新学年スタート
透が学校に着いたのは、午前八時二十分ぐらいだった。
廊下に貼り出されたクラス表の自分の名前を確認してから、これから一年間生活する教室に入る。
「二年――F組か」
この竜胆高校は、このあたりではもっとも生徒数が多いマンモス校だ。学校の設備もそれなりの物が揃っている有名な高校である。
そのため入試倍率も低くなく、家が近いという理由で受験を決めた透は、少々苦労した。
「…………」
無言で教室を見回してみる。
まだホームルームまで時間があるが、もうかなりの人数が揃っていた。
一緒のクラスになれたことを喜び合う者、一人で席に座りつまらなそうな表情を浮かべる者、色々いたが透の知り合いはいない。
そして、黒板に書かれた座席表を確認するために首を動かすと――
「――因幡透」
後方から不意に、静かで感情のない声が聞こえた。
「ん?」
聞き覚えのない声だ。誰なのか気になり、振り向く。
そこには、見知らぬ少女が一人立っていた。
肩に少しかかる髪と美しい顔立ちが特徴的な少女だ。とても不思議な雰囲気を纏っている。ただ、その瞳には何か強い思いが込められているように見える。
「え……」
辺りをキョロキョロと見回すが誰もいない。
「俺?」
「そうよ」
まっすぐと透を見つめたまま小さくうなずく。
「ど、どうして俺のことを知ってるんだ?」
「あなたのことが嫌いだから」
少女はたんたんと答える。
「……はい?」
それに対して、透はただ首をかしげるだけ。
「あなたに司令は渡さない」
少女はそれだけ告げて、窓際の席に歩いて行った。そのままイスに座ると、机から分厚い本を取り出し、読み始めた。
「な、なんだ今の……?」
透は眉をひそめた。
透はあんな少女に嫌われることをした覚えはない。それに、司令というのは誰のことだろう。
「おりゃっ!」
「げふっ」
唐突に透の頭に平手打ちが叩き込まれた。
「ってえな。何すんだよ濱本!」
犯人はすぐに分かった。というか透の知る限り、こんなことをする人間は一人しかいない。
「よう、元気そうだなムッツリ因幡」
透の友人・濱本武は、ニヤリと笑いながら腕を組み軽く身を反らしながら立っていた。
「……誰がムッツリだって?」
「お前だよ、お前。色気づきやがって。いつの間に鷺ノ宮と仲良くなりやがったんだ、この野郎!?」
言って、濱本は透の首に腕を回し、ニヤニヤしながら訊ねる。
「鷺ノ宮……? 誰だそれ」
「おいおい、とぼけんじゃねえよ。ついさっきまで楽しくお話してたじゃねえか」
言いながら、濱本があごをしゃくって窓際を指す。
そこには、先程の少女が座っていた。
少女は分厚い本を読んでいるためか、透たちの視線に気付いていない。
「うちの女子の中でも最高クラスの美少女だぞ。いったいどうやってお近づきになったんだよ」
「はあ? なんの話だよ」
「いや、お前マジで知らないのかよ?」
「……知らないな」
透のセリフに濱本はこれでもか、というくらい両手を上げて驚いた顔を作った。いちいちオーバーな奴である。
「鷺ノ宮だよ、鷺ノ宮伊波。うちの高校が誇る超天才。聞いたことはないのか?」
「初めて聞くけど……すごいのか?」
「すごいなんてもんじゃねえよ。成績は学年トップどころか全国模試でもトップなんていうイカれた数字だ。今年一年間、クラストップは取れないと思え」
「はあ? なんでそんな奴がうちの高校にいるんだよ」
「さあな。それは俺も知らねえ」
肩をすくめながら、濱本は続ける。
「しかもそれだけじゃなく、運動神経も抜群、それに美人ときてやがる」
「そんなにすごい奴なのか……」
透は自分が話しかけられた理由がますます分からなくなった。
「まったく、お前の無知さに俺はびっくりだよ」
「うるせえ」
と、透が言ったところで、一年生の頃から聞き慣れたら予鈴が鳴った。
「やば」
そういえば、まだ自分の席を確認していない。
透は黒板に書かれた席順に従い、窓際から数えて二番目の席に着く。
そこで気付いた。
「……あ」
なんの因果か、透の席は伊波の隣だった。
伊波は予鈴が終わる前に読んでいた本を閉じ、机にしまい込んだ。
そして、ピシッと姿勢を正して前を向く。
「…………」
なんとなく気まずくなり、透は視線を黒板に向けた。
それと同時に教室の扉がガラガラと開かれる。そして中から縁の細いメガネをかけた女性が現れ、教卓に着いた。
あたりから、ざわめきのような物が起こる。
「村井先生だ……」
「あの二十九才と六ヶ月の……」
「あの生き遅れた……」
――色々と失礼なことを言ってるが、一応は好意的な物だろう。
「おはようございます~。これから一年間、あなたたちの担任を務める、村井飛鳥です。よろしくお願いします」
ゆるい声でそう言って、頭を下げた。
かわいらしい童顔に小柄な身体。それにのほほんとした性格で、生徒から絶大な人気を誇っている教師だ。
生徒たちがさわがしい中――
「…………?」
何故か、左隣の伊波がクマも睨み殺せそうな視線を透に送っていた。
伊波の視線はグサグサと透に刺さってる。
「……なんなんだよ」
誰にも聞こえないくらいの声でぼやき、透の頬を一筋の汗が流れた。




