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1-14 今夜は月見そば(1章、完結)

月見さんは弱々しい表情で、たどたどしく言葉を紡ぎ始めた。


「私には今……頼れる両親がいません。このアパートだけが残された財産です。

私は、このアパートを大事に守っていかなければならないと思っていたのですが、あの、その……」


「…………」

 俺たちが黙っていても、月見さんはそれ以上、話したがらないようだった。


 さすがに深いところまで訊きすぎてしまったような気がする。

 今さらながら、自分の軽率さを恥じた。


「無理に話さなくてもいいですから」と俺が言いかけた瞬間、夏目さんが呑気な声で言葉を挟んだ。


「月見ちゃん、あたしから話そっかあ?」

「はい、お願いします……」


 夏目さんは口の横のクリームを拭い、さばさばと説明を始めた。

「このアパートは、一階に六部屋、二階に六部屋、合わせて十二部屋あるわ」


 それはわかる。

 俺の105号室の右隣に、106号室がありそこが一番端の部屋なのだ。


「そのうち、この205号室は大家の住居よ。

この部屋を除く、残り十一部屋を貸し出して、賃貸物件にしているわけ」


 夏目さんは、両手をいっぱいに広げて「この部屋」を強調した。

 そのとき俺は思い出した。


 そうだ、前に夏目さんは『賃貸物件は、全て同額の家賃よ。一階と二階も同じ料金』と語っていた。

 リフォーム前もリフォーム後も、同じ家賃なのを不思議に思っていたが、なんてことはない。


 そもそもこの205号室は、大家さんの住居であって、貸し出している賃貸物件ではなかったのだ!


 自分の思考の未熟さに「はぁ」と軽くため息を漏らす。

 それを相槌と受け取ったのだろうか。

 夏目さんは軽く頷くと、長い説明のクライマックスを口にした。



「それでね、月見ちゃんが抱え(・・・・・・・・)ている借金は(・・・・・・)この十一部屋のリ(・・・・・・・・)フォーム工事の料(・・・・・・・・)金なの(・・・)



「はあああああ?」

 ちゃぶ台に手をつくほど前のめりになり、声が裏返る。

 完全に俺の思考の外にある答えだった。


 部屋をリフォームすると、金がかかる。

 その工事費用を払うのは、確かに大家である月見さんだ。


 でも、そんな! 

 リフォーム工事のローンで貧乏だなんて、なんかすごく間違ってないか!?


「なんていうかぁ、ちょっとゴージャスにリフォームし過ぎちゃったのよね~」


 わざとらしいほど明るい声でそう言いながら、しきりに頷く夏目さん。

 な、なんか怪しい。


 俺は問いたださずには、いられなかった。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。その工事を月見さんに勧めたのって……誰ですか?」


「……あたし」


 はああああああ? 

 驚愕の連続で頭がくらくらする。何やってんだ、この人。


 あたふたと慌てた月見さんが、「ナツさんは悪くないんですっ!」とフォローする。

 そのナツさんこと、夏目さんは桜色の唇を尖らせ、拗ねるたように喋る。


「古くなってきたアパートの大家さんに、リフォーム工事を勧めるのも、管理会社の仕事だもん。

工事を請け負ってくれる関連会社との繋がりもあるし、私はよかれと思って紹介したの。

ただ、工事については、うちの管理会社の他の部署の人が担当になって……」


 やっぱり慌てた月見さんが「その担当の人も悪くないんですっ!」とフォローする。

 そのフォローを打ち消すように、ナツさんが頬を膨らませ、愚痴る。


「悪くないんだけど、ダメな奴でさぁ。もう今は過労のあげく病んで行方不明だけど。

そいつったら、業者のいいなりになってどんどんすごいリフォームの契約を結んじゃって。

あたしが気がついたときには、もう工事に取り掛かってて」


 さらに慌てた月見さんが「あ、その業者の人も悪くなくって、一生懸命に工事してくださって、お部屋もすごく素敵になりましたしっ!」とフォロー――。


 俺は胸が痛くなった。

 比喩ではなく、本当に胃がキリキリと悲鳴をあげそうだった。

 ちゃぶ台に、うっつぶして自然と頭を抱えてしまう。


 ……さ、最悪だ。少し聞いただけでもわかる。


 可愛く気の弱い月見さんは、業者のカモにされた。

 その原因を作ったのは、夏目さんだ。本当にテキトーな人だ。


 この人に何かを期待してはならない。とんでもなく頼りにならない! 


 心から軽蔑した視線を、夏目さんに浴びせる。

 夏目さんは釣り上げられたフグのように、両方の頬を膨らませた。


「何よ、その目は~! 

あたしだって、ほんのちょびっとは反省してるわよ。


だからこそ、その後、工事業者を脅したり、ローン契約の銀行担当者をなだめすかせたり、上司に賃料保証を交渉したり、もう、大変だったんだから」


「そうです、ナツさんは、私の味方になって頑張ってくれたんですー」


 ダメだ、心配だあ。

 言い訳が多い小悪魔が、天使を懐柔している! 

 月見さんは、不幸の元凶に懐いている。


 俺は意を決して発言した。

「あのさ、月見さん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど、

月見さんって結構……騙されているんじゃないかなぁ。

冷静になって考えてみなよ」


「え?」

 月見さんは、きょとんとする。


 俺は月見さんの瞳をじっと見つめて、説得した。

「だって、ひどいローン組まされてるし、ナツさんはいい加減だし開き直ってるし」


 そんな俺の言葉に、月見さんは口元に手をあてクスリと笑う。


「もー、何言ってるんですか、灰田さん。

ナツさんは信頼できる方ですよ。

灰田さんのような素敵な方を入居させてくださいましたし!」


 またもや口の横にクリームをつけた夏目さんが、堂々と胸を張る。

 ていうか、この状況でまだ菓子を食ってたのかよ、どんな神経だ! 

 凄いねメンタル!


「そうね。

灰田くんのような優良店子を入居させたのは、まぎれもなく私のお手柄だわ」

「ですよねー。ナツさん、やっぱりすごいですー」


 二人の会話を聞きながら、俺はどうしようもない無力感を味わっていた。


 く、悔し過ぎる。夏目さんの実績のダシに使われるなんて! 

 うああああ! このアパートに入らなきゃよかった。

 大後悔だ。頭を掻きむしりそうになる。


「なに不景気な顔してんの。

ほら、ここで暮らしてるのも何かの縁よ、仲良くしましょう。

あと、私のことは、ナツって呼んでいいわよ」


「ナツさんの、クズ」

「うがー、失礼ね!」


 無力感と虚脱感に包まれながら、俺は長く深いため息をついた。

 やっと、真相がわかった。


 月見さんがこの部屋をリフォームしない理由。


 それは――『これ以上借金を増(・・・・・・・・)やしたくないから(・・・・・・・・)』だ。


 なんと物悲しい理由だろう。

 そんな俺の心も知らず、月見さんは子供のように無邪気に微笑む。


「ところで、灰田さんもナツさんも、晩ご飯はまだですよね? 

おそばで良かったら作りましょうか?」


「あ、じゃあ、あたし、卵持ってくるわ」

「わぁ! だったら今夜は月見そばですー。豪華ですねえ、嬉しいですー」


 ……若い女子の会話とは思えない。俺は遠慮しようとした。

「や、そんな悪いですよ。貴重な食料を」


 月見さんはエプロンを着けながら、振り返る。

 あ、エプロン姿かわいい。


「大丈夫です。そば麺なら、大量に箱買いしてますし。

灰田さんが入居した日、水漏れで大変だったじゃないですか。

引越し蕎麦とか食べてないんじゃないですか?」


「ええ。まあ……」


 押し切られる形で、俺はそばが茹であがるのを待つことになった。

 ダシの香りだろうか、台所からいい香りが漂ってくる。

 俺は落ち着きなく、もぞもぞと座っていた。


 うーん、いいのだろうか。帰り際にさりげなく材料費を払うべきか。

 あ、それよりも、うちの両親が野菜を送ってくることがあるから、それを月見さんにあげたらどうだろう。すごく喜んでくれそうだ。


 ……って、俺、野菜を貰ったり送ったりそういう人情っぽいのは苦手なんじゃなかったっけ?


「灰田くん」

 あれこれと忙しく悩む俺に、ナツさんが話しかけてくる。


「あのね、月見ちゃんの作るそばは、絶品なの。期待していいわよ」


 そう言って、ナツさんが微笑んだときの顔は、俺がここに入居を決めたときの表情だった。

 ――嬉しくてたまらない表情。


 もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、確かにナツさんは、月見さんのことが大事なのかもしれない。

 良心というものがあるのかもしれない。


「ねえ、灰田くん。

そこら辺の畑から、ネギとか盗んでこれない? ちゃちゃっと」


 こんな人だけど。



   【1章、終】

ここまで読んで頂いてありがとうございました!

以上で1章は、終わりですー。

感想など頂けたら、とてもとても有り難く、励みになります。


そしてお話はまだまだ続きます。

アパートを舞台に、ゆるゆるな謎が色々と…。


コツコツ更新していく予定ですので、

今後ともどうぞよろしくお願い致します!ヽ(´ー`)ノ

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