぐらい痛いんだろう。すぐに救急車呼んでもらえるんだろうか。


 というか俺は土下座姿勢で、天願さんは立ってるから、ものすごくパンツ見えそう。

って、そんなことを考えている場合じゃない! 


 両手を軽く挙げて、無抵抗のポーズを保ちながら立ち上げる。

 俺は恐る恐る、天願さんに申し上げてみた。

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