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5 持ち越さない感情の向こう


ふわ、と上昇する意識に上がらうことなく私は目を開ける。――頭は痛くない。ただ、喉の渇きに起き上った。

昨日、神埼と飲んでそのあと律儀にマンションまで送ってくれた奴を見送って、そのままプラスで飲むことなく私は寝てしまったらしい。

お風呂に入るくらいの理性は持ち合わせていたはずなのに、そんなことを考えるのも嫌になるくらい気力がなかったということだろうか。

かろうじて化粧は落として顔を洗って会ったところと着替えだけは済ませたところはほめてもいい。ぐしゃぐしゃになった髪の毛を触りながら、お風呂に入ろうと浴室へ向かった。


ふう、とバスタオルで髪の毛をふきながらふと見ればスマフォに着信が来ていて確認する。

気の置けない女友達、林原あかねからの、鬼のような着信履歴に戦慄した。


「だから、ごめんってば。サイレントモードにしてて」

「いいけど、心配したわよ!デートどころじゃなかったっての」

「ソレはソレは…」


気になって気になって仕方なかったらしい。

この後食事の約束を強引に取り付けたあかねは、たっぷり聞かせてもらうわよ!と宣言して一方的に電話を切った。

髪の毛を乾かす手をまた動かし始めて、そうして口元が緩んでいることに気付いた。たまには、息抜きも大切なのだろう。

髪の毛を乾かして、簡単にまとめる。スカートとニットにコートを羽織って、化粧をして。その行為がいやじゃなくなったのはいつからだっただろうか。

最初は化粧をするということが受け入れなかった。でも、女であるということをやめることはできなかったし、何より身支度を整えて化粧をすることで私は私を守ることができるのだと知った。

気休めでも、余所行きのわたしは臆病な私を隠してくれる。


ドアを開けて外に出る。冬の寒さが、身に染みた。

カツカツとヒールを鳴らしながら歩く道は、人が多くて。昼時だからだろうか、家族連れが多いなと思う。

待ち合わせの駅前広場に行けば、もうあかねは来ていて、マフラーを巻きなおしながらきょろきょろとしていたので、くすりと笑みがこみ上げてくる。

こうして首を長くして待っていてくれるというのは、くすぐったい。


「お待たせ。きょろきょろしてるから、わかりやすかったわ」

「なんだ、心配してたけど元気そうじゃないのよ」

「ん?うーん、そうね」


今さら、昨日の出来事を次の日まで持ち越すほど感傷的ではなくなってしまった。鈍くあれ、と願っても鈍くはなれない。でも、辛さを痛みを、一時的でもアルコールで流して消したふりをしてしまえばいいと気付いたのは20歳を過ぎた時。そうして、朝起きたらまっすぐ立てるように、なるはずだと信じて。

次の日まで持ち越さない。持ち越すのは、それは私が神崎から手を離したとき。神崎が次に愛する人を見つけた時。――私の恋が終わった時と、決めた。


「私のプライドが許さない」

「…アンタってめんどくさいわあ」

「そお?めそめそするよりいいじゃない」

「うん、でもね。友達甲斐がないわよ」


あっさりと言いきって、あかねはにんまりと口元を引き上げた。

ランチは目をつけていたビュッフェにいく、と宣言した彼女に付き従いながら私はそっと目を伏せた。


「もしもの時は、存分に泣きつかせてもらうから」

「いいわよ、いくらでも。胸でも腹でも背中でも貸してあげましょう」


うふふ、と笑った彼女。

気持ちがすっと軽くなる。私は彼女の明るさと笑顔に救われているのだ。


「ビュッフェとバイキングの違いって?」

「んー、知らない。けど、おいしいものがいっぱい食べられる魔法の言葉よ」

「子供かっての」


おいしいものというより、食べることに目がない彼女はふわふわのボブカットを揺らして私を振り向きながら言う。

おいしいものは正義!

その言葉には、首肯するしかない。私にとっての、真理だ。

生きるということは食べること。人は食べなければ、死ぬ。死んでしまえば食べられない。だから食べるということが、私にとってはどこか単純な行為ではなくもっと意味があるもののように思えて仕方ない。


人気のビュッフェだか、バイキングだかの店は女性客で混み合っていた。カップルや、男性同士という姿も見かけるのだが、キラキラした店内に、女性が好きそうなアンティークの食器たちは女性をターゲットにしているといっても過言ではない。

あかねがひゃあ、とはしゃいだ声を上げてそして目を輝かせた。


「笹原?」

「は…、ええ?!」


声がかかった方を向いた瞬間、飛び込んできた姿に驚く。なんでって、つい昨日であったばかりの千崎優貴(元カレ)が同僚らしい人たちと連れ合って店に入ってきたところだったからだ。

空席を待っている私たちと、入店してきたばかりの千崎ご一行。

ひく、と口元がひきつるのを感じた。昨日来ていたコートをそのまま着てきてしまったから、ポケットの中で握りつぶしたはずの連絡先の書かれた紙が存在を主張した気がした。


「昨日ぶりだな」

「そーね。…仕事先の方?」

「おお。休日出勤終わったから飯に来たんだ。お前らは休み?」

「うん。ここが人気だっていうから」


そこで途切れた会話に私が戸惑いを覚えると、千崎がふっと笑った。

彼と一緒に来た同僚さんたちはそれぞれ店内の様子をみて談笑しているし、あかねは料理を覗き見てはしゃいでいて、頼るものは何もいない。

ようするに、気まずいのだ。


「昨日、神崎を見かけたよ」

「そ、うだったの」

「無視してやった。でも、アイツ俺のことたぶん知ってるよな、ちょっとむっとしてたもん」

「……なんっでそれを私に言うのかしらね?」


むすっとした顔と声で言ってやれば、腹を抱えて笑い出したので靴のつま先を蹴飛ばした。

笑ってなんてやらない。それだけで無条件に嬉しくなるくらい、単純じゃない。


「それより、笹原。連絡先交換しようぜ」

「千崎のやつ、貰ってるわよ」

「お前登録してねえだろうし、むしろ握りつぶしたんじゃないかと」

「……………」


図星を刺された人間は、黙りこくる。

今の私がそれだ。昨日ポケットの中でもう連絡するものかと握りつぶしたそれをポケットの中でもう一回握りしめる。

うん、ともいいえ、とも言わない私に千崎は苦笑してスーツのポケットからスマフォを取り出した。


「ほら、連絡先。別に飯食い行くくらいいいだろ、全部抜きにしてさ」

「それでいいの?」

「いいよ、俺はお前より傷が浅いからすぐ回復するんです」


嘘ばっかり。でも、笑ってしまった。

きっと私から連絡することはないけれど。千崎の中から私への感情が消えて、私の中から神崎の思いが消えた時に、私と千崎とちゃんとした友人関係になれるんだろう。

連絡先を交換したあと、すぐに私たちはテーブルに通されたので会話話それっきりになってしまったけれど。昨日より私の心は落ち着いていた。


「で、アレが元カレ?」

「元カレ、というか、なんというか」

「ふうん?」


歯切れ悪く言った私の言葉にあかねは片眉を上げた。

とりあえず料理を、とふんだんにとってきてテーブルに並べる。それに手を付けながら、あかねは私をじっと見ていった。


「いいと思う。あの人」

「いいって、千崎が?」

「うん。神崎先生よりは」

「…本当に神崎の評価低いね。でも、私あの人のこと結構傷付けてきたんだよ」

「それが何よ?あんたが付けた傷でもいいって思うから寄ってきてんでしょ。誰かを傷付かないで好きになるのは出来すぎた恋愛漫画だけよ」


大きな口でかぶりついたピザを咀嚼しながらあかねは頷いている。

私は目を白黒させて彼女を眺めるばかりだ。


「選択肢を狭める必要はないと思うわ。傷付けることばっかり気にしてたら身動きとれなくなっちゃう」

「…そーね、そういうもんよね」


次はパスタを口に入れながら、あかねは私を見た。

真直ぐな視線は時に優しく、そして痛い。

いろんなことを考えて立ち止まったままの私にはちょうどいいかもしれない。


「ちょっとしたたわ言だと思ってもらっていいよ。郁が思う通りに行動すればいいし、私は見てるだけだから。でも、あんたが泣き続けて傷付きまくる道を選ぶんだったら嫌われても止める」


それは、神崎とのことを言っているのだろうか。このまま望みもないままただ返ってこない想いを抱き続けることか。

フォークを私の方に向けて宣言した彼女に、あっけにとられる。

――こういう人がいることに、私はいつも感謝する。

おざなりになっていた食事を再開して私は未だに私を見ているあかねにうなづいて見せた。


「ありがとう、もうあかねと付き合う」

「ダーリンがいるからダメ」


茶目っ気たっぷりにウインクしたあかねは、お皿の中身を片付けると勢いよく席を立った。

今日は全部制覇するのだ、と意気込んでいた彼女らしい。

私も次のお皿をいっぱいにしようとお皿に残ったパスタを口に放り込む。食べたいものを好きなだけ食べられるという幸福。でも少し罪悪感もあって野菜をプラスしてみたりしてしまうものなのだけど、今日は何も考えずに食べてしまおう。

そんなことを考えて私も席を立とうとして、机の上に置いたスマフォが振動を伝えた。


――次の休み、付き合って


そっけないほどの文字。断ればそれっきりになるだろう、それ。

後ろを振り向けば、唇の端を釣り上げた千崎の、顔が見える。

それに合わせるように鳴った神崎からの着信に、私は今度こそスマフォを鞄の奥底にしまい込んだ。

考えるのも、何もかも全部、お腹を満たしてからにしよう。

それくらい、赦されるはずだ。





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