3-4 レッツらゴー!
深夜二時過ぎ。
105号室の俺の部屋で。
興奮して、しんみりして、感動して、ハラハラして、恋して、爽快感を味わった挙句、要するに俺たちは――疲れていた。うん、ホント疲れた。
映画はすでに四本観た。
これでまだ折り返し地点というのだから、
どんだけトライアスロンな映画鑑賞会だろう。
調子の乗ったナツさんがレンタルしてきた映画は、なんと八本!
「ふふふ。今夜は寝かせないわよ」
意気揚々とそう言っていたナツさんも、今は明らかに疲弊して、
虚ろな表情で壁に向かって何かブツブツと呟いている。
「結局さ……映画ってさ、作り物なんだよね……。
現実世界では、ウイルスも流行ってないし、日本刀で斬りあってないし、
不思議な能力も持ってないし、ビルも爆発してないし……」
いや、そこまで疲れてどうする!
「大丈夫ですかー、ナツさん?」
小首をかしげ、ナツさんの顔を覗き込む月見さん。
意外なことに、月見さんはまだまだ元気だ。
俺は眠気覚ましのコーヒーを飲みながら、声をかけた。
「月見さんこそ、平気なんですか? 疲れたりしてません?」
「あ、私は」
一瞬、止まったあと少し恥ずかしそうに呟く。
「私は平気です。
灰田さんの部屋、冷房が効いていて、すごく快適なので……」
な、泣ける。
冷房のない部屋で、連日の熱帯夜に耐えているうちに、体力がついたのかもしれない。
そんななか、ナツさんはバタンと寝転がり、うなされ始めていた。
「なんであたし、八本も借りちゃったんだろ……。
大体あのアルバイト店員が悪いのよね。
二本借りようとしたら五本がお得。五本借りようとしたら八本がお得って。
そんなこと言ったら、店にある映画全部レンタルするのが、一番お得じゃない……。
あたしともあろうものが、あんな口車に乗るなんて……」
なるほど。うわごとのような独り言で、八本を借りるまでの事情はわかった。
「ナツさん、無理せず今日は解散にしましょうか?
また明日観てもいいですし、明日はまだナツさんも夏休みですよね。
あと、灰田さんは?」
「あ、俺も大丈夫ですよ。明日でも明後日でも」
月見さんの優しい提案に、ナツさんは寝転がったまま、ぶんぶんと首を振る。
「やだ! それはダメ! 一気に全部観なきゃダメなの。
だって、あのアルバイト店員が、朝十時の開店時までに返却するなら
当日レンタルになって、一番お得ですよって言ってて……。
ううぅ、あたしともあろうものが……」
えーと、ここは慰めるべきだろうか、バカにするべきだろうか。
俺が迷っていると、ナツさんはガバっと上半身を起こし、力強く握りこぶしを作った。
「とにかく! 観るったら全部観るの。
朝十時に全てを返却して、あのアルバイト店員が驚く姿を見てやるんだから!
ギャフンと言わせるの」
「いや、その店員、シフトの関係で居ない可能性大ですが」
もはや、映画が観たいというより、その店員の顔が見たいようだ。
「うるさいなー。とにかく、まずはちょっとだけ休憩しよ?
その後、一気に残りも観るわ。残党を叩き潰す!
で、悪いんだけど、灰田くん」
「……コンビニで、冷たい飲み物でも買ってきましょうか?
あ、アイスも要ります? そのぐらいなら、奢りますよ」
ナツさんは、俺に向かって手を合わせ拝むポーズをする。
「灰田くんったら、ホント神。
あ、アイスはハーゲンニャッツのストロベリーで」
ぐっ。一番高いアイスを指名しやがって。
玄関で靴紐を結んでいると、背後に気配を感じた。
振り返ってみると、月見さんが財布を片手に持ち、キラキラと瞳を輝かせている。
「月見さんは部屋で待ってていいんですけど」
「あっ、でも私も行ってみたいんです、深夜のコンビニに!
社会勉強になりますし、荷物持ちますしっ!」
たかがコンビニへのお出かけに、ものすごく嬉しそうだ。
ああ、俺にもこういうことがあった気がする。
たまに夜更かしするとか、親に隠れてこっそり深夜に外出してみるとか。
「……お邪魔、でしょうか?」
捨てられた子猫のように、寂しげな表情を見せる月見さん。
う、やっぱり可愛い。
「いや、いいですよ。一緒に行きましょうか」
ぱあっと顔を明るくして、でも急に月見さんは戸惑い始めた。
「この服でいいでしょうか? 着替えてきましょうか?
ああ、でもコンビニに着ていくような立派な服は、私持ってなくて……」
うう。このシンデレラときたら、お城のパーティどころか、コンビニに着ていく服で悩んでいる。
月見さんの今日の服装は、水色の長いスカートに、シンプルな白色タンクトップだ。
素朴な服装だが、月見さんが着れば『ハリウッド子役のバカンス』のようではないか。
「そのままの服で大丈夫ですよー」
そう返事をしながら、不思議と自分が浮かれているのに気付いた。
そりゃそうか。
こんなに可愛い女の子と、深夜にコンビニに行くのだ。
アイスなんか買っちゃったりして。
ハタから見れば幸せそうなカップルかもしれない。
とても、大家とそのアパートの住民には見えまいて!
ちょっとニヤついている自分に気付き、慌ててドアの方に顔を向ける。
「それじゃー、レッツらゴー!」
しかし、玄関のドアを開けて、一歩外に出た瞬間――
そのニヤけは吹き飛んだ。
夏特有の生暖かい空気と一緒に、何か違和感を覚えた。
視界の端に映る、見覚えのないもの。
――箱。ダンボール箱だ。
暗闇に浮かび上がるように白っぽいダンボール箱。
そんなダンボール箱が、俺の部屋の隣……106号室の前にあった。
「灰田さーん、どうしました?」
背後からの声を無視して、わずかに歩く。
今度は逆側を見る。
予想通りなのか、予想外なのかわからない。
104号室の前にも、それはあった。
「灰田さ……」
玄関から出てきた月見さんも、箱を発見し、その声をとめた。
一瞬の間を置いたあと「私、二階も見てきます」と言い、駆け出す。
「ま、待って」と言いながら慌てて後を追う。
深夜なので、音を立てないよう。
しかし、できるだけ急いで焦るように階段を登る。
――あった。
「ありますね」
暗闇に浮かびあがる白いダンボールの箱が、205号室の前に、鎮座している。
思わず、乾いた笑いが出た。
「ははは……。一気に三個も置くとは、犯人も大判振る舞いですね」
「…………」
月見さんは無言だ。




