3-8 それほど恨まれる原因
その静寂を破ったのは、ナツさんの吐き捨てるような一言だった。
「ていうかさ! そろそろ、核心に入っていいかな?」
「へ?」
「それほど恨まれる原因って、大体パターンが決まってるよね」
そう言うとナツさんは立ち上がり、座っている俺の前に仁王立ちした。
ナツさんはキッパリと、流暢にまくしたてる。
「つまりさ――
灰田くんは入学早々に、その女の子を孕ませちゃったわけだよね?
で、生理がこないと言う女の子と顔を合わせるが嫌で、
大学から遠くのアパートに慌てて引っ越してきた、と。
独りぼっちで子供を堕ろしたその女の子は、心身ともに
とても傷ついてしまったと思うの。
灰田くんを恨むのも当然よね。そして――」
「ちょっと待てぇえええええーーーーー!!」
自分でも驚くほどの絶叫が出た。
「違う違う違う違う! ナツさんの推理、全く違いますからっ!
そんなんじゃないそんなんじゃないーー!!」
俺は腕が引きちぎれんばかりに、思いっきり手を横に振って否定の意味を表した。
ふと月見さんの様子を伺うと、月見さんは
「ひっ」と泣きそうな顔で怯えて、ガクガクブルブルしている。
いやあああああああ!
俺は地面にぐったりと崩れ落ち、ナツさんの服のすそを引っ張りながら、
半泣きで懇願する。
「ナツさんナツさん、そういうの勘弁してくださいよぉ~!」
狼狽する俺の姿を見たナツさんは、ニヤリと笑みを浮かべる。
「だったら、本当のことを話してよ」
――しまった。
これはナツさんの手口だったのか。
「どうして、その女の子に灰田くんが恨まれているのか、
ちゃんと包み隠さず説明しなさい。
言ってくれないと、あたしは本気でここまで想像しちゃうわ」
う、うう。確かに。
「本当は、それほどたいしたことじゃないんです……」
なんだかすんなり話せる気がした。
そうだ、そうだよ!
ナツさんの妄想に比べたら、本当にたいしたことがない話だ。
俺は包み隠さず、打ち明けることにした。
――あの日のことを。
四月上旬のあの日。
桜並木の下では新入生歓迎会が開かれていました。
筑緑大学は大規模な大学ですし、その場にいたのは千人以上だと思います。
新入生歓迎の席で、俺も随分アルコールを飲んでしまいました。
未成年なので、そこは深く反省……しています。
とにかく、俺は初対面の人と会話するのが苦手なこともあり、緊張をまぎらわすために結構な量を飲んでいたと思います。
また、一人になり手持ち無沙汰で、次第に辺りの様子を見渡すことが多くなりました。
歓迎会が始まって、二時間以上経った頃でしょうか。
少し離れた隣の集団の中で、酔いつぶれた女の子がいました。
すると、その女の子の周りにいた男性二人が、酔いつぶれた女の子を抱えて、
どこかに連れていこうとしていたんです。
酒が入った人が大騒ぎをしていることもあり、他の人はその女の子の様子を
気にも留めていないようでした。
もう少し静かなところに連れて行って、介抱しようとしているのかもしれません。
でも俺は、その様子が気になって仕方ありませんでした。
「まさか……」と嫌な想像が頭をよぎりました。
要するに、その男性たちが酔った女の子に、よからぬことを考えているのではないかと思ったんです。
あー、淫らな行為とか、暴行とか、そういうことです。
ですが、すぐに思い直しました。大学入試は、誰だって苦労します。
いくら開放的な気分になっても、わざわざやっとの思いで入った大学で
そんなバカなことをやる奴もいないと思ったんです。
そう思って、座り直しましたが、やっぱり嫌な予感もしました。
いや、高校生のときを思い出したんです。
俺は満員電車で女の子が痴漢にあってるのを見て
「痴漢……かな? でもなぁ……違ったらこっちが恥ずかしいし」と悩んで何も言わなかったことがあります。
ひたすら、単語帳に目を落としていました。
でも自分が電車を降りる寸前、女の子が目に涙をためてるのを見て、「あ」と後悔しました。
やっぱり痴漢だったんです。
そのとき、どういう行動をとったらベストだったのか、わかりません。
ただ、咳払いのひとつでもしてあげたら、「痴漢行為に気付いてる人がいるぞ」と
抑止ぐらいにはなったかもしれません。
だから俺は、そいつらに声をかけようとしたんです。
「わー、随分酔いつぶれちゃったね、その子」と自然な言葉を言おうとしました。
で、立ち上がったのですが、立ち上がった瞬間に、今までの人生で体験したことのないような胸のむかつきを感じました。
やっと数歩、女の子の方に近づいたとき、普通に
――俺は、酔いすぎていることを自覚しました。
そして、自分の酔いを自覚した瞬間、ぐっと胸から押し上がってくるような吐き気がありました。
というか……吐いてしまいました。
さすがに、誰かがゲロを吐けば注目は集まります。
「うっわー、かわいそー」「うへぇ……」というざわめく声が聞こえてきました。
朦朧として薄れ行く意識の中で、俺は見てしまいました。
こともあろうに俺は、その酔いつぶれた女の子に向かって、思い切り吐いてしまったようです。
女の子の服はもちろん、髪にも俺のゲロはかかってしまったかと思います……。
いや、正直に言うと、顔にもちょっと……かかってました。
で、後日必死で謝ったんですが、とても許してくれない雰囲気でした。
話し合いも出来ない感じで、顔を合わせる度睨まれていて、
それに耐え切れなくなって俺は大学から遠くに引っ越してきたんです。
……はぁっ。
全てを話し終わり、俺は息を吐いた。
少しの沈黙の後、ナツさんは首を傾げ「それだけ?」とあっさりした口調で問う。
「あ、はい」と返事するとナツさんは、にっこり微笑む。
そして肩をすくめ、大げさなジェスチャー込みで喋った。
「ゲロなんて服洗濯して、髪洗って、シャワー浴びればそれで終わりじゃない?
つまり、水に流せる話よ。ね? そうだよね、月見ちゃん」
「はいっ! そんな灰田さんにピッタリの言葉があります」
「な、なんでしょう?」
「ドンマイ、です」
癒しパワー全開の微笑みだった。
◇
アパートまでの帰り道を、三人で並んでテクテクと歩く。
大きく伸びをしながら、ナツさんはあくび交じりに語った。
「ふぁ~。ま、そりゃもちろん、ゲロかけられたらムカつくわよ。
あたしだったら、後でぶん殴ってやるし、顔も見たくないし、
会ったら睨み付けると思う」
「うう、やっぱそうですかぁ……」
落ち込む俺に、ナツさんが慌ててフォローしてくれる。
「まあでも、数ヶ月経ったら絶対忘れるって。
いつまでも覚えてたら、単にその女の子が根暗なだけなのよ!」
考えるように唇に指先をあてながら、月見さんも言葉を添える。
「うーん。確かに、執念深いですよね。
灰田さんの部屋を突き止めて、ゴミを漁ったり花を植えたり、ダンボール箱を置いたりして。色々意味不明ですし」
「きっと元々がちょっと変わった女の子なのよ、うん。
そんな『復讐女』のこと気にすることないって」
「そうです! 復讐女さんのことなんか、あっさり忘れていいと思います」
「いつまでも気にしてるなんて、かっこ悪いぞぉ~」
「そうです、そうですー」
二人はやけに明るく饒舌だ。
俺を励まそうとしてくれているのかもしれない。
その気持ちにすごく感謝するとともに、俺はぼんやりとある決意をしていた。




