2-17 アルコールとオレンジジュース(2章、完結)
「というわけで、皆さんお疲れさまでしたー。
かんぱーい!」
ナツさんの呼びかけで、三つのグラスが合わさり楽しげな音を立てた。
ここは、我らがアパートからほど近い場所にある格安居酒屋だ。
まさか、三人で飲む日がくるとは思わなかった。
と言っても、俺と月見さんはソフトドリンクで、ナツさんのみアルコールなわけだが。
「で、でも、いいんでしょうか? こんな贅沢してしまって。
い、居酒屋で打ち上げなんて」
月見さんが緊張でガタガタと震えている。
さっきも、一本六十円の焼き鳥に「やっぱり、お肉様は高いんですねえ……」と怯えていた。
アルコールが入ったナツさんは、機嫌よく手をひらひらと振る。
「いいのいいの。ゆりさんから、お詫びに少しお金を包まれちゃってさー」
「それって、きょうか……ぶふっ」
恐喝、と言おうとしたとこで、みぞおちを突かれた。
「人聞き悪いこと言わないで。ゆりさんから、善意で貰ったんだから」
本当かなあ。ゆりさんとナツさんは、結構長い間二人きりで話し込んでいた。
あの間にどんな契約が結ばれたんだか。
「それにしても、月見さん……大丈夫ですか?」
「え?」
オレンジジュースをうっとり眺めていた月見さんは、不思議そうにこちらを見た。
「だって、あの、その、せっかくリフォームした部屋が、汚く使われてたら嫌じゃないですか。許せないでしょ?」
「え、ええっと、そうですねえ、私の考えとしては……」
月見さんが少し悩んでいる間に、ナツさんが茶々を入れる。
「大丈夫らいじょーぶ! 退去時には、がっぽり修繕費用をふんだくってやるし、異臭がしていたわけじゃないし。
ゴミ屋敷っていっても生ゴミとかあるわけじゃなくて、通販中毒なの、あの人。
たいして欲しくないのに、すごい量の買い物をしちゃうんだってー。
そんで、部屋が散らかってるんだってー」
うーん。生ゴミがないのはありがたいが、足の踏み場がないのとかはやっぱりやだなー。
そんなことを思っていると、月見さんがすっと手を挙げた。
「あ、あの、考えがまとまりましたので、私の考えを言ってみてもいいでしょうか」
「は、はい。どうぞ」
月見さんはジュースのグラスを両手で包み込みながら、一言一言をゆっくりと語った。
「まず、許せないってことはないです。
あの、ゆりさんは、きっと変わってくれると思います。
私……、覚えているんです」
「何をですか?」
「ゆりさんが101号室を希望したときに、私はナツさんにこうお伝えしました。
『女性でしたら二階がいいんじゃないですか?
二階の部屋も空いてますよ、と説明してあげてください』と。
それに対するゆりさんの返事は――覚えてますか、ナツさん」
「うんにゃー」
酔っ払ったナツさんが、プルプルと頭を振る。
この人に期待しても無駄だろう。
「ゆりさんの答えはこうでした。
『ゆりは、通販が好きだから。
配達の人が、階段を上るのは大変だろうから、一階がいいです』って」
へえ……。そんな考え方もあるのか。
月見さんは穏やかな微笑みを浮かべ、指先で手元のグラスをそっと撫でた。
「ね? それって、優しいですよね。すごく優しい。
宅配便の人だって、仕事なんだから何階高いとこに住んでたって、文句は言わないはずです。
でも、ゆりさんは、遠慮しちゃうんです。それって、心が優しいんですよ」
それをずっと覚えている月見さんも、随分優しい人だと思うが。
「今回のこと、ゆりさんは反省したんです。
もう周りに迷惑はかけたくないと仰ってました。
だからもう、ゆりさんは大丈夫なんです、変わるんです。
だから私も……許せるんです」
そう言って、月見さんはオレンジジュースに口をつけた。
「うんうんっ、あたしもゆりさんのこと許せちゃうなー。
あの人、部屋を二つも借りてくれることになったしー」
俺と月見さんの動きが、ピタリと止まる。
「え?」
「はぁあああ?」
俺たちの反応に、ナツさんがびくっとして。
そして、えへらっと弁解を始めた。
「や、よーく考えてみてよー。
ゆりさんって、彼氏に106号室に迎えにきてもらったりしてたわけでしょ?
それなのに、いきなり部屋が101号室になってたら、彼氏にどう説明するの?
ヘンでしょ」
ナツさんの正論に、俺ははっとした。
「うっ、そりゃ確かに」
ナツさんは両手に一本ずつ合計二本の焼き鳥を持ち、得意げに語る。
「だ・か・ら、106号室を正式に借りてもらうことにしたの。
ゆりさんは、荷物が多すぎて片付かないみたいだから、二部屋あった方がいいだろうし、整理整頓が出来たら101号室を退去して、106号室だけにしてもいいし。
ほら、いいアイデアでしょ?」
「確かにそうかもしれません。でも、お家賃の負担が!」
焦る月見さんに、「心配ご無用よ」とにっこり微笑むナツさん。
「ゆりさんってねー、年収は普通なんだけど、以前水商売やってて貯金がすごいの。
ホントはもっと高い部屋も借りれたんだけど、ジャグジーに魅力感じて、あのアパートに入居したって。
でね、今も通販に、月十万ぐらい使っててー。
その通販の無駄遣いをやめて貰えば家賃なんて余裕。
買い物依存症を治すいい機会ね。セラピーみたいなもんよ、うん。
あ、もちろん、106号室の敷金礼金もしっかり頂くからね」
そうして、ナツさんは次の言葉で締めくくった。
「一人の入居者で、二部屋の家賃がとれちゃう。イッツ、マジック!」
俺はとっさに月見さんの反応を見た。
「さすが、ナツさんですー」
月見さんが納得してるなら、まあいいか。
◇
かくして、この106号室の事件は終わった。ただし、後日談がある。
ある朝、アパート前でゆりさんと出会ってしまったのだ。
ゆりさんは「この前はど、どーもぉ……」と恥ずかしそうに言った。
何か自然な会話はないものかと思った俺は、目の前にある畑の花に目をやり、
「これ綺麗に咲いてますよね。水やりとかもしてるんですか?」と訊いた。
ゆりさんは「え?あたし、やんなきゃいけないのかなぁ?」と不思議な反応を返す。
えー。なんだか嫌な予感がした。
「もしかして、もしかしてなんですけれども」と前書きして俺は問いかけた。
「この花は植えていませんか? ゴミを漁ったこともない?
空のダンボールを使ってませんでしたか?」
「えー、全部、知らないけどぉ、なんかマズイかな」
花を植え、ゴミを漁る謎の美少女の正体は、ゆりさんではなかった。
非常に失礼な話だが、この女性って、特別に美少女ってわけではないんだよなあ。
あと、ダンボールもゆりさんとは関係ないらしい。
しかし、しかしだ。
忘れられた謎は放っておこう。ヤブをつついて蛇を出してどうする。
俺は残された謎を見ないようにした。
だって、俺は名探偵じゃないし。
【2章、終】
ここまで読んで頂いてありがとうございました!
以上で2章は、終わりですー。
感想など頂けますと、とても嬉しいです。
それでは!どうぞよろしくお願い致しますヽ(´ー`)ノ




