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7 きめた、別れの

千崎さんのターンはこれで終わり、のはず。


兄が婚約するのだと連絡がきたので、お祝いを渡さなければと思っただけだ。

それなら、一緒にプレゼントを選んでもらうのは、あかねでもよかった。けれど彼女には恋人がいるし、恋人との時間も必要だろう。私はそれに神崎を誘うつもりはなかったし、話すつもりもなかった。

正直、プレゼントを選ぶというのは苦手だから誰かに一緒に選んでほしかった、それだけ。千崎に決めたのは気まぐれ。

――本当は後輩の仙道だって、友人だっているのに、だ。


昨日偶然出会った次の日の日曜日に、私と千崎は一緒に買い物に行くことになった。

千崎と私が再びあってから2週間目、2月に入ったばかりのこと。

お昼を食べて約束の13時に集合場所に来てみれば、千崎はもうそこに立っていた。


「お待たせ」

「おお、やっぱ、大人になったよなあ俺ら」

「何をいまさら…。大人になってなかったら困るでしょ」

「いや、高校の制服着てるお前がずっと俺の中にいたから、大人の人っていうお前はやっぱり新鮮だよ」


しみじみ言われると、照れるというのを通り越してあきれる。

上から下まで万遍なく見回すと満足したのか、千崎は私を見て笑った。

千崎こそ、大人になったと思う。黒のジーンズにニット、コートと格好はシンプルだけれどまとまっていて千崎を引き立てているように見える。


「プレゼントなあ、婚約するんだろ?一緒に住んでる?」

「ん…、両親の隣の家を買って住むって言ってたから、普段使えるようなものでもと思うわ」

「そうすると食器?」

「時計もいいかも、とは思った」


そんな会話をしながら歩き出す。店のショーウインドーに映った私たちは、高校生の時とは違っていた。

千崎が私を歩道側にして、千崎自身は車道側を歩いている。さりげなく立場を変えてしまうところはさすがの一言に尽きた。

この人は、どんな思いでそういう事をしてきたんだろうか。


「神崎は、誘わなかったのかよ?」

「……誘ったことないわ。二人で出かけるのは、飲みに行くってことはあるけど、誰かを挟んでしか行かない」

「へえ、意外だ」

「だって、私と神崎がプライベートで二人でっていうのは違うと思ったのよ」


そう、違う。

共通の友人がいればいいし、仕事の後に飲みに行くというのなら、いい。

私の家で飲む時だって仙道を呼びつけたし、私は神崎と二人というのを避けてきた。

本当は、二人で会いたかったし遊びたかった。けれど恋人という枠を避けている神崎に私がその欠片を見せることはいけないことだと思っていたのだ。

だからこそ、私は学校や公共の場という人の目が多い場所では二人になっても、二人きりで出かけたり何かをするというのは基本的に避けている。学校の食堂や喫煙所などは、一応人の目があるのでセーフ、という勝手な解釈。


「俺とは違くないんだ?」

「言い方は悪いけど。千崎と神崎は、違うもの」


違う。友人に戻れる人と、もう関われなくなってしまう人との違い。

私の中の逃げがそこにはある。神崎との思い出を作ってしまった時に、私は怖かったのだ。友人にも戻れなくなった時に自分がその時のことを思い出して立ち直れなくなることが。

矛盾した感情は私をがんじがらめに縛り付けて逃さない。身動きを自分で封じているのだ。

――だからこそ、私は高校時代から何一つ動き出せていない。


「そうだな、違うな」

「やけにあっさり認めるのね」

「ん?あのなあ、それくらい受け流せないやつとお前一緒に買い物行くかあ?」

「………」


千崎を選んだ理由をあっさりと言い当てられて黙り込む。

楽だ。こんなにも簡単に私の想いの正解を見つけてしまえるこの人が一番一緒にいて楽だ。

それが分かってもなお私に何も言わずただ会話として流してくれるという千崎をわたしは無意識に選んでいた。

お前はずるい、と一言言ってくれたらどんなに私の心は楽になるだろうか、自分を責めてくれたらどんなに。そう思っても、それはきっと千崎の口からは出ないのだろう。出しては、くれないのだ。

私がほしい答えはどんなものであれ、神崎にもらうべきで、千崎に気休めをもらっていてはしようがないのだから。


「プレゼント選びに選んでいただけて光栄ですよ」

「皮肉?休みに付き合えなんてメッセージ送り付けてきたからご期待に応えてあげたんじゃないの」

「はいはい、ありがとうございました」

「心が全くこもってないのよ」


ぽんぽんと繰り広げる言葉の応酬の合間に、デパートに入る。

家具や食器売り場を見てまわって、お皿のセットを選んだ。二人で選ぶという楽しみを邪魔せずに、そしてあっても困らないようなものを。

買い物が終わってそして、私と千崎のそれも終わりになるだろうと私は思っていた。


「ありがとう、助かった」

「いや、お役に立てて何より」

「今日は本当にありがとう。プレゼント決めるの苦手なの」

「だろうな、考えすぎて逆に優柔不断に陥りそうだし、笹原」

「何も言えない…」


そこで、じゃあねと別れるタイミングだったと思う。

現に私はそこでじゃあねと言おうとした。そして、失敗した。

そっと手を握られてそのまま千崎は歩き出し、私が一緒に歩いているのを確認して握った手を離した。


「せっかくなんだから、もうちょっとくらい付き合えよ」

「いいけど、どこいくの?」

「…バッティングセンター」

「はあ?!」


思わず自分の足元を見た。スカートに、少しだけついたヒールのショートブーツ。バッティングセンターなんてものは、はじめてだ。


「まあ、一球くらいならいいでしょ」

「いやいいけど…ヒールはいてって怒れない?」

「急だからしょうがないだろ、当てなくてもバット振るだけですっきりするもんだぜ」

「っていうか、バッティングセンターなんて近くにあるの?」

「あるよ。すげえ古いし、人も全く来ない穴場が」


妙に自信ありげにドヤ顔で言うものだから思わず噴き出した。

確かに、空振りでもフルスイングするだけでちょっとは違うかも、しれない。


連れられてきたバッティングセンターは、人通りの全くない場所にあった。

そして人は、全くいない。受付のお爺さんは私たちをちらりと見てそのままラジオと新聞に向き直ってしまった。

千崎についていきながら周りを見渡す。きょろきょろしていると笑われた。


「メットかぶって、バットもってバッターボックスに立って、向かってきたボールを打つだけ」

「アバウトすぎるでしょ」

「いいの、俺らはただ球をバットに当てるという行為を楽しむために来たんだから」

「それでいいの?」

「楽しみ方なんてそれぞれ、受け取り方も同じだろ。気分転換にはこれくらいの方がいいよ。ボールはどんどんやってくるから、あとはそれを何にも考えずに打つだけ」


ほらいくぞー、と言って私にヘルメットをかぶせてバッターボックス(仮)に押し出すと千崎は近くのベンチに座ってにやにやしながら私を見ている。

対して、私は正しい構えもわからずに記憶を頼りになんとなくバットを構える。一球目がやけに早く私の横を通り過ぎていく。


「はやい!」

「それが一番低速だけどな」

「打てない!悔しい!」

「…負けず嫌いめ」


やっているうちに夢中になって、我を忘れて球をにらむ。

スイングと球のタイミングが合って、バットに当たるその感触が心地よかった。

決してちゃんと打てているとは言えない、素人の私のそれは、けれど確かに心の中の何かを晴らしていく。

体を動かすことって大切なんだと改めて思ってしまった次第。同じところをぐるぐる回るより、いろんな道が見えてきた気分。


「つ…っかれたあ!」

「なかなかセンスあるよ、お前。結構当たってたし」

「楽しかった、ありがと」

「じゃあ、次は俺な」


あっさり笑うと千崎は私の頭にかぶせていたヘルメットを奪って自分にかぶせた。そのまま構えて、飛んでくる球を打っていく。

私とは比べ物にならないフォームで、ボールは面白いくらいに軽々と飛んでいく。

私の手にはまだバットを振る感覚が残っていた。そして、ボールを捕らえた感覚も。

あんな風にする気分転換もあったのか、と驚いた。いつもアルコールで紛らわせていたもやもやは、すっきりと落ちていた。

まるでボールと一緒になって飛んで行ってくれたようだと錯覚する。一時的でも消えてくれるのならば、同じワンコインならこちらの方がいいかもしれない。


千崎が気持ちよさそうに打っているところを見ながらポケットが振動を私に伝えていることに気付いた。

そして、私ははっとする。昨日連絡が来てから、神崎に全く連絡をし返していなかったということに。

いつもだったらなんだかんだ連絡を返していないのに丸一日も無視をしたのは初めてかもしれなかった。

スマフォの画面は神崎の着信を告げているので、出ようとボタンを押そうとして、その手は上から掴まれた。


「出るなよ、神崎の電話なんか。出るな」

「せん、ざき?」


そのまま千崎の手でスマフォは取り上げられ、長い間震えていた振動は諦めたかのように切れてしまった。切れてしまったことに愕然とする。

連絡を、しないとと思って、けれどそれは千崎が許さなかった。


「笹原、これから連絡してどうする?俺と会ってたっていう?」

「え…、」

「俺はお前のこと、傷付けたくないし支えてやりたいと思う。でも、ごめんな。俺は神崎のこと嫌いなんだ」


――だから、今ここで一緒にいるときは神崎のところに行かないでほしい。

泣きそうな声で言われた言葉に、私は自分の失敗を悟った。馬鹿だ、私は。

傷付けたくなんてなかったのに、結局私は私の都合で千崎を振り回して見えない傷をつくている。

ごめん、と絞り出した言葉は低く掠れている。静かに私の隣に腰を下ろした千崎は私にぴったり隣り合って座った。

こんな距離で私は神崎と座ったことはなかったし、千崎ともなかった。


「ごめん、かっこ悪いな」

「………馬鹿だね」

「ああ、馬鹿だな」


私のセリフは、私に向けて。千崎のセリフは、きっと自分に向けたのだろうと思う。

ごめんね、千崎。

私は無意識のうちに逃げられる場所へと逃げ込んでいた。この人はいったい今日だけでどれだけ切ない思いをしたんだろうか。


「ばあか。俺は神崎に自慢できることが増えて嬉しいよ」

「――っ、なによそれ」

「お前の初めて、全部俺だろー?デートも、キスも、それ以上も。初カレが俺っていうのも、アイツへのあてつけになるな」

「…それが何だってのよ」

「だから、いいんだよ。俺はお前から初めてっていう大事なもんいっぱいもらったから、ちょっとくらいの傷も、いいんだよ」


いいんだよ、という声が優しくて堪え切れずに涙があふれ出た。

千崎、という声は言葉にならなかった。

どうしてそんなに優しくするの、思わず縋り付きたくなる位に。

けれど、縋り付いてはいけないのだ。それでも私は、神崎が好きなのだ。


「ばかざき…!」

「お前も人のこと言えねえよ、アホ原」


うわあん、と子供の様に泣きじゃくった。

千崎は私のどこにも触れずに、ただ隣に座っていて、それがなによりも私の心を慰めてくれた。

抱きしめてほしくなんてなかった、ただ私は泣く場所がほしかったのかも、しれない。


「ごめん、ごめ、ん…っ」

「謝るなっつってんだろーが」


そういった千崎の声も少し震えていた。

バッティングセンターで二人、私は声を上げながら、千崎は声を出さずにきっと心の中で。敵わない想いとそれ以上の切なさに泣いた。



それからどれくらい経ったのか、落ち着いた私と千崎は、大人しく座りながらぼうっとしていた。

これから私たちはどうなっていくんだろうか。

この気持ち達を片付けるのにどれくらいかかるだろう。

それでも、私は、またいつか、こうして二人でバッティングセンターで遊びたいなと思う。それがたとえ、しわくちゃのおじいちゃんとおばあちゃんになった時になったとしても。


「それじゃ、帰るか」

「うん。ありがと、千崎。すっきりした」

「あれだけ泣けばそりゃあすっきりするでしょうよ」

「うん、だから決めた」


背筋を伸ばして前を向く。

――叶わないから後ろから支える恋は、もうやめる。

私はそろそろ神崎の手を離さなければならないのだから、この恋に一区切りをつけて終わらせてあげなければいけないだろう。

私が大切にしてきたこの想いたちを、どんな様でもいいから昇華させてあげなければならない。

そして、それを決意させたのは千崎のお蔭だ。

バッティングセンターを出れば、もう外は暗かった。こじんまりした駐車場で二人、立ちながら、私は千崎に向き合った。


「終わらせるわ、全部。ずっとこのままってわけにはいかないもんね」

「……は、?」

「勝手に傷付いてるのは、やめる。勝手に傷付くくらいなら致命傷を負って、終わりにする」

「お前、ほんとに考えが唐突すぎる…」

「ありがとう、千崎。アンタが私に会いに来てくれたから、決意出来た。

千崎は違うっていうかもしれないけど、傷付けてごめんなさい。私は、神崎が好きです」


真直ぐに目を見て告げる。

少しだけ目の奥が揺らいで、そして千崎は私が大好きな笑顔で笑ってくれた。


「結果はわかんねえけど、一発かまして来い」

「うん」

「……頑張れよ、郁」

「――ありがと」


千崎が拳を突き出したので、私も同じように拳を合わせる。

男女のそれじゃなくて、友情のようなこの形に私の心はほっとしていた。

次に会うときは、友達として会えるだろうか。


「結果報告は必ずしろよ」

「絡み酒されるから、覚悟してなさいね」


その言葉にぶは、っと笑った千崎がそっと私を抱きしめた。

私の手は、そっと千崎の背中に回る。――これは、最後の抱擁。私と千崎の今までのそれが、全部流れていくような感覚。


「これっきりだ」

「…うん」

「ずっと、お前の心がほしかった。お前の隣で、笑いたかったよ」

「…うん、」

「負けるなよ、郁。お前の想いがどれだけ強いか見せつけてやれ」

「ありがとう、優貴」


きっと、もうお互いの名前を呼ぶことはついぞないだろう。今日が終われば、私は千崎としか呼ばず、千崎は笹原としか呼ばなくなる。

これが私たちの最後の傷の舐め合い。

――私たちはそのまま離れて、そして同時に背を向けた。

帰りは気を付けろよ、と背中を向けながら言われた言葉に呆れる。大丈夫よ、と笑ってそして今度こそ別れた。

次に会うときは、私が結果を報告する時だ。




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