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3-9 準備をしてください

 その気持ちにすごく感謝するとともに、俺はぼんやりとある決意をしていた。


 天願さんは、話し合いが通じる相手ではない。

 俺のことはずっと許してくれないだろう。

 だとしたら、アパートへの嫌がらせもずっと続くはずだ。


 ――俺が、あのアパートにいる限りは。


 急いでバイトを探そう。

 残りの夏休みをバイトにつぎ込んで食費も節約すれば……


「言っておきますが、灰田さん」

 月見さんがピタリと立ち止まり、自分の正面に立ちふさがる。

 街灯に照らされた月見さんの表情は堅い。


「自分のせいだと思って、アパートから出て行くのはナシですよ」


 ――図星だった。


「はあぁ? 灰田くん、そんなこと考えてるの?」

 ナツさんが両手で俺の肩を掴み、揺さぶる。


「ちょっとやめてよぉ~。

せっかく、ゆりさんが二部屋借りて、七部屋が埋まったのに。

灰田くんが出て行っちゃたら、また六部屋に逆戻りじゃない!」


 俺は斜め下を向いて、ナツさんの目線から逃れようとした。

 俺が退去したら月見さんが困るのはわかっている、

俺自身も何よりあのアパートが気に入ってる。でも……


 少し顔をあげ、俺はどうしようもないことを愚痴るように言葉を吐き捨てた。


「でも俺がいたら、三部屋もダンボール箱で嫌がらせされてるじゃないですか。

俺一人で済むのなら俺がいなくなった方がマシですよ!

悪いのは俺だし、自業自得――」


「聞いてください、灰田さん!」

 凛とした声が響く。

 語気を強め、月見さんは俺の目を見てゆっくり喋った。


「ダンボール箱を置いたのは、犯人です。

ですから悪いのは、犯人です。

犯人が誰かわかった以上、これからは犯人の好きにはさせません」 


 ついさっき、俺が泣いている月見さんに言ったときみたいだ。

 立場は逆になっているが。


「……え、でも」

 月見さんは、俺の戸惑いを打ち消すかのように高らかに宣言した。


「攻めて行きましょう! 

『プレーヌ・リュンヌ』にその犯人を、復讐女を誘い出します。

私に任せてください。私は――」


 そこで急に声のトーンが下がった。

 月見さんは、聞き取れるギリギリの声量で、目を逸らしながら呟く。


「わ、私は灰田さんを失いたくないんです……」


 しばらく返事が出来ず、でも少しして、ようやく嬉しさが心の中に広がってきた。

 たかだか、一住民の俺にここまで熱く語ってくれるのは、やはり月見さんに大家魂があるからだと思う。


 頼りなかった女の子が、しっかり立ち上がっている。

 そんな成長の姿を目撃していることに、俺はうっすら感動すら覚えていた。


「なんだか嬉しいです。

月見さんが、こんなに立派な大家さんになるなんて……」


 その瞬間「はぁ!?」というナツさんの言葉が聞こえた。

 「何言ってんの、バカなの?」とも聞こえてくる。


 確かにナツさんから見れば、月見さんはまだまだひよっこの大家だろう。

 しかし、俺は本当に感動しているのだ。


「あのねえ、灰田くん、月見ちゃんはキミのことを――」

「な、ナツさん、やめてください。

そ、それより、お二人ともこれから言う私の話を、よく聞いてください!」


 月見さんは慌てるように言葉を発した後、コホンと咳をした。

 落ち着きを取り戻したかのように、水色の瞳が少し伏せられる。


 それから次に月見さんが言った言葉は、絶対にシミュ出来ない……予想外の言葉だった。

「灰田さん、大変申し訳ないのですが」

「はい」



「早々に引越しの準備をしてください」



「はいいぃ?」

 凝固する俺をよそに、月見さんは滑らかに言葉を続ける。


「灰田さんは、105号室から、現在空室の204号室に引っ越して頂きます。

もちろん敷金礼金は結構です。ご安心ください」


「そ、それは一体、どういう」

 まったく、意味がわからなかった。


 俺の問いかけをかわし、月見さんは次にナツさんに告げる。

「ナツさんにもご相談があります。

この前、ゆりさんが二つ目の部屋を借りてくれたことで、

ほんの少し金銭的にも余裕ができましたよね?」


「あ。ああ、うん。そうね」


「その資金を使って『プレーヌ・リュンヌ』の入居者募集の広告を出してください。

筑緑大生が目にするような形で。

また、105号室が空室だということもわかるように」


 俺もナツさんも驚いていたと思う。

 こんなにもテキパキと指示を出す月見さんを見たのは初めてだった。


「なるほど、ね。わかってきたよ、月見ちゃん」

 ナツさんは含み笑いをするかのように、にやりと唇を歪めた。


「その復讐女に、105号室は空室になったと教えて、

これ以上アパートにちょっかい出すのをやめさせたいわけだね」

「ええ。まあ、そういう解釈で結構です」


 俺は無理やりに、会話に割って入った。

「ちょ、ちょっと、待ってくださいよ。

やりたいことはわかりましたけど、でも、せっかくのお金を

俺のトラブルのために使うのは――」


 ナツさんが俺の口元にそっと指先をあて、余裕のある笑みを浮かべた。

「おっと、自惚れないでよね、灰田くん。

今回のダンボール箱のようなトラブルがなくても、

そのうち、筑緑大生向けに広告は出したいと思ってたのよ」


「そ、そうなんですか」

 その問いかけに、月見さんが爽やかに返答する。


「はい! 私たちは今まで、住居者募集の際に、筑緑大生はターゲット外だと思っていました。

『プレーヌ・リュンヌ』は大学から遠すぎるからです。

でも、実際にこうして灰田さんが住んでくださっています」


「そう! 灰田くんが入居したことで、あたしたちも自信がついたってわけ。

駐車スペースもあるから、特に車を所持している人にはいい物件だと思うわ。

だから、他にもぜひ学生さんに入居して貰いたいの。ただ――」


 急にナツさんは表情を曇らせ、腕を組んだ。

「入り込むスキが無くて、躊躇してたってのはあるわね。

大学の学生課で扱ってもらえるほどの繋がりはないし、無差別にポスティングってのも効率が悪いし。

賃貸情報検索サイトに載せて貰っても、場所が遠いからなかなか候補にヒットしないでしょうし。うーん……」


 俺は解決策を知っていた。

 フリーペーパー&ネット配信はもちろん、宿舎内の掲示板への貼り紙まである。

 筑緑大学生にとって、もっともメジャーな情報媒体といえば……。


「つくりょくってご存知ないですか?」


 つくりょくの制作サークルに所属する鈴木は、そろそろ長旅からも帰ってくるハズだ。

 何かが、動き出しそうな気がした。

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