1-12 末裔とコスプレ
たっぷりのクリームと、しっとりとしたカステラが口の中に広がる。
月見さんから貰った菓子折り『秋の月』は、確かに美味しかった。
包みも開けず少しも食べずに返すのは、逆に失礼だろうと思った俺は、十二個入りのうち一個を食べることにしたのだ。
しっかり味わった上で「美味しかったです。でも、量が多いので良かったら月見さんもどうぞ」と渡すのが、一番スマートではないだろうか。
俺のシミュの結果、そうなった。
そして、この十一個の菓子を渡すついでに、月見さんとゆっくり話をしたい。
俺は昨夜、ひとつの仮説を思いついた。
その仮説に乗っ取れば、不思議なこと違和感のあることに説明がつく。
ならば、その仮説こそ答えに限りなく近いのだろう。
ある程度の自信はあった。
◇
夜の七時前。俺は十一個の秋の月を丁重に抱え、月見さんの部屋の前にいた。
ピンポンを押すと、パタパタと走る音がして勢いよくドアが開く。
俺の顔を見た月見さんの第一声は「先生!」だった。
――え?
205号室にて。
月見さんとちゃぶ台に向かい合い、俺は大きなため息をつく。
「つまり、夏目さんが吹き込んだんですね、そーゆー嘘を」
月見さんは水色の瞳を見開き、ひどく驚いた声をあげる。
「え、えええっ、違うんですか?
金田一の末裔とか、ホームズのパイプ持ってるとか、ポアロのコスプレが出来るとか、そういうすごい探偵の先生だとお聞きしたんですけど」
「違います。全然違います」
というか、末裔とコスプレじゃ違いすぎるだろう。
「この灰田の、灰色の脳細胞にお任せ下さい、が決め台詞なんですよね?」
不安だ!
この人の信じやすさが、俺をものすごく不安にさせる。
「月見さん、あなた夏目さんに簡単に騙されすぎです」
「え、でも……」
月見さんは小首を傾げながら俺を見つめ、長い言葉を暗唱するかのように口にした。
「ナツさんからお話は伺っています。
灰田さんは、私がなぜこの部屋をリフォームしないのか不思議に思ってるって。
きっと近いうちに、推理の結果を確かめにくるって。
その時は、先日の菓子折りを持ってくるかもしれない。
素直に受け取るといいわ、きっと男子一人には多すぎる量だろうから――って。
……違うのでしょうか?」
くっ、夏目さんめ!
不意を突かれ慌てて弁解する。
「べ、別に俺は月見さんのことを、詮索するつもりでは」
月見さんは小さな手のひらを横に振り、口元を綻ばせる。
「あ、嫌なわけじゃなくて、むしろ楽しみにしてたんです。
だって面白そうじゃないですか、私は自分のことを喋っていない。
ナツさんも大事なことは喋っていないと聞いてます。
わずかな情報から私のことがわかったら、それってすごいですよ」
昨日より声が明るく、随分顔色もいい。
健康的なバラ色のほっぺは、手品か何かをわくわくと楽しみにしている子供のようだった。
月見さんは前のめりになって、いたずらっぽく微笑む。
「さあ、推理をどうぞ。私のこと、何かわかります?
そして、なぜこの部屋をリフォームしないのかも」
俺はどう答えようか迷った。だが、すでにシミュは出来ていた。
理由をだらだら話していては、本当に名探偵気取りになってしまう。
ここは単刀直入に、結論から述べるべきだろう。
「恐らくですけど」と前置きして、一気に告げた。
「月見さんはハーフですよね、フランス系の。ご両親は、このアパートのオーナー。
つまり、月見さんは大家さんの娘なんじゃないでしょうか」
ほぅっと息を呑む声。
直後、ありったけの笑顔と「すごいです! なんでわかったんですか?」と言う歓声。
月見さんの瞳は、キラキラとして――まるで尊敬されているかのようだ。
う。これは嬉しい。
これほど可愛い子に誉められると、なんだか快感になってしまいそうだ。
いやいやこの程度で、浮かれちゃいかん。
俺は気を引き締めるかのように姿勢を正した。
「いえ簡単なことです。
大学の友人に鈴木というのがいましてね、そいつは内見もせず、アパート名だけで引越し先を決めてしまったんです。どうしてだと思いますか?」
月見さんは首をひねり、数秒悩んだ後に答えた。
「素敵なアパート名だったんでしょうね。
めぞん一刻とか、トキワ荘とか?」
月見さん、マンガ好きなんだ……。
「ええまあ、そう思いますよね。
でもその物件名は、あくまで鈴木にとってのみ、クリーンヒットだったんです。
そのアパート名は『ウッドベル』です。
大家さんも鈴木という名字だったんですね」
「あ、なるほど! そういうのってありますよね。というか、ここもそうですね」
月見さんが髪をそっと撫でつけながら、照れ笑いを浮かべた。
そう、このアパート名『プレーン・リュンヌ』は、フランス語で「満月」という意味だ。
「満」は、賃貸物件だけに、満室、満足などの意味。
「月」は、月見という名字から取ったのだろう。
単にお洒落でフランス語を採用したことも考えられるが、月見さんの容姿を見れば、両親がフランス系ということも想像がつく。
「すごいです。私、ハーフって一度も言ってないのに、そんなこともわかるなんて!」
いや、それは見りゃわかるよ! 日本人離れした可愛さだし、天使レベルだし。
そう思いつつも「まあ、髪と瞳の色とか特徴的ですしね」と言うに留めておいた。
ただ、推理はそれだけではない。
つーか、これだけでは単なるこじつけだ。
大事なのは「月見さんが大家の娘である」と仮定した場合に、色々なことに説明がつくということなのだ。
「昨日、月見さんが、うちに来たとき『入居してくれて嬉しい。ずっといてくださいね』と言いましたよね。
あれ、俺はちょっと不思議だったんです」
そう、ずっと不思議だった。
一度会っただけの近所の人にそこまで言うだろうか、と。
いくら月見さんが天真爛漫な性格でも、普通だったら少しは男性に警戒するんじゃないかと。
そりゃ、一目惚れされたのだったら一番いいけど、そんな巧い話は無さそうだし。
「………」
月見さんはニコニコとこちらを見ている。
無言で促し、俺の解説を待っているのだろう。
俺は長いセリフを一気に口にする。
なんかこういうのって、探偵気取りで恥ずかしいけど。