2-12 気になる単語
「悪いけどさ、俺忙しいんだよ。ちょっと考えなきゃいけないことがあるんだ」
そっけなくそう言って、俺はバックから一枚の紙を取り出す。
月見さんやナツさんと話しながら制作したアパートの見取り図だ。
これがきっかけで106号室の異常に気付いたのだし、何か推理の材料になればと持ってきた。
俺が見取り図を眺め始めると、鈴木は「ひどいよひどいよ、灰田クン」と露骨に拗ねた声を出す。
そして拗ねまくった鈴木は、俺の手元から見取り図の紙をひったくると、隣のテーブルの上に裏返して置いてしまった。
「そんなことより、今はこれに注目してくれよ!」
俺の目の前に、鈴木は先程のつくりょくの記事原稿を突きつける。
「お前って、そんなにワガママな奴だっけ?」
俺の呆れたぼやきにも、鈴木はまったく反省しない。
原稿をテーブルの上に置き、おどけるように俺に訊ねてくる。
「さあ灰田クン、このベスト10の事件のうち、どれが一番気に入ったかな?」
今は下世話な文章を読む気が起きないのだ。正直なところどれでもいい。
げんなりした表情を浮かべる俺に、鈴木は少しだけしんみりした表情で語りかけてきた。
「今後の良い誌面づくりのために、大事な友達の意見を聞きたいんだよ。……頼むよ」
そう言われると、あまりむげにも出来ない。
カツ丼のカツを噛み締めながら、再度テーブルの上の記事原稿に目をやる。
……ふっと、文字列の中に、ひとつ気になる単語を見つけた。
――鍵。
前後の文章を確認する。
『第7位 女子宿舎の鍵の秘密。真夜中のイケナイ私を、こじ開けて♪』というタイトルだ。
タイトルだけで内容の詳細はない。まだ書きあがっていないのだろうか。
「これは、どういう内容なんだ?」と、紙を指し示す。
指し示した部分を見た鈴木は目を丸くし、大げさに歓喜の声をあげた。
「ブラボー! 素晴らしいね灰田クンは。さすが僕の友達だよ。
本当にキミは面白い奴だ!」
「………え、何でそんなにオーバーリアクションなんだ?」
訝しがる俺から、鈴木はすっと目を逸らした。そして軽く腕を組んで呟く。
「読者はそういうのがお好みか。今後の参考にさせて貰おう」
な、なんか勘違いされた気がする。
俺は『鍵』に反応したんだからな。
『真夜中のイケナイ私』とかに食いついたわけじゃないからな!
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、鈴木は実に楽しそうに、内容を説明し始めた。
「まあ、随分バカバカしい話なんだけどね。
女子宿舎のある女の子が、ひどく酔っ払って門限を過ぎてこっそり帰ってきたんだ。
だが、自分の部屋の前で、自室の鍵を無くしてしまっていることに気付いた。
宿舎の管理人に言えば、マスターキーを貸してもらえただろうけど、この子が門限破りの常習犯で、管理人と顔を合わせるのも嫌だった。
だから、すぐに鍵を開けてくれる業者を探して、連絡したのさ」
「鍵を、開けてくれる業者……」
思わず呟いてしまった。
そうか、俺は利用したことがないが、そういうものがあるのか。
そういえば、車のキーを車内に置いたままロックしたとか、そういうのをテレビで見たことがある。
鍵の110番とか、鍵レスキューとか、そういう業者だ。
鈴木はお冷やを一口飲み、唇を舐めた後に説明を続ける。
「結構な金額をとられるって話だが、それでもいいと思ったんだろう。
やがて、鍵の業者の男性が宿舎に駆けつけた。
管理人にはバレないように、こっそりと宿舎内に入っていき、その子の部屋の鍵を開けようとした。
しかし、ここで問題が発生した。その子の身分証は、部屋の中にあったのさ」
俺は少しだけ首をひねった。
「……それが何か問題なのか?」
「鍵業者の男性は、マニュアル厳守で、きっちり手順を守る人だったからね。
保険証、住民票などで、身分証明や住所の確認が出来ない限り、鍵を開けられないというんだ」
「いや、鍵を開けてもらえば、部屋の中に身分証があるんだから、後でそれを見せればいいんじゃないか?」
俺の再度の質問に、鈴木は大げさに肩をすくめる。
「その女の子もそう主張したよ。でも、無理らしい。
身分証がないと、もしかしたら狂言で、無関係な人の部屋を開けてしまうことにもなりかねないからね。
鍵業者も、犯罪に加担するのは嫌だろうし、ルールは守りたかったらしいんだ。
というか、女の子があまりに酔ってるから、警戒したってのもあるだろうね」
ははあ、なるほど。頭は固いが理屈はわかる。
身分証もない酔っ払いから「この部屋を空けてください、お金は払います」と言われ、ホイホイ鍵を開けていたら、後々トラブルになりそうだ。
「女の子は、その鍵業者の融通の利かなさにキレた。
鍵業者は、第三者が立ち合うなら開錠するといい、管理人を呼ぶように要請。
それは困るといって、二人は口論になった。
その口論があまりに激しく、また男子禁制の女子宿舎から男性の声が聞こえるもんだがら、別の女子生徒がその場に駆けつけたんだ。
その女子生徒を、仮にAさんとしよう」
「はあ」
ちょっと俺は疑問を持った。なぜその女子生徒がAさんなのだろう。
普通、酔っ払って鍵業者を呼んだメインの登場人物を、Aさんとすべきではないだろうか。まあ、いいけど。
鈴木は少し唇を歪めニヤニヤしたあと、さらに言葉を続ける。
「駆けつけたAさんは、酔っている女の子に
『この男性は誰? 揉めているの? 排除したほうが良いのかしら?』と尋ねた。
女の子は、その場の勢いで『この男、女子宿舎に勝手に入ってきた不審者なの』
とごまかすための嘘をつき、男性が反論する間もなく――
Aさんのハイキックが男性の頭を直撃したそうだ」
「ちょっと待て! ハイキックってなんだ!?」
俺のツッコミに、鈴木は涼しい顔で平然と答える。
「Aさんは、実は武道の達人なんだ」
なんかむちゃくちゃな話だなあ。段々ゴシップ記事っぽくなってきたぞ。
食べかけのそばを目の前に、鈴木は夢中で話を続ける。
もはや、そばが伸びることなど気にしていないようだ。
「で、倒れた男性を見て、酔っ払いの女の子は思わず悲鳴をあげた。
さて、この悲鳴に驚いたのが、同じ階に住む善良な女子生徒たちだ。
長々と続いていた口論の後に悲鳴とあっては、恐ろしくなるのも当然だ。
怯えた善良な女子生徒は、部屋から一歩も出ず、状況もよくわからないまま、とりあえず警察に通報してしまったらしい」
「あー、そうして大騒動になって、みっともないことになったのか」
まったく、酔っ払いの女の子は、最初から管理人に頭を下げていればよかったのだ。
まあ、その女の子も酔いがさめたら反省しているだろうけど。
「以上が事件の詳細さ。
ちなみに、一時意識不明だった男性はきちんと意識を取り戻したし、
Aさんの方から金銭を含めたお詫びもあったみたいだけど。
ま、どう考えても一番悪いのは酔っ払いの女の子だねえ」
「そうだなあ」と相槌を打ちつつ、俺もちょうどカツ丼を食べ終わった。
ただ……どうしても気になることがあり、俺は疑問点をひとつ挙げた。
「ところで、その酔っ払いの女の子は、一回鍵を開けてもらっても、次はどうするつもりだったのかな。
鍵がないと、結局困るんじゃないのか?」
「あー、ああいう鍵の業者は、その場ですぐにスペアキーを作ってくれるらしいよ」
「……へぇ」
――頭の中で、カチャリと音が鳴ったような気がした。




