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2-8 懐中電灯を構えて

 ガチャリと少し重めの金属音がして、106号室のドアが開いた。


 鍵を開けたのは月見さんで、その後ろにナツさんが懐中電灯を構え、部屋へと入っていく。

 俺はものすごく躊躇しながらも、二人の後に続いた。


 まず最初に刺激されたのは嗅覚だった。

 俺の鼻腔に飛び込んできたのは、ラベンダーの癒されるいい香りだ。


 ナツさんの懐中電灯が真っ直ぐに奥を照らすと、そこには水玉模様のポップなカーテンがあった。

 その手前、部屋の中央辺りを照らすと、広々としたフローリングの上に円形の小さなローテーブルと、丸っこいピンクのクッションがあるのが確認できた。


 テーブルの上には、洒落たマグカップと、お香なんかのアロマセットがちょこんと置かれている。

 ――いかにも女性の部屋らしい、可愛らしい光景がそこにあった。


「……ど、どうして」

 月見さんから悲痛な声があがる。

 どうしても何もこれはナツさんのミスに違いない。


「ほ、ほら! やっぱ誰か住んでるじゃないですか。

てか、勝手に入っちゃダメでしょ!」


 俺は声を押し殺しながらナツさんを責める。

 とにかく一刻も早く外に出たかった。

 無断で他人の部屋に入るなんて、どう考えたって最低の行為だ。


「ほら、早く出ましょうよ!」

「……少し黙ってて」


 俺に冷たい言葉を浴びせ、ナツさんはスタスタと台所へと向かった。

 懐中電灯の光が、暗い部屋の中で忙しく揺れる。


「月見ちゃん、灰田くん。これ見て」

 台所からナツさんが俺たちを呼び寄せる。水道のレバーを押して、低い声で言う。

「水道は出ない。ガスもつかない。それどころかコンロもない」


 懐中電灯が流し台の横を照らした。

 通常、住民によってガスコンロが置かれるはずの場所には、コンロがなかった。


 ……あれ? なんでだ?


 さらにナツさんは数歩歩き、電灯のスイッチをパチパチと触った。

「電気も来てない。当然か。だとすると……」


 ナツさんは部屋の中央に向かう。

 やがて、ローテーブルを中心として、部屋の中に柔らかな灯りが点った。


 ナツさんは表情を無くした顔で淡々と呟く。

「充電式のLEDライトがあったわ。どうやらこれで灯りを確保してたみたい」


 非常時に役立ちそうな充電式のライトは、間接照明のようにおしゃれな光を放っている。

 ローテーブル、クッションなどが、柔らかな光に包まれ、普段ならいいムードの部屋に見えそうだ。

 軽く恋人の肩を抱き引き寄せるのにぴったりな、そんな部屋の雰囲気。

 だが、今はどうしても不穏な光に見えた。


「……どういう、ことなんでしょう」

 月見さんが搾り出すように、声を発した。


 また貧血になって倒れてしまうのではないか、そんな心配をしてしまう。

 だって俺もちょっと、クラクラしてるのだから。


 ナツさんがぶつぶつと呟きながら、ベランダの窓を触り点検を続ける。

「雨戸は閉めっぱなしでベランダの鍵もかかってる……。

堂々と玄関から侵入したってことよね。


鍵は、月見ちゃんとうちの管理会社が持ってて、きっちり管理してるわ。

ここの玄関の鍵はティンプルキーを複雑にしたヤツなのよ。

素人には簡単に開けられないはずなのに……」


 やがてナツさんは、足元のクッションを掴み壁に投げつけた。

 可愛いピンクのクッションが壁にあたり床へと転がる。


 ナツさんは静まらない怒りを吐き出すかのように、声を荒げた。

「ふざけた奴がいるわ。家賃も払ってないのに、この部屋を使ってる!」


 そのとき俺の頭に、ある言葉が閃いた。


 ――不法侵入、ならびに不法占拠。


 そうだ。この部屋は、どういうわけか勝手に鍵を開けられて使用されていたのだ。

 これは、れっきとした事件なんじゃないだろうか。


 ただ……、やはり引っかかるのだ。俺は正直な気持ちを吐露した。

「すいません。実はまだ実感がわいてないんです。

だって俺は、この部屋に住む女性に挨拶したわけですし、

もしかしたら、やっぱりまだ何かの勘違いとか書類のミスに思え……」


 俺の言葉に被さるように、仁王立ちのナツさんが断言する。

「ぜーーーったいにミスは無いわ! それに、見たでしょ? 

電気もつかない、水も出ない。つまりトイレもお風呂も一回だって使えないの。

この部屋に『住む』ことは出来ないのよ」


 確かにそうだ。この部屋に普通に住むことは出来ない。

 そういえば、置いてあるものだって少なすぎて生活感がない。


 落ち着いて見てみると、この部屋は実に不自然なのだ。

 その不気味さに気付くと、背筋が寒くなり胸の中にゾワリと嫌な気持ちが広がった。


 腕を組んでいるナツさんが、苛立たしげに指を動かしながら喋る。

「空室って余計なチラシ入れられないように、郵便受けにガムテープ貼ったりするでしょ? 

ああいうの不人気物件ぽく見えて嫌だから、内側からガムテ貼ってたのよね。

雨戸も閉めっぱなしにしてたわ。


あー、この部屋を最後に点検したのはいつだったかなぁ。

春にリフォーム終えてから、四ヶ月間は閉めっぱなしかしら。

点検してない間に、まさかこんなことになるなんなんて……」


 ナツさんの言葉が終わり沈黙が訪れた後、月見さんもゆっくりと重い声を吐き出した。


「……悔しい、です、ね……」


 痛々しい。

 本当に、身を切られるような痛々しい言葉だった。


 ローンを抱えてまでリフォームをした部屋を勝手に使われていたとあっては、この悔しさはどれほどのものだろう。


 月見さんの一言に、ナツさんは眉尻を下げて悲痛な表情を浮かべる。

「ごめんね、月見ちゃん。

空室の点検、もっと頻繁にしておけば良かった……」


「そんな、気にしないでください。ナツさんのせいじゃないです」

「でも、あたしに任せておいて、って言ったのに……

あたしが一ヶ月に一度の点検をサボってたから……」


 珍しくしおらしいナツさんの姿。

 そして月見さんの次の言葉で、俺は改めて事態の深刻さを感じることになる。


「とにかく――まずは警察に連絡をしましょう」


「やだ!」

 即、ナツさんが拒否った! 拒否りやがった。


「それはやだ! 絶対やだ! 警察だけは勘弁して!」

「な、どうしたんですか、ナツさぁ~ん!」


 さっきのしおらしさはどこへやら。

 一気にワガママになったナツさん。なんなんだこの人。


「警察のお世話になるのは、ノーサンキューなのぉ~!」

 拒否するように手のひらを前に突き出し、プルプルと首を横に振るナツさん。

 アンタ、前科でもあるのか!


「でもでも、実際にこうして鍵が開けられて不法占拠が行われているわけですし、

早く警察に連絡するのが、一般市民の義務だと思うんですよ~」

 駄々っ子をあやすように、オロオロとする月見さん。

 だが、ナツさんは納得しない。


「とにかく絶対に嫌だから! 警察に連絡するなら、あたしを倒してからにして!」

 俺たちの前に、両手を広げて立ちふさがるナツさん。困る、すごい困る。


 ていうか、すごく――怪しい。

 俺はナツさんに疑いの眼差しを向けた。

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