3-11 内見の問い合わせ
その後も引越しは順調に進み、残すは冷蔵庫とテレビのみとなった。
冷蔵庫とテレビだけは、一人で運びたくない。
かといって、月見さんでは辛いだろう。
鈴木なら手伝ってくれるだろうが、同じアパート内を引っ越すことであれこれ詮索されるのも厄介だった。
やはり、仕事から帰ってきたナツさんに頭を下げるのが、一番いい気がする。
「ナツさんって、何時頃に帰ってきますかねえ」
月見さんは雑巾で床拭き掃除をしながら、さらっと答える。
「あ、今日は遅くなるらしいです。
ほら、あの『つくりょく』の鈴木さんから食事に誘われたそうで。
掲載内容の打ち合わせを兼ねて」
「えええっ!?」
俺はガクンと顎を下げ、思わず絶叫してしまった。
このアパートの広告を「つくりょく」に掲載するために、鈴木の連絡先をナツさんに教えたのは俺だ。
鈴木とナツさんが交流するのは不思議なことではない。
しかし、掲載内容の打ち合わせで、夜の食事まで誘われるものだろうか。
というか、鈴木はナツさんのどこが気に入ったのだろうか?
あ、あの営業スマイル増量モードにやられているのか。
フッ、気の毒なヤツめ。
――その夜。
確かにいつもより遅れて、午後十時にナツさんは帰宅してきた。
「まったくもー、疲れて帰ってきたら、いきなり引越しの手伝いなんてー」
ぶつぶつ言いながらも、しっかり上着を脱ぎ冷蔵庫を持ってくれる。
「いいですか、二人で冷蔵庫を水平に持つのがポイントなんです」
「あーい」
冷蔵庫を抱え、じりじりと摺り足で動いている途中、ナツさんが話を始めた。
「そーいえばね、すぐに格安で広告だしてくれるんだって。
数日以内にウェブ更新して、宿舎の掲示板にも貼り紙だしてくれるって。
次回のフリーペーパーにも、掲載してくれるみたい。
今日のご飯も奢ってくれたし、随分サービスいいのね、つくりょくって」
……む、胸が痛む。
鈴木はナツさんに惚れてしまい、過剰に張り切っているんじゃないだろうか。
「なんかねー、つくりょくって、過去に変な団体に悪用されちゃったこともあるんだって。だからこそ、まっとうな依頼には全力で答えたいとか言ってたわ」
過去に悪用された……?
そんな話は聞いたことがないが、ナツさんの気を引くための嘘も方便ってやつだろうか。
冷蔵庫を落とさないように気をつけつつ、平常心を意識しながら訊いてみた。
「今日会ったのって、鈴木ですよね? アイツのことどう思います?」
「あー、イケメンだけど、喋り方がキモかった」
正直すぎる意見だ。ひどいよ、ナツさん。
――その日の深夜。
俺の携帯には鈴木からのメールがあった。
『御機嫌よう灰田クン。
ご存知の通り、僕はこの夏、色々な土地を旅してきた。
しかし、期待していたほどの感動は得られなかった。
だがどうだろう!
旅から帰り、キミからの紹介で会った女性は、僕にこの夏一番の喜びを与えてくれた。
リアル「青い鳥」だよ。
夏という季節の名を持つ彼女は、実に素晴らしい』
……俺はそっと削除ボタンを押した。
そんな鈴木の献身的な活動のおかげだろうか。
数日後から、管理会社の安直コミュニティには
「プレーヌ・リュンヌ」の内見問い合わせが、何件も舞い込んできたらしい。
月見さんは目を潤ませ、ナツさんは手を叩いて喜び、俺に感謝してくれた。
俺はナツさんにそっと告げる。
「俺はいいんで、鈴木に感謝してやってくださいよ」
ナツさんは、任せろ、とばかりに拳で胸を叩く。
「大丈夫よ。あたしは義理堅い女なの。
ここ最近、筑緑大学の方角に足向けて寝てないわ」
いや、お礼の電話ひとつの方がよっぽど伝わると思うが。
◇
それから一週間ほど経ったある日。
俺と月見さんは、ナツさんの部屋に呼ばれた。
三人がローテーブルを囲むように座る。
茶碗、マグカップ、湯のみに入れられた三つの紅茶が良い香りを漂わせている。
うん、茶碗が俺用だな。
紅茶をゆっくり一口飲んだ後、ナツさんは話を切り出した。
「今度の火曜日の夕方に、筑緑大一年の女の子が、このアパートに内見に来るわ。
宿舎の貼り紙を見たんですって」
俺ははっと息を呑んだ。
宿舎の貼り紙を見る一年の女子……。
全て天願さんに当てはまっている。
「でね、貼り紙には、うちの空き室の部屋番号――
201、203、102、103、そして105を全て書いてあるの。
下見は、ご希望の部屋を見ることも出来ますが、いかがなさいますかと訊ねたところ
――105号室を希望されたわ。ふふっ、不思議よね。
結構女子学生は、防犯上、二階を希望されるのが多いんだけど」
月見さんが、神妙な面持ちで呟く。
「きっと、犯人ですよね」
仕掛けた網に、かかってくれたらしい。
月見さんが以前語っていた内容は、こうだった。
――その犯人の女の子は、『プレーヌ・リュンヌ』の105号室が灰田さんの部屋だとわかっています。
けれども、ある日105号室が空室になっているのを知ったらどうでしょう?
ダンボールを度々置くほど、積極的な犯人なら、きっと確認にくるはずです。
自分の目で空室かどうか見たいと思うはずです。
もっとも確実で、堂々とした方法……「アパートの内見をする」という形で。
ナツさんは紅茶を片手に、余裕たっぷりの表情で微笑んでいる。
「多分、犯人の『復讐女』が網にかかったんだと思うわ。
でもまあ、105号室をたまたま希望する別の女子学生かもしれないのよね。
で、この紙」
ナツさんは、ぴらっと一枚の小さな紙を取り出した。
「これ、あたしが書いた電話のメモなの。
内見にいらっしゃる女の子の名前が書いてあるわ。
これを灰田くんに見せれば、犯人かどうか一発でわかるんだけどー。
でもほら、個人情報って漏らしちゃいけないわけ。
あ~ら、手が滑った」
一枚の紙は、ナツさんの手を離れ、床へと舞い落ちる。
「見ちゃだめ! 見ちゃだめよ、灰田くん!」
ナツさんが、必死で制止するように手のひらを突き出した。
俺は正直に状況説明をする。
「すいません、裏返しに落ちたので見えません」
「ちっ」と舌打ちして、ナツさんが床に落ちた紙をめくった。
今までの小芝居はなんだったんですか!
「……どう? 灰田くん」
紙には、小さく綺麗な字で、こう書かれていた。
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火曜 17:00~
プレーヌリュンヌ105号室案内
てんがんかなり
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ぱっと脳内で変換する。――天願カナリ。
俺は大きく頷いた。




