2-6 真っ白な紙
だが、俺には別の考えが浮かんだ。
「でも、これこそ、このアパートに住む、善意の誰かの仕業なんじゃないですか?
使われてない土地があったら、園芸好きの人が勝手に何か植えちゃうかもしれませんよね。
管理会社に一言相談すべきでしょうけど、入居後のナツさんの態度を見て、相談する気をなくしたとか」
うん。我ながら、そこそこ納得のいく説明だ。
月見さんは慌てたように、言葉を続ける。
「す、すいません、灰田さん。実はこのお花事件にも、目撃者がいるんです。
このアパートの202号室にお住まいの小場さんという方です」
「ちなみに小場さんは、夫に自分から別れを切り出した熟年離婚の方なのよ。
今は一人暮らしでせいせいしてるんだってさ」
頼まれてもいないのに、個人情報をダダ漏れにするナツさん。さすがは口軽女だ。
「えーっと、それでその小場さんによると、梅雨明けの頃、髪の長い美少女が、花を植えてたらしいんです。
小場さんも園芸が好きなので、ぱっと見て花の品種がわかったらしく
『あら、ニチニチソウ? きれいねー』と声をかけたそうです。
するとその犯人は『楽しめる期間が長いですし。お花って、生活の潤いですよね』
という返事をしたそうです」
ふむ。その会話を聞いてると――
その美少女は、まるでこのアパートに住んでいるかのようだ。
ナツさんが人差し指を立てながら、重要なポイントであるかのように喋る。
「でね、その小場さんがうちの管理会社にも電話してきたわけ。
『202号室の小場だけど、私もあの畑、使ってもいいかしら。あと、最近引っ越してきた子、随分美少女ねー』って。
で、繰り返しになるけど、このアパートには月見ちゃん以外に美少女とよべるほど、
容姿の優れた女性はいないわ。私は美女であって、美少女ではないしね!」
最後の方のセリフがやけに力強かったが、無視したい。
だが確かに、美少女というからには二十歳ぐらいまでがいいとこだろうか。
それ以上で綺麗な人は、「綺麗な女性」「綺麗なお姉さん」と表現される気がする。
再度美少女と呼ばれた月見さんは、頬を朱に染めながらパタンと手帳を閉じた。
「と、とにかく、この『ゴミ漁り事件』と『お花事件』は、ここ一ヶ月ちょっとの出来事です。
この二つの事件は、同一人物の犯行のように思えるのですが……、
どうでしょうか、灰田さん」
決めつけや思い込みは、真相への回り道をさせるし、初動捜査を誤らせる。
そんな言葉を思いつつも、確かに同一人物っぽいなあとは思う。
「なるほど。その二つの事件の話をあわせると……、
『このアパートに、ちょっかいを出している謎の美少女がいる。
その子は、まるでこのアパートの住民であるかのように振る舞っている』
ってことですね」
俺のまとめに同意したらしく、月見さんとナツさんは力強く頷いた。
「そうよ。そんなに住みたいのなら、家賃を払えばいくらでも住ませてあげるわ。
七人目の住民としてね!
でも、このアパートには、六人しか住んでないのよ!」
そうか、六人か。
って、このアパート十二部屋あるのに、六部屋しか埋まってないのかよ!
大丈夫なのか、アパート経営……。
「で、どう思いますか? 灰田さん!」
目の前には、月見さんの期待に満ちた顔があった。
「ど、どうって」
「なんか推理を聞かせてよ! いるはずのない、七人目の住民。
謎の美少女の正体は誰か、ズバリ推理してよ」
俺はどんだけ凄い安楽椅子探偵だ。この熱い眼差しにはお応えできそうにない。
まったく何も思いつかない。
困ったぞ。安易に話を聞かなきゃ良かった。
「えーと、ちょっと待ってくださいよ。えーっと……」
テストで白紙の答案を提出するのには、抵抗がある。
ダメでも一応、何か書き込んでみるだろう。そんな感じで俺は話し始めた。
「まずは、今までの状況を整理してみましょう」
「整理といっても、この大家手帳に書いてあることは、全てお話したのですが」
控えめながらもキッパリと宣言する月見さん。
うう、苦し紛れに言ってみたものの、俺も何をどう整理したいのかわからなかった。
「ええっと……、ええっと、まずは、紙とペンを貸して頂けますか」
俺が辛うじて何かを推理できるとしたら、念密なシミュがあってこそだ。
いきなりスラスラとモノが言えるわけがない。
シミュの際に、俺はまずメモをとる。
『口に出す前に、紙に書け』
これは、人付き合いのコツ99という書籍で学んだことだ。
「はい、どうぞ! 紙とペンです」
真っ白な紙とマジックペンを差し出される。月見さんのキラキラした瞳が眩しい。
「お手並み拝見ね」
やめてくれ、ナツさん。俺はゆっくりペンのキャップを外しながら、何を書くか考えた。
と、とりあえずこう書いてみよう。
『ゴミ漁り・お花事件、対策本部』
月見さんの華やかな歓声があがる。
「わぁー、本格的です! ドラマみたいで、かっこいいです~。
さっそく壁に貼りますね」
いそいそと棚からセロハンテープを取り出す月見さん。
俺の汚い文字を書いた紙は、テープで堂々と壁に貼られた。
そして新たに、紙が一枚支給される。
「はい、どうぞ! 新しい紙です」
――絶望。
真っ白な紙。頭の中も真っ白だ。
ナツさんが訝しげな表情で、フリーズしている俺をじっと見つめる。
「ねえ、灰田くん。もしかしてキミ……推理とか出来ないわけ?」
「そ、そうですかね」
ナツさんはちゃぶ台に頬杖をつき、遠慮のない呆れ顔をした。
「ええーー。この前、あれだけ妄想してたじゃない。せっかく期待してんのにー。
ミステリー小説の真似事でもいいから、何か披露してよー」
ひどい。
だが同時に、ミステリー小説という言葉にピンと来た。
そういえば……、先日読んだ小説には、冒頭に敷地内の見取り図が載っていたのだ。
密室の洋館での殺人事件ということもあり、部屋の位置関係を示した見取り図は、欠かせないようだった。
「そうだ! まずは、事件のあったこの周辺を図にしてみましょう」




