3-5 綺麗な水色の瞳
「…………」
月見さんは無言だ。
やがて、堪えきれなくなったかのように、
月見さんは、ため息のような喘ぐような声を漏らした。
「はぁっ、もう……」
ショックなんだろう。
次から次にこんなことが起きては、気が休まる暇もないだろう。
「月見さん、部屋に戻りましょうか。
えーと、このダンボールはとりあえず回収して……」
ダンボール箱を靴のつま先で押してみると、確かに軽い。
両手で箱を持ち上げ、軽く振ると確かに何も入っていないようだ。
詳しく検討するのは部屋に持ち帰ってからでいいだろう。
「やっぱり私が大家として頼りないからなんですよ……。
だから、こんなに次々問題が起きちゃうんです。すいません……。
もぉ、もぉ、やだぁ……」
「つ、月見さん?」
振り返っても、薄暗くて。
最初、何の声かわからなかった。
「なんで、こんなにうまくいかないんだろぉ……」
洟をすするような声で、ようやく気付いた。
――月見さん、泣いてるんだ。
「ぜんっぜん、ぜんっぜん、うまくいかない……
だめなことばっかりだぁ……。ほんっとだめだぁ……」
強制終了したかのように、俺の身体はフリーズしてしまった。
最近、それなりに会話だって上手くできている気がした。
コミュ力不足でも、なんとかやっていける気がしてた。
けど、無理だ。
泣いてる女の子がいる。こんなとき、どうしていいのかわからない。
シミュレーションも全くできない。
というか、こんな状況に自分が陥ることを想像もしてなかった。
慰める? どうやって?
つーか、まず、このダンボールを一旦置くべきなの?
ダンボール持ってる俺って、単に働き者の引越し作業員みたいだし。
うん、置こう。置くのが正しい。
よし、置いたぞ。ダンボール箱を置いたぞ。
で、どうするんだ、俺?
頭撫でたり、抱き寄せたり、何か囁いたりするの?
いや、それは難易度高すぎだ!
「あ、……わ、私……がっ、頼りない……ぜんっぜん……から、こんなことに……」
月見さんは、しゃくりあげるように、泣きながら何かを言っている。
「……せん。す……いません……。ごめんなさ……い」
なんか謝ってる。どうしよう。
っていうか、なんで月見さんが謝ってるんだ。
なんで俺は一方的に謝られてるんだ。
「ぜんぶ……わたしの……せいです……」
――それは違う。
急に頭の中がクリアになった。
「聞いてください、月見さん」
俺はできるだけゆっくり喋った。
子供に言い聞かせるみたいに、丁寧に。
でも、子供扱いはしない口調で。
「このダンボール箱を置いたのは、犯人です。
ですから悪いのは、犯人です。
ちなみに、このダンボール事件の犯人の目的、俺はわかりました。
犯人が誰かもわかりました」
月見さんが、ぴたりと泣き止んだ。
「……え?」
洟をぐすぐすさせながらも、月見さんは俺を見てくれた。
薄暗い中でもよくわかる、綺麗な水色の瞳を見つめながら。
俺は、もう一度繰り返した。
「犯人の目的も、犯人が誰かも、わかっちゃった可能性が高いです」
月見さんは目のあたりをゴシゴシ擦り、照れ笑いを浮かべた。
「さすがですね、灰田さん」
その顔は、今までで一番大人っぽく見えた。
◇
三つのダンボール箱を抱えて部屋に戻ると、ナツさんは寝ていた。
まごうことなき、熟睡だった。
「あぁ~、ハーゲンニャッツなんて久しぶりだよぉ~」
具体的すぎる寝言だ! つーか、買ってくるどころじゃなかったよ。
「このタオルケットお借りしますね」
月見さんは、タオルケットをナツさんの身体にそっとかける。
そして俺に向かいあうように、姿勢を正して正座した。
「それではあの、推理の方……聞かせて頂けますでしょうか」
「あ、はい」
かしこまった雰囲気に、余計緊張してしまう。
実はちょっと困っている。
泣いている月見さんを前に、若干オーバーに言ってしまった。
しかしまあ、今さら引き返すことはできまい。
「あくまで俺の考えたことなんですが」
見切り発車で、推理という名の電車が出発した。俺は唇を湿らせ、喋り出す。
「今回の事件を考察する際、ポイントは二つあります。
まずは、一つ目。
『このダンボールには、どんな意味があるのか』を考えることが大事です」
「うーん。
それは私も考えましたが、なにせ中身が空っぽでヒントが無くて」
「そうですよね。
いきなり空のダンボールと考えるから、悩んでしまうんだと思います。
まずは、何かに置き換えてみませんか。例えば、そこにある枕でもいいんです」
俺は、クッション代わりにも使っている枕を指差した。
「はぁ」
月見さんはポカンとした反応をする。
だが、多分この方がわかりやすい。
シミュを行う場合も、一度シンプル化したり、置き換えた方が本質がわかりやすいことがあるのだ。
「枕が何回も、自分の部屋の前に置かれてあったらどう思いますか?」
「一回目はラッキーと思って、拾うかもしれませんが……。
二回目以降は気味が悪くなって、快眠どころか夜も眠れなくなりそうですね」
「ですよね。それってつまり、嫌がらせですよね」
「はい。まさしく」
「その嫌がらせがずっと続いたらどうでしょう。
何回も何回も何回も何回も、枕がずっと部屋の前に置かれていたら……」
想像を巡らせているのだろう。月見さんの眉がゆがむ。
「そうですねえ。やはり女性だとアレコレ考えて、余計に怖くなってしまいますし、
ノイローゼになったり、最終的にはその部屋を引っ越し………あ」
俺はゆっくりと頷いた。
「そうです。最後には、引っ越ししてしまいますよね」
「そ、そんな。あ、でも、確かに」
月見さんは口元に手を当てながら、納得するように呟く。
「確かに今回は、たまたま小場さんがダンボール箱を回収してくれていたから、
住民の皆さんは不安にならずに済んだんですよね。
ただ、運が良かっただけなんです。
小場さんがいなかったら今頃、犯人の思惑通りに、引っ越しを考えている人だって
いたかもしれません」
うん。俺もそう思っている。
また、小場さんの他にも、運のいい要素が重なったのだろう。
106号室は本当は空室。
104号室の脇本さんは深夜勤務で生活時間帯が異なるため、自分でダンボールを発見することはない。
205号室の月見さんは、大家だから引越すわけがない。
こうして、実際には嫌がらせの被害を受けた人は出なかった。
月見さんは深いため息をついた後、確認するように俺に問いかけた。
「つまり、空のダンボール箱自体には特に意味は無かったんですね?
ただ、住民の皆さんに嫌がらせをするのが目的だった、と」
俺はゆるゆると静かに首を振った。
「いえ、実はこのダンボール箱にも、意味はあります。
この前、月見さんは大家手帳を見ながら、ダンボールの箱の色は最初は茶色で、
最近は白色だと教えてくれましたよね?」
月見さんが、はっとしたように目を見開く。
「そう、そうなんです!
ダンボール箱は、なぜ途中から色が変わったのでしょう。
これって何か意味があるんですか?」




