2-5 不可解な二つの事件
「ではさっそくなんですが」
そう言いながら月見さんは、スカートのポケットから、何かを取り出した。
――小さなオレンジ色の手帳だ。
手帳の表紙には『大家手帳』と可愛らしい手書きの文字がある。
俺の視線に気付いた月見さんは、
「こ、これは、大家をしていて気付いたことを書き込んである手帳なんです」と語った。うん、その名の通りだなあ。
その手帳をぱさっと開き、月見さんが説明を始める。
「不可解な事件は二つあります。
まずは一つめの『ゴミ漁り事件』についてお話します」
「はぁ。ゴミ漁りですか」
猫やカラスの仕業なら、仕方ないような気もするが。
事件というからには、そうではないのだろう。
「この事件の目撃者は、戸田さんです。
戸田さんは、このアパートの近所の一戸建てに暮らしている会社員の男性です。
小学生の娘さんをお持ちで、地域の防犯に熱心な方です」
腕を組みながら、うんうんとナツさんが頷く。
「ホント熱心な人よね。あたしが社名の入った営業車でアパートに帰ってきたら、いきなり話しかけてくるんだもん。
本当にあの戸田って人、面倒くさ……もとい、熱心な人だわ~」
露骨に煙たがってるじゃねーか。
戸田さんも話しかけた相手がこんな不良社員とは思うまい。
「で、その戸田さんは何を目撃したっていうんですか?」
「はい。六月上旬の深夜に、このアパートのゴミ集積場で、ゴミを漁っている人がいたらしいんです」
「へえ、ゴミを……」
六月上旬というと、今から一ヶ月ほど前か。俺が入居した後だ。
「それで、気味悪く感じた戸田さんは『おい、何をやっているんだ』と声をかけたそうです。
すると、その人は『私は、このアパートの住民です。間違って大切なものをゴミに出してしまったので、自分のゴミがどれか捜しているところです』と答えたそうです」
うーむ、と首をひねる。
事態を縮小化させたいわけではないが、俺は素直に思ったことを発言した。
「でも、本当にうっかりした人がゴミを捨てて、急いで回収しようとしてたのかもしれないですよ。
その場で少し漁らないと、どれが自分の出したゴミ袋かもわからないし。
間違って、他人のゴミ袋なんて、部屋に持って帰りたくないですしね」
月見さんは同意するように軽く頷き、話を続ける。
「そうですね。ただ、戸田さんの証言には、続きがあるんです。
そのゴミを漁ってた犯人は、『目が覚めるぐらいの、美少女だった』そうで……」
ここでナツさんが身を乗り出した。
ジェスチャーが大げさな塾講師のように人差し指をピンと立て、イキイキと喋る。
「さあ、ここからが問題よ!
あたしは、この『プレーヌ・リュンヌ』の住民を全員把握してるわ。
んで、美少女は、105号室の月見ちゃんしかいないの~!」
「ひゃっ、ひゃあああああ! 違います。
私はび、び、び、美少女ではありませぬううう!」
月見さんは顔を真っ赤にして、あたふたとパニック状態になっている。
「あ、あの時、ナツさんったら、通りがかった私を捕まえて
『美少女って、この子ですか?』って、戸田さんに訊いたりして!
私どれだけ恥ずかしかったことか!」
「あらー、戸田さんは『この子も美少女だけど、こういう感じの子じゃなかったなあ』って言ってたじゃない。
参考になる証言が聞けて良かったわ」
半泣きで抗議する月見さんを、ナツさんがヨシヨシとなだめている。
な、なるほど。不審に思う点はわかった。
「つまり、そのゴミ漁りの犯人は、このアパートの住民ではないんですね。
それなのに、咄嗟に堂々と嘘をついていた、と」
月見さんは髪の毛が揺れるほどに、首を縦に振った。
「そう、そういうことなんです!
戸田さんもその場は引き下がったそうなんですが、後でやっぱり気になってきたそうで。なんていうか、ちょっと気味が悪いですよね」
ふむ、確かに。
なぜゴミを漁るのだろうか、俺は顎に手をやりながら考える。
「カラスや浮浪者じゃないんだから、食料欲しさってわけではなさそうですね」
「ま、普通に考えられる路線としては、ストーカーかしらね。
または、口座番号など個人情報を狙っている。他には、そうねえ。
生ゴミの匂いフェチの美少女が存在するとか……?」
世の中には変わった趣味の人がいるものだが、いくらなんでもそんな美少女はいないだろう。
少し考えただけでは、答えは出てきそうになかった。
月見さんは、手帳をパラパラとめくり、コホンと咳払いをする。
「それでは次に二つめの『お花事件』についてお話します」
「お、お花?」と、調子はずれの声をあげてしまった。思わぬキーワードだ。
ナツさんと月見さんが、二人がかりで説明を始める。
「あのね、うちのアパートの敷地内、駐車場のすぐ横に畑みたいな空き地があるでしょ。
あれももちろん、月見ちゃんの土地なの」
「もし車所有の住民が増えた場合には、アスファルト舗装して、駐車場にしたいと思っています。
でも今はまだ土なので、そのうち夏になったらそばの種を蒔こうと思ってました。
そばの栽培をしようと思っていたんです」
「そ、そばですか!」
いつかそば打ちを始めるのではないかと思っていたが、いきなり栽培とは驚いた。
しかし、その畑ならわかる。畑は俺の部屋の真ん前にあるのだ。
あれ? でも、そこは……。
「えっと、最近は花が咲いてますよね。色とりどりの」
俺の言葉を聞いたナツさんは、少し眉を寄せて頭をポリポリとかく。
「そうね。でも、あれって一体、誰が植えたのかしら?
ついこの前までは、何も生えていなかったのよ。誰かが急に花を、苗ごと植えたの」
それは……確かにちょっと変だ。
俺は梅雨明けにカラフルな花が咲いたので、ようやく自分が花を認識したのだと思っていた。
でも、花が咲く前段階でも、葉っぱやつぼみがあるはずだ。
そういえば、ほんのこの前までは何もない土だけだった気がする。
「あたしはね、あの花は月見ちゃんが植えたと思って気にしてなかったの」
「私じゃありません! 私は、食べられないものを植えません!
やっとそばの種が買えたので、そばの栽培方法を調べていたとこだったのに……」
なるほど。
そばを育てたかったのに突然花があれば、確かに月見さんも動揺するだろう。
だが、俺には別の考えが浮かんだ。




