2-14 目的の人物
夜七時過ぎ。その部屋には煌々と灯りが点っていた。
目的の人物は、すでに帰宅しているようだ。
月見さん、ナツさん、俺の三人は、その部屋の前で最後の打ち合わせをした。
「やれやれ、せっかくの休日にスーツなんてね。不良社員の称号が泣くわ~」
スーツ姿できっちり化粧もしたナツさんが、肩を揉みながらぼやく。
そう言いながらも、その表情は獲物をしとめる直前のようにイキイキとしている。
「まずあたしがテキトーに話しかけてみるから。
私が話してる間に、灰田くんは『当たり』かどうか確認して。顔見たらわかる?」
ナツさんからの小声の問いかけに、俺は頼りなく首を振った。
「顔見てもわかんないかもしれないです。
でも声は覚えてるので、しばらく声を聞けば」
「オッケー。じゃあ、なるべく話を引き伸ばしてみるわ」
「宜しくお願いします」
月見さんは、さっきからあまり喋らず、控えめに縮こまっている。
「あの……、なんだか申し訳ありません。
何もかもお二人にお任せしていて、私……何の役にも立っていなくて」
「いいの。月見ちゃんは居てくれるだけで、天使なんだから」
その意見には同意だ。
「じゃ、いくわよぉ~」
一呼吸して、ナツさんはピンポンを押した。
やがてインターフォンから「どちらさまでしょうかぁ?」という声が聞こえ、返事をする。
「すいません、わたくし、このアパートの管理を請け負っております安直コミュニティの夏目と申します。
ちょっと伺いたいことがありまして、お時間よろしいでしょうか」
営業スマイルモードのナツさんだ。
ややあって、扉がわずかに開いた。
チェーンをかけたまま、本当に、ごくわずかの隙間。
一人暮らしの女性というのはここまで訪問者に警戒しなければならないのか。
物騒な世の中とはいえ、大変そうだ。
「ん~っと、なんですかぁ」
ナツさんの背後からそっと、その人物の様子を伺う。
ドアの隙間からわずかに見えるその女性は、トレーナーにジャージ姿で、「のそっ」
という擬音が似合いそうな、実におっくうそうな雰囲気だった。
髪は後ろでしばっており、顔は全く化粧をしていないすっぴんだ。
あのとき俺が見た女性は、髪を下ろし化粧をしていたように思う。
やはり顔だけで判断するのは難しいようだ。
「実は最近、深夜に白い車がアパート内に不法駐車しているようなんです。
何か心当たりはございませんか?」
「ん~、ゆり、ちょっとわかんないですねぇ」
ゆりというのは、この女性の名前らしい。
一人称を名前でよぶ女性は苦手だなあと思いつつ、今はそんなことを考えている暇はない。
「それでは、深夜に大音量の音楽をかけている住民がいるようなのですが、
この部屋までは聞こえてきませんか?」
「はぁい。夜は静かですよ」
「えーと、では……」
ナツさんが口からでまかせな話をしている。話を引き伸ばそうとしているのだ。
わかってる。
声を聞いて俺が判断しなきゃいけないんだ。
この女性が、あの106号室に居た女性かどうかを。
正直かなりの高確率で当たりだと思う。
ただ、あの時会話した同じセリフが出てこないと、断定は出来ない。
「あのぉ、そろそろ、いいですかぁ?」
不審に思った女性が、話を切り上げようとしている。
そろそろ限界か。やばい。
「あ、少々お待ちくださいね。えーと……」
ナツさんは慌てて、スーツの胸ポケットを探り始めた。
「この物件をご案内した際にお渡ししたかと思いますが、わたくしの名刺、
念のためもう一度お渡ししておきますね。何かありましたら、ご連絡ください」
ナツさんは名刺入れから名刺を取り出し、丁重に両手で差し出した。
名刺を受け取った女性は、少し戸惑うように、だが愛想よく言った。
「あ、どーもぉ」
――きた。一致した。
この声、このイントネーション、この口調、この甘い喋り方。
俺はナツさんのスーツを引っ張り、振り向いたナツさんに無言で頷いた。
瞬間、ナツさんはふっと笑みを浮かべる。
そして、女に向かって言い放った。
「予定変更、計画実行。少し長い話になるわ。
上がらせて貰える? ていうか、ここって101号室だっけ?
……あ、106号室だっけ?」
その女――プレーヌリュンヌ101号室の入居者「川島ゆり」さんは、目を見開いて固まっていた。
◇
部屋に上がらせて欲しいというナツさんの要望に、ゆりさんは断固拒否をした。
「か、か、管理会社の人だからって、ゆりの部屋に入る権利はないと思うんですぅ~」
反論しようと息を吸い込んだナツさんを、急いでなだめて、俺は自分の部屋を提供した。
105号室に、ナツさん、月見さん、ゆりさんを招き入れる。
クッションの数も足りず、なんとなく向かい合うように適当に座ってもらった。
女性三人が自室に来たというのに、全く華やかな雰囲気にはならない。
そりゃそうだ。
これから行われるのは――事情聴取なんだから。
緊張しているのか、座っても小刻みに震えてるゆりさんは、追い詰められた小動物のようだった。
出来るだけ優しい口調で、俺はゆりさんに問いかける。
「ところで、俺のこと覚えてませんか?
五月下旬にタオルを持って106号室に行ったことがあるんです」
ゆりさんは、びくっと体を動かし、間延びした口調で喋った。
「ゆ、ゆりは、101号室に住んでるんです。
106号室とか、住んでないし。人違いだと思いますぅ~」
直後、ナツさんが大げさにため息をつき、俺に指令を出した。
「灰田くん、解説よろ。さっさとトドメ刺してあげて」
震えてる女性を追い詰めるのってやだなあと思いつつ、俺は核心に迫る。
ここまで読んで頂いて、ありがとうございます!
あと3話で、2章が終わる予定です。
最後までお付き合い頂ければ嬉しいですヽ(´ー`)ノ




