1-10 口は災いの元
心のつかえがとれた俺は気も緩み、少し饒舌になってしまう。
フレンドリーな欧米人のように朗らかに、頭を掻きながら俺はペラペラとよく喋った。
「ああ、すっきりしました。いやあ俺の部屋、どんだけ凄惨な殺人現場だったんだって、すごい想像しちゃいましたよ。
血はどのぐらい飛び散っていたんだろうか、凶器は何だったんだろう、とか。
死因もすごく気になったし、どのぐらい経って発見させたんだろう、とか。
死体の損傷の激しさを考えたし、死体に湧いた虫の数まで想像しちゃったりして!
ははは!」
そう。俺は発達したシミュ力により、色々なことを想像してしまっていたのだ。
今となっては、笑い話だが――
「灰田……く、ん?」
夏目さんの表情が、明らかに強張っている。
あ、虫の数は言い過ぎだった、かな?
しかし、時すでに遅し。喋りすぎた。
「あ、あの……灰田くんってちょっと、ヤバい人、なのかなあ?」
うわ、営業スマイルモードになっている!
ひきつりながらも口角を上げて、必死で笑顔を作っている。
自分の部屋に入れたことを明らかに後悔している。
ていうか、じりじりと後ずさって、今にも逃げ出しそうだし。いやあああ!
「ま、待ってくださいよ。俺はヤバくないです。引かないでください!」
「うんうん、わかってるわかってる。でもさ――」
夏目さんの全身から、警戒警戒警戒のアラームが発せられているようだった。
俺の顔色を横目で伺いながら、夏目さんが少しずつ口を開く。
「内装が違うだけで、死体に湧いた虫の数まで想像してるなんて、妄想力……すごいよね」
「た、確かにそういうふうに略されると、頭おかしい人ですけど!」
「ネットでグロい写真とか集めてたりするの?
それで、現実と虚構の区別がついてない人、とかだとすごく困るんだけど」
「いやいやいやいや、集めてないし! 区別はついてるし!」
俺はなぜか両手をあげた。
逮捕前の無抵抗の犯人のように、全身で安全な人間ですよアピールをする。
ううう、俺のマヌケ。
怪訝な表情をしながらも、夏目さんはわずかに警戒を解いてくれた。
「じゃあ、なんでいきなり死体まで想像できちゃうわけ? 普通考えないと思うけど」
そ、それは俺のシミュ力のせいだ。
あらゆる仮定を想定して、詳細まで想像してしまうのは癖なのだ。
しかし、このシミュ力をどう説明していいものか――。
そうやって想いを巡らせているとき、夏目さんがふっと言葉を漏らした。
「……あ、ひょっとして、映画とか小説が好きとか?
連続殺人犯を名探偵が追うみたいな」
これだ!
思わず飛びついた。
グロ画像好きと思われるよりよっぽどいいし、実際にミステリー小説の類は大好きだ。
「そうなんです、そうなんです! ミステリーとか名探偵とか大好きなんですよ。
それでつい、余計な推理をしちゃうっていうか」
その言葉で、夏目さんは一気に警戒を解いてくれた。
「あ~、それならわかるよー。あたしも、ホラー映画とか好きだしね。
映画なら死体でもグロでもヘーキ。そっかあ」
夏目さんは屈託のない笑顔を浮かべる。やったー!
この瞬間、俺は要注意人物のマークを外されたのを実感した。
いやあ、口は災いの元とはよく言ったものだ。今後の人生の教訓としよう。
「つまり、灰田くんは、推理が得意ってことだね。オッケー、わかったよ」
「………」
いや、それは……ちょっと違うよ。
この瞬間、別の新たな誤解を生んでしまった気がする。
だが、ここで余計な発言をして話を蒸し返すのも憚られた。ま、いいか。
納得したらしい夏目さんは、マグカップの中で、ティーバッグをゆらゆらと動かしている。
「あー、お茶菓子欲しかったなー」
まだ菓子折りが諦めきれないのか。
まあ、とにかく『205号室だけリフォームがされてない』という事実が分かってよかった。
しかし、だ。ここで新たな疑問が起こる。
――ではなぜ、205号室の部屋だけは、リフォームがされていないのか。
乗りかかった船、というやつだろうか。やはり気になってしまう。
出来るだけ雑談を装いつつ、直球で夏目さんに問いかけてみる。
「あー、不思議に思うのも当然だね。
でも、それは月見ちゃんに関わる問題だからさ。勝手に話しちゃダメでしょ。
女の子同士の秘密ってヤツね」
「へえ。そうなんですか」
俺は驚いた。夏目さんが口が堅いなんて、意外すぎる!
例えば、リフォームにより、家賃が上がるのだとしたら、そのリフォームを望まずそのまま住みたいと思う住民もいるだろう。
どんなに古くても畳に愛着のある人もいるかもしれない。
月見さんは、そういう選択をしたのかと想像していた。
だが、夏目さんは「秘密」だという。
月見さんの主食はかけ蕎麦で、ビンボー暮らしだと勝手に俺に教えてくれた
『口軽女』な夏目さん。
そんな夏目さんなら「リフォームすると家賃が上がるから、月見ちゃんはリフォームを拒否したの」などとペラペラ話してくれないだろうか。
話してくれないということは、つまり、そういった簡単な理由ではないのだ。
夏目さんは砂糖を紅茶にいれ、スプーンでかきまぜる。
「この部屋に月見ちゃんが来ると、『わー、リフォームすると、本当に綺麗になりますねー』ってはしゃぐの。
だからあたしも、205号室のリフォームを勧めてはみたのよ。
住んでるままでもリフォーム工事はできるし、工事中の匂いとか音とか気になるんだったら、あたしの部屋に泊まってくれてもいいし。
でも、本人がそのままでいいっていうからさ」
ちょっと不可解な行動だ。
綺麗になるとわかっているなら、リフォームして貰ったほうがいいんじゃないだろうか。
月見さんの部屋は荷物も少なく整理されていた。
あんなに荷物の少ない部屋なら、すぐにでもリフォームできそうなのに。
やはりどうしても気になる。
俺は紅茶を飲んでいる夏目さんにそっと話しかけた。
「……あの~、一つ質問いいですか?」
「え。そう言われると拒否りたくなるなあ」
「答えてくれたら、今度俺がお茶菓子を渡しますよ。事故物件と疑ったお詫びに」
「質問疑問、どんと来い。あることないこと、喋ってあげるわ!」
この人、本当にテキトーだ。
俺は呆れ顔をなんとか消しつつ、訊ねた。




