Ep1.
あれから、もう何年経っただろう。
あれから、私は何度両親に謝っただろう。
私は、清川鈴奈はもう、この世にいない。
今となっては、もう生きていたときのことですら思い出せない。
親の顔も、友達の名前も、大好きだった猫の名前すら。
今、目の前にあるのは何もない、ただ真っ白な空間。
頭は正常に考えることを放棄して、ぼんやりとした視界。
まぁそんな時間も、もう少しで終わるのだが。
「…」
「…」
ほら、な。視界の左端に、ひょっこりと覗く面妖な顔。
白粉を塗りたくり、その上に赤や青や黄色と、奇抜な色を目尻や頬に乗せ、さらにはプラスチックでできた照り輝く赤鼻。
さっきからずっと存在を主張しているソレに、こみ上げる苛立ちを抑えながら、その赤を指先で軽くはじいてやる。
「ぴゃいっ」
「あんたダレ?」
そこまで痛くしたつもりはなかったのだが、相手は鼻をおさえてぴょこぴょこと飛び回る。なんとも非現実的だ。
私が返答のない赤鼻に、もう一度先と同じ質問を投げかければ赤鼻は涙ぐみながら、
「ピエロです」
「は?」
「案内役です」
「は?」
「ピエロ」と名乗る赤鼻は、私の二度も繰り返された「は?」攻撃に顔を両手で覆ってしまう。確かに外見はピエロそのものなのだが、サーカスでのイメージであるおどけた調子者……といった雰囲気がまるで皆無だったのだ。それに、案内役は何だというんだ。もうわけ分からん。
「だから、僕は…」
「は?」
「うぇぇ」
駄目だ、話が進展しない。やはり「は?」だけで続けるのは無理があったか。怯えながら、再度目尻に涙を溜出すピエロに、私は肩に手をのばし、はっしと掴むと優しく(つもりで)諭してやる。
「まず聞く。ここはどこだ?」
「…えと、ここは、死と生のハザマです」
「え?シート席のカザマ?」
「え」
「え」
目を丸くして私を見つめるピエロ。何を言ったのか分からない私。
互いに黙りこくり、さらに進展しなくなった会話に救世主が現れる。正直助かった…と、思ったのは私がバカだったからだろうか。
「ピーエーロっ、何やってんのサ」
「あ、デット。ちょっとね…」
「…え、ちょ、誰!?」
全身黒ずくめの、鎌持ちのコスプレっ娘が何もないところから飛んできた。何だか効果音のような、「ピルルルルルル」という音が聞こえてくる。一言物申したい。お前はラ●ちゃんか。
そんな思いもつゆ知らず、デットと呼ばれたコスプレっ娘は、私の全身をまるで値踏みするかのように、もしくは舐めるように見ている。正直、気持ち悪いぞ今のお前の顔。
そんなことを思っていると、デットが代わりに説明をしてくれた。
「えーっとねぇ、さっきピエロが言ってくれてただろうけど、ここは「死と生のハザマ」なのネ?んでぇ、君は死んじゃってるワケなのよネ?」
なんかコイツ、喋り方うっとうしいな…。
顔はいいんだが、なんかこう…ブサイクとか並でこの口調だったら思いっきり殴ってやっているところだ。
「いいから早いとこ説明してくれイライラするから」と脅しを兼ねて睨んでみると、デットは「あう、ゴメんナさーイ」と片言で返した。ヤバいコイツ超うぜぇ…
「ここは〈カミサマ〉の作った玩具箱」
突然に蹂躙した、耳の鼓膜を裂かんばかりの悲鳴が大音量で脳内を刺激する。
「僕らは天国と地獄の門番」
つんざくような悲鳴が埋めていた筈なのに、デットとピエロの声はまるで拡声器でも使っているかのようにクリアで。
「門番である私たち二人は、〈カミサマ〉の支配下に置かれている」
互いに指を向ける動きに合わせて、ブリキの玩具が壊れたような、そんな木と木がこすれあう音が、二人の体中から漏れる。
「だから私たちは逆らえない」
「だから僕らはここで、〈カミサマ〉の選んだ生者を待ちつづけている」
「そう、ずっと」
「ずっと」
電池が切れかけの人形のように、何度も何度も言葉を繰り返す。
「このハザマで、選ばれた君たちは互いの運命を殺し合う」
「仲間を殺すのも、同類を殺すのも君たち次第」
「たったワンゲーム、仲間と協力して勝てばいい」
「〈カミサマ〉は、何よりも生と死の取り合い奪い合いが大好きだから」
「そうすれば、このハザマから抜け出せる」
「〈カミサマ〉の暇を潰すことができる」
「記憶をリセットしたまま、生き返ることができる」
もはやデットとピエロの瞳は黒ずみ、焦点が定まっていない。
口は裂けるほど歪み、頭からはどろりとした赤が、二人の真っ白な肌に垂れる。
喉からはか細い息が漏れ、ひゅっと、声にもそれが強調されて。
顎から首へと伝った赤が、何の味気もない白の上に、落ちる。
「おっとどうやら、」
「説明が、長すぎたようね、」
「〈カミサマ〉は機嫌を悪くしているようだ」
「このくらいにしておかないと、説明役の私たちが先に死んでしまう」
「まぁ、死んでも僕らは生き返るのだけれど」
自嘲気味に微笑み、私に手を伸ばす。
血に濡れたその手を、私の頬にあてがう。もうその手はくしゃくしゃになっていて、どちらのものか判別付かなかった。だけど、触れられた手からは、暖かな体温が私を包み込んで。
「さぁ、残りはハザマの人達が教えてくれる」
「僕らの〈希望〉、君は必ず、再びここに帰ってくるだろう」
そういって、二人は血で濡らした顔をくしゃりと歪め、悲しげに笑ってみせる。
「それでは」
「よき殺シアイを」
とんっと背中を押された私は、白の空間に浮かび上がった扉の奥へと落ちていった。