2-16 何かを隠している
拝むように手を合わせるゆりさん。
その姿は、もう何も隠していない正直な姿に見える。
でも、違う。嘘だ。明らかに嘘をついている! なぜなら――
「や、やちん……支払い……思いがけない臨時収入……」
「ちょ、ちょっと待って。今、電卓を出すわ。うふ、うふふ……」
こ、こいつら!
俺の隣で、月見さんとナツさんは、浮かれていた。
ゆりさんの『使った分の家賃は払う』という言葉に、色めきだっていた。
「あの、今回のことは、反省してるようですし、お部屋もきれいなままですし、確かに、空き部屋あったら、そこを有効利用したいって気持ちもわからなくもないです」
「だよねーだよねー。それより、さっそくお支払いの話を」
……おーい。ちょっと待とうよ。よく考えようよ。
月見さんが話をまとめようとしている。ナツさんが電卓を弾いている。
丸く収まるのかもしれない。でも――。
俺はもう少し追求したい。この人は何かを隠している。
だって、おかしい。あの106号室を倉庫にしてたのは嘘だ。
だって、あれほど物が少なかったじゃないか!
それに、106号室には夜七時に訪ねる人がいた。
なぜ、倉庫と思っている部屋に人を招くんだ!?
――わからない。この人の動機がわからない。真相を知りたい。
気がつけば、俺は言葉を発していた。強い声で。
「あのっ!」
月見さん、ナツさん、ゆりさんの視線が集まる。
俺は静かに語り始めた。
「106号室をレンタル倉庫代わりにしてたって……嘘ですよね。
だって、荷物が少なすぎますし。
あと、俺が106号室に行った七時前、あなたは無警戒にドアをあっさり開けました。
今日、女性である夏目さんが101号室に行ったときには、あなたはあんなに用心深かったですよね。
チェーンをかけて、扉の隙間もわずかで。
この違いって、どうしてでしょう?」
俺は思わず喋っていた。
頭の中を吐き出すように、言葉がとまらない。
「服装だって違います。106号室では、確かあなたはお洒落な服を着てました。
俺は女性の服に詳しくありませんけど、倉庫に荷物を運ぶときに、あんな服、着ないですよね。
なんだか、今からデートにでも行くような服でした。
つまり、夜七時にあなたは誰かを待っていたんじゃないですか。
……たとえば、恋人を」
ゆりさんの顔が、みるみるうちに蒼白になっていく。
恋人で当たりだったのか。やはり何かヘンだったのだ。
今日の服装とあの日では、いくらなんでも気合の入れ方が違いすぎる。
ただ、ここからがわからないのだ。
俺は最大の疑問を投げかけてみた。
「なぜ、恋人をわざわざ106号室で出迎えたのでしょうか?
なぜ、101号室ではダメだったのでしょうか?」
わからん。ここが本当にわからないのだ。
ゆりさんは、唇をぎゅっと真っ直ぐに結んだ。
喋るつもりはないらしい。
部屋に沈黙が流れた。
……ダメだ。これ以上は追い詰められない。
なにせ、俺自身も事件の真相がわかっていないのだから。
そのとき、ナツさんの大きく明るい声が、沈黙を破った。
「あっ! あたし分かっちゃったかも」
そうして俺に向かってウインクする。
「ごっめんね~、灰田くん! あたし、いいとこ持ってっちゃうみたい。
これも管理会社勤務の経験の賜物ってことで、許してよねっ」
危険を察知した小動物のように、ゆりさんが怯えている。
「あ、わ、私、家賃は払いますから、だから……」
「ちょっと待って。あたしの話を聞いて。
賃貸でね、要注意になる人物がいるの」
ナツさんがゆりさんに詰め寄る。獲物を追い詰めるようだった。
舌をぺろっと舐め、三本の指を立てて、ナツさんは語る。
「その1.常に厚手のカーテンを閉め切っている。
その2.ドアの開け方に特徴がある。
その3.部屋を見られることを頑なに拒否する。
これら三つの特徴が当てはまったら要注意。
ゆりさん、あなたならわかるわよね?」
「な、ナツさん? 何のお話ですか?」
月見さんの問いかけも届かない。
ナツさんは自分の鞄を引き寄せ、ジャラジャラと銀色に光る束を取り出した。
獲物に刃物を突きつけるかのように、ゆりさんに鍵を見せびらかす。
「あなたリフォーム終わったあと、今年の春に入居したでしょ?
たった数ヶ月で、どうなったのかしら?
マスターキーはあるのよ。
ムリヤリ開けられるのと、今謝るの、どっちがいい?
……あ、それとも、その恋人さんに教えちゃおうかなあ」
ゆりさんの瞳は、潤み、恐怖で顔がひきつり、そして。
懇願するように泣き崩れた。
「あ、謝るから謝るから、お、お願いだからぁ
絶対に、101のこと、彼には言わないでええぇえええ!」
………。
頭が真っ白になった。
え? 俺、やばい。状況が飲み込めてない。
なんで「101のこと」なのだろうか。不法占拠の部屋は106号室なのに。
ふと、月見さんを見る。月見さんも、ぽかーんとしている。
どうやら俺も月見さんも、よく状況が把握できていないらしい。
呆然とする俺たちをよそに、ナツさんとゆりさんの話し合いは進んでいく。
ナツさんはふんぞり返って胸を張り、上機嫌で浮かれたようにお喋りしている。
「オッケー、いいわよ~。
その代わり、106号室の家賃はちゃんと払ってもらうからね。
あ、それとそのうち、101号室の室内火災報知器の点検もしよっかなー。
これ、拒否権ないから、よろしくね。
火事って怖いし、ちゃんと点検しないとねー」
ゆりさんは涙を浮かべ、
「……はい、はいぃ。もう反省していますから、大丈夫ですぅ」と頷いている。
「うんうん、反省する子は、大好きよー」
俺はナツさんのスーツを引っ張り、小声で訊ねた。
振り返ったナツさんは、俺の耳元でそっと囁く。
「……汚部屋。ゴミ屋敷。オーケー?」
――理解した。やっと理解できた。
ゆりさんは自分の部屋101号室を、ひどい汚部屋状態にしているのだ。
そこには恋人は呼べないのはもちろん、玄関のドアを大きく開けるのすら、はばかられる状態なのだ。
彼氏に部屋の惨状がバレてしまったら、振られる。嫌われる。
だから、こんなことをしてしまったのだ。
『彼氏に見られても平気な、女の子の部屋』を確保するために。
ぐすぐすと、ゆりさんは目を真っ赤にして泣いている。
「あたし、彼のこと好きで、真面目に考えてて、アパートの前まで送ってもらったこともあって、このアパートってバレててぇ、ちょっとでもいいから部屋を見たいとか、夜のデートは車で部屋まで迎えに行くとか言われて、すごく、どうしようもなくてぇ……」
彼氏に嫌われないために、フツーの女の子が、こんな不法侵入を企てる。
いや、これは十分、フツーじゃない行動だ。
でも、けれども――。
「ごめんなさい、ほんっと、ごめんなさいぃぃ!」
小さくなって泣いているゆりさんは……彼氏に嫌われたくない、ごくフツーの女の子にも見えた。




