2-9 居る、住む
俺はナツさんに疑いの眼差しを向けた。
「……もしかして、犯人とグルとかそういうことですか?」
「そんなバカな! 怒るわよ」と言い、ナツさんはこちらを睨みつける。
「……じゃあ、警察が介入することで、会社側に点検サボってたのがバレるのがイヤとか?」
「んー、ちょっと近いわね」と呟き、ナツさんは苦笑いしつつ目を逸らした。
この人、クズだ。この期に及んで身の保身かい!
ナツさんは堂々と「第一、今夜警察沙汰になったら、あたしの貴重な水曜の休日が潰れちゃうじゃな~い」とのたまう。
月見さんが困ったような表情で、ゆっくりと説得を始めた。
「ナツさん、私の方から通報しましょうか?
ナツさんにはご迷惑をおかけしないようにしますから大丈夫ですよ」
ナツさんは顔をしかめ、顔の前で手を横に振って否定する。
「いや、違うの。とにかく警察に連絡する前に、もっと出来ることがあるってことよ。
ほら、ここには名探偵もいることだし! 何か怪しいことはない?
灰田くん、推理してよ」
無茶だ! 大体、今一番怪しく挙動不審なのは、ナツさんだ。
なんで警察が嫌なんだ!?
「灰田くんは、ここに居た女とも、引越しの挨拶で会ってるわけでしょ?
その女が犯人に決まってるんだから!
犯人と名探偵が接触してるなんて、勝ったも同然よ。イエイ!」
「んなアホな……」「あ、そういえば」
脱力する俺の隣で、月見さんが唐突に声をあげた。
俺たちが注目すると、
「た、たいしたことじゃないんですけど」と前置きして、話を始める。
「灰田さんが挨拶に行ったとき、女性はこの部屋に『居た』わけですよね。
でも、電気も水道もないこの部屋に『住む』ことはできません。
このお部屋には布団もありませんから、ここで眠るのも大変そうです」
まあ確かに。
『居る』と『住む』の違い、それは一体何を意味するのだろう。
「えっと、なんていうか、不思議なんですよね。
たとえば、ホームレスさんが夜の寒さをしのぐために、空き室に不法侵入した……ならわかるんです。目的がはっきりしています。
でも犯人の女性は、なんのために、この空室に侵入したのでしょう?
侵入しただけじゃないんです。こういう風にちょっとした家具まで持ち込んで……」
部屋にあるのはローテーブルやクッションなど。
女性でも軽々持てそうなものではあるが、だからといって、わざわざこんなことをする目的がわからない。
「トイレも使えない、眠るわけでもない部屋。まるで
『住むことはできなくていいから、部屋がひとつ欲しかった』って感じね」
ナツさんの言葉に、ますますわけがわからなくなる。
子供が自分の部屋を欲しがるみたいだ。そうだ、たとえば、秘密基地みたいな。
月見さんとナツさんも、あれこれと考えを巡らせ話し合っている。
「プライベートな隠し部屋、子供たちの秘密基地……。
ちょっと一服できる喫茶店のような休憩スペース、そんな目的でしょうか?」
「その割には、インテリアがごく普通っていうか。
いかにもフツーの女子って感じよね。ま、犯人は女なんだから当たり前だけど」
犯人の女。
そう、その女性に俺は会っているのだ。それなりにしっかり思い出せる。
――水漏れがあったあの日、時計を見ると七時ちょっと前だった。
俺はタオルを持ってこの106号室にやってきたのだ。
ピンポンを押すと、すぐに女性がドアをガチャリと開けてくれた。
ほとんど顔は合わせなかったが、挨拶の言葉を交わしてタオルを手渡した。
……ってあれ? なんかおかしくないか?
記憶をたぐり寄せ、再生する。やはりおかしい。
なぜ、すぐにドアを開けてくれたのか。
リフォームされた部屋であれば、立派なモニタ画面付きインターフォンがあるのだ。
そこで「どちらさまですか」と訪問者に問いかけるのが普通じゃないだろうか。
ぱっと見て俺が怪しそうじゃないので、そのままドアを開けて出てきたのかもしれない。
だが、これもおかしい。本来は106号室は空き室で人は居てはいけないハズだ。
だから、新聞の勧誘など誰かが来てピンポンを押しても、犯人は出てこないのが普通なのだ。つまり――
思考をさらけ出すかのように、いつの間にか俺は声を発していた。
「わかった! 犯人はこの部屋で、誰かと会う約束をしていたんです。
七時ちょうどに、その人物が来る予定だった。
だから、七時直前に俺がピンポンを鳴らしたとき、目的の人物が来た思い込んで、
無警戒にドアをいきなり開けたんだ」
月見さんとナツさんが、目を丸くして驚いた顔で俺を見つめる。
俺は、あの日のことを詳細に説明した。
そう、あの女性の顔を俺が見ていないのも「俺が人見知りで目線を合わせなかった」に加えて、「その女性も俺から顔を背けていた」からなのだ。
後ろめたい自覚はあったのだろう。
月見さんとナツさんは、俺の話に納得したように深く頷く。
「なるほど! すごいです、さすが灰田さん!
つまり、犯人はこの場所で誰かが来るのを待ってたんですね」
心から尊敬したような眼差しだ。
うう、だからその眼差しは癖になるんだってば。
「なるほどねー。で、その目的の人物と会って、犯人は一体何をしていたのかしら?
教えて、灰田くん」
お、俺は全自動推理機じゃない。
そんなに次々に自動的に真相がわかるもんか!
「わかんないですよ。ただ映画とかだと、秘密の待ち合わせ場所で、麻薬の取引とか」
「麻薬!」
月見さんが小さな悲鳴をあげる。
「布団もないから、ラブホ代わりってわけでもなさそうよね。シャワーも浴びれないし」
「ラ、ラ、ラ、ぶほっ……!」
月見さん、最後はむせていた。
それから皆で座り込み、あれこれと推理を重ねても、犯人の目的について結論は出なかった。
やがてチュンチュンと鳥の鳴き声まで聞こえてきた。
あ、明け方だぁー。
「灰田くん、もうちょっと頑張ってよー」
「んなこと言ったって、圧倒的に推理の材料が足りないわけで。
ナツさんこそ、もっと考えてくださいよぉ~」
グダグダの俺に、月見さんが優しく慈愛に満ちた声をかけてくれる。
「あの……こんなに朝になるまで、本当にありがとうございました。
こんなことになるなら、この前も隠し事をせずに、灰田さんに正直にお話しておけばよかったと思います」
「隠し事?」
俺の問いかけに、月見さんは少し目を伏せる。