1-11 将来性のなさそうな男
この人、本当にテキトーだ。俺は呆れ顔をなんとか消しつつ、訊ねた。
「じゃあ質問です。
このアパートは、全ての部屋で同じ家賃なんですか?」
「ええ。賃貸物件は、全て同額の家賃よ。一階と二階も同じ料金。
……で、これでなんかわかったの?」
「いえ、全く」
余計にわからなくなった。
リフォーム後の部屋と家賃が同じなら、古いままの部屋に住むのはバカらしいじゃないか。
納得できない、理解できない。
……ひょっとして、俺は今、何か大きな勘違いをしているんだろうか。
俺の思考をブツ切りにするかのように、ナツさんが問いかけてくる。
「あのさ、灰田くん。
私からも質問いい? さっきの菓子折りのことだけど」
「まだ菓子折りの話かよ!」
俺のツッコミを無視して、夏目さんは髪の毛をいじりながら呟く。
「月見ちゃんとは結構長い付き合いなんだけど、あの子が一人で菓子折り持っていくなんて珍しいの。
どうしてこんな将来性のなさそうな男に、親切にするんだろ」
あのー、その将来性のなさそうな男って俺でしょうか……。
「なんか心当たりある?」
ある。確かにある。
あのとき、俺は好意に満ちた言葉を受け取った。
つまり月見さんは、俺に一目惚れ――なんて話をここで披露するのはやめておこう。
夏目さんに笑われる、もしくはキモがられる未来がシミュなしでも見えるからだ。
俺は、粛々と大人の返事をした。
「近所への挨拶でタオルをあげたんです。掃除も手伝いましたし。
そのとき、必ず恩返しするとか言ってたんで、そういうことだと思います。
義理堅いんでしょうね」
「……あ、枝毛」
夏目さんは、髪の毛先チェックに夢中になっている。
聞こうよ、人の話。
「タオルに菓子折りかー。
今時の一人暮らしのアパートでは、少し珍しい光景だね」
ああ、聞いてたんだ。
「俺はちょっと嫌だったんですけど、母親が近所への挨拶は絶対にしろって言ってたんで」
「確かにいいことかもね。少なくとも月見ちゃんは喜んだわけだし。ふぅ~ん」
夏目さんの枝毛チェックは終わったらしい。
と思いきや、今度は俺の方をじーっと見始めた。俺チェックかよ!
「な、なんですか」
夏目さんは、俺を試すような少し厳しい視線を送ってくる。
頭のてっぺんの髪のハネから、足の先の靴下の汚れまで見逃さない。
そんな面接官のような視線が全身に突き刺さる。
そうして隅々まで見終わったかと思うと、すっと表情を無くし俺に問う。
「大事な質問よ。
キミは、ビンボーな月見ちゃんを、さらにビンボーにしようとしない?」
意味がわからん。そんなの当たり前じゃないか。
主食がかけ蕎麦の少女から、何の金品を巻き上げようというんだ。
むしろ、ワカメとかカマボコとか、あげたいぐらいだ。
「そりゃもちろん。
菓子折りのことも、無理させて悪かったなーって思ってますし」
その返事に満足したようだ。
夏目さんは口角を上げてニコリと微笑む。あ、部屋を案内してくれた時っぽい。
「よし、気が変わったわ。さっきの秘密、解き明かしてもいいわよ」
「へ? 205号室がどうしてリフォームしないのかってことですか?」
「うん。特別にヒントをあげる」
夏目さんは立ち上がり、淡い水色のカーテンを一気にさぁーっと開けた。
さらにベランダのサッシをカラカラと開け、夜空を指さす。
「あれ、あれがヒント」
急いで夏目さんに近寄り、指で示された方向を見る。
――そこには満月があった。
真っ暗な夜空にぽっかりと浮かぶ満月は、どんな高価な宝石にも勝る高貴な光を放っている。
何歳になっても自然の美しさには、はっとさせられてしまうだが、えーと、そうじゃなくて。
「……月。いや、月見さんが関わっていることはわかってるんですけど。
ぶっちゃけ、ヒントになってません」
「えー」と、ふて腐れながらベランダのサッシを閉める夏目さん。
「でも、あたしのヒントはここまでだよ。
あとは、月見ちゃんに直接答え合わせしてみて」
「答え合わせ?」
夏目さんは人差し指を立て、クイズの出題者のように語る。
「なぜ、205号室はリフォームしなかったのか、という疑問の答え。
推理得意なら、ぱぱっと解いてみてよ。
じゃ、今日はこの辺でいいかな? あたし、お風呂入りたいし」
「あ、はい」
推理はともかくとして、確かに長居しすぎた。
夏目さんの入浴には興味があるが、無理に覗きたいとはまでは思わない、うん。
俺は紅茶のお礼を言いつつ、靴をはく。
立ち去ろうとする俺に、夏目さんが背後から声をかけてきた。
「ねえ、もひとつヒントあげよっか?」
「はぁ」
貰えるものは、貰っておきたい。
振り帰ると、夏目さんは軽く腕組みしつつ、ちょっとだけ偉そうにこう言った。
「帰宅時には、ちゃんとドアポストの郵便物を確認してね。
チラシも刺しっぱなしとか、アパートの防犯とか環境的にみっともないし」
……えーと。それのどこがヒントだ!
◇
階段を降り、105号室に帰宅。
帰ってきても、ドアポストには特に郵便物はなかった。
家を空けて一時間ぐらいだろうか。テーブルの上の食べかけの夕飯は、完全に冷めてしまっている。
冷めた焼きうどんをレンジに放り込み加熱する。
ウィーンという音を聞きながら部屋をぐるぐると歩きまわり、俺は今日のことを振り返ってみた。
推理……なんてものは出来ない。
ただ、違和感のあることを思い返し、納得いく結論を導きだすよう考えてみるだけだ。
頭の中で仮定をつくって、アレコレと思案するのは好きだ。
これは俺がシミュを重ねることと、少し似ている作業かもしれない。
レンジがチン! と鳴っても、考えはまとまらなかった。
ま、そんなに簡単にわかるわけがないか。
焼きうどんを取りに行こうと台所に向かう途中、ドアポストにふっと目が行った。
夏目さんの言葉を思い出す――ちゃんとドアポストの郵便物を確認してね。
ドアポストには何もなかった。
でも、もし何か郵便物があったら、俺は何を目にするだろう。
瞳を閉じて手を顎にやり、複数の郵便物を取り出すイメージを再生する。
ハガキ、封筒……そこに共通しているもの。
はっとして、瞳が大きく見開かれた。
そうだ! 目にするのは、宛先だ。
『プレーヌ・リュンヌ 105号室』
あれ? このアパートの建物名は、どういう意味だ。
プレーヌ・リュンヌってなんだよ、言いにくいよ!
携帯を片手に、急いで検索する。
焼きうどんは、電子レンジの中でもう一度冷めていっていた。