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3 むかしのひと2

ふう、と息をはきだして下駄箱で靴を履きかえた。

スーツを着た体が重い。ストッキングが覆った足が、外の空気に触れて寒さに震える。


「笹原、久しぶり。綺麗になったな」

「相変わらずちゃらいわよね、千崎は」

「いつもきついけど、今日は余計きついねえ」

「いつもって、高校以来あってないじゃない」


校門で、6時。

さっさと仕事を終わらせて上がらせてもらったら、もうそこに男は立っていた。車はない。ただ校門に背を預けて煙草を口にくわえながらぼんやりしている昔付き合っていた人。

よく見とがめられなかったものだと思いながら、私は千崎優貴の傍に近寄る。

スーツ姿の男は柔らかな髪を触りながら立っていた。

昔から、甘さのある顔立ちだったけれど今の顔は甘さに鋭さが少しだけ足されているなと思った。

隣に立った私を見た男の目がふわ、と笑ったことに意外さを覚える。

ふわりと笑うようになったのだ、と思う。切なそうな顔か無邪気に笑った顔しか思い出せなくて。


煙草をポケット灰皿に入れる千崎をみて、変なところで律儀な男だったなと思いながら私は千崎の隣に並んだ。

並んだまま歩き出す。ぽつりぽつりと会話をしながら、いつの間にか千崎に導かれるようにして公園にいた。公園は、私と千崎が付き合うことになった、場所だ。


「元気だった?」

「元気よ。千崎も元気そうで何より」

「神崎も、生きてる?」

「同僚。化学教師してる。私は国語担当」

「――むかつくなあ」

「…何が?」


苦笑いした顔で、仙崎は私に向き合うように立つ。


「笹原は、どうして俺が今日会いに来たと思う?」

「渡したいものがあったからでしょう?」

「それもあるけど、なんで今日だと思う?いつだって渡せるときはあったのにって、思わない?」

「…思わなかった、けど」

「忘れてるかもしれないけど、今日は俺と笹原が付き合った日だよ」

「…女子かよ」


思わずつぶやいたそれに、自嘲気味に笑った仙崎はそれでも堪えた様子はなく、女々しいよなあと呟いた。


「忘れられるわけないじゃん。俺が好きな女の子と初めて付き合ってシた日だってのに」

「…!」


覚えていない自分と、この人の気持ちを私は無条件で踏みにじってきたのかと愕然とした。


「笹原は、知らないかったよな。俺がお前のこと好きだって」

「だって、そんなの」

「うん。言わなかったし、言うつもりもなかった。そのままずるずる俺の傍にいればいいと思ったけど、お前はやっぱり神崎のことしか見てなかったもんな」

「…っ、」

「結構ショックだったんだよ、アレ。でも一番ショックだったのは」


千崎が私の手を掴む。ぐい、とつかまれた手首が熱くて痛い。

男の人の手だ。ただ淡々と紡がれる言葉の端々に、仙崎の気持ちがあふれているようで、私は何も言えない。


「お前がどんどん壊れそうだったことだよ。笹原が傍にいるのに、アイツは気づかなくて。お前がどれだけ泣きそうなのにも弱さにも気づいてなかったのに、俺が気付いて、でも俺はもう手は出せなかった。それが一番悔しかった」

「せん、ざき」

「――俺は、今でも笹原が好きだ」


――私は、どれだけこの人を傷つけたのだろうと思った。

ぐい、と引っ張られて大きな体に私は安々と抱きしめられる。高校の時、この人はどんな気持ちで私を抱きしめて、そして私と寝ていたのだろう。

ごめんなさい、なんて言葉じゃ足りないのだ。ごめんなさい、なんて言うのもおこがましい。

でも、受け入れられなかった。

私は、それでも神崎が好きだった。この人を代わりに好きになってしまえるくらい神埼への思いが軽ければよかったのに。そうすれば、きっと、仙崎は笑ってくれる。

私は、千崎に抱きしめられるのは嫌いじゃないと思ってしまった。でも、それ以上なにも起こらない。私の心は確かにいきなりのことで驚いているけれど、でもこれはきっと恋愛のそれじゃない。


「…神崎が好き?」

「…うん、ごめん、すきなの。だめなの」

「――知ってるよ、お前ほんとに神崎が好きだって。でも、お前がこれ以上神崎のせいで泣くんだったら俺はお前を奪うよ」

「何、言ってるの」


少しだけ離れた体。それでも息がかかるほど近い距離で私をまっすぐ見つめる視線が痛い。

その眼は痛いほどまっすぐで、私はそらせない。


「力ずくで攫ってく」

「…いやだっていっても?」

「ああ、だから泣くな。泣かないようにして」

「わけわかんないよ、なんなの」

「お前が泣いてんのいやなんだ。――諦めようと思った。大学も遊んだし今だって言い寄ってくる奴はいる。でも全部お前に重ねて、それでわかったんだよ。俺は今でも笹原郁が好きなんだ」


その言葉に、私は答えてはいけない。

そして、私はこんな時でも神埼を思い浮かべているのだ。手を離さなくてはいけない人を、それでも私は思っている。


「…私、神崎が好きよ」

「知ってる。でも好きになっちゃいけないわけじゃないだろ?お前も片思いなわけだし」

「…なんでいいやつなんだろ。最悪な奴だったら嫌いになれるのに、一発殴って終わりにできるのに」

「惚れた?」

「惚れるわけねーでしょ、私は一途なのよ」


そういって、見上げれば千崎が笑った。――それは、高校時代のときと変わらなくて、私はこの笑顔が好きだったことを思い出す。恋愛感情はなかったけれど、この笑顔に救われたことが確かにあった。そして、笑顔が変わらないといいなと思っていたことを。


「私、千崎のその笑顔、好き」

「笑顔だけかよ」


ぽつりと言った言葉に千崎が笑う。ごめんね、と言う代わりにもう一度言う。


「千崎の笑顔、好き。千崎だから寝てもいいと思った。確かに恋愛感情はなかったけど、でもあんたじゃなかったら私は寝なかった」

「笹原知ってるか、それ殺し文句って言うんだ」


はあ、とため息をついて千崎が私を見据えた。

私も姿勢を正す。


「やっぱ、好きだよ。お前のこと」

「…っはあ?!」

「お前セリフミスしすぎ。諦めつかねえよ」

「いみわかんな…、っ――」


ぐい、と引き寄せられて唇が触れる。

目を見開いた私を、覗き込むように唇を離した男が見ている。嫌だ、と思わなかったことに驚く。

――でも、つぎに思ったのは神崎のことだった。

神崎、神崎、この目の前の人が神崎だったらいいのに、と思って。私はその思いに泣きそうになる。


「謝らないからな。これでチャラだ」

「ばかあほばかざき」

「ガキみたいな悪口やめろよな」


だって、どうしろって言うのだ。泣きたかった。でも泣いたら余計悪い気がして、私が泣くことは違う気がして、だからうつむいて一歩下がって千崎に一発入れる。ぽす、という軽い音しかしなかった。

くすりと笑った仙崎が私の頭をなでた。ねえ、どうして優しくするの。やめてよ。


「お前のこと、好きだよ。でもそれ以上にお前が幸せになってほしい。笹原、泣きたいときは頼ってこい」

「なんなの、なんでそんなにしてくれるの。私、何にも返せない」

「体で慰めたら余計泣くだろうからしないけど。でも、俺は好きな女には幸せになってほしいし、そうなってもらえるためなら何でもする。お前も一緒だろ?」

「………」


違うよ千崎。

私は、そんなに良いことをしていたわけじゃない。神埼にもしかしたら好きになってもらえるかもしれないなんて、あざとさがあった。

私は、生きてほしかった。私の傍で生きてほしかった、それだけで。


「今日はこれで帰るよ、またな笹原」


連絡先を私の手に握らせて、そして身を翻して去っていく千崎を見ながら唇を噛みしめる。どうしてだろう。なんでうまくいかないんだろう、簡単にいかないんだろう。

俯きそうになるのを必死で押しとどめて息を吐く。

泣くな、泣くなと思う私に追い打ちをかけるような声がした。


「郁、」

「…神崎」


会いたくなかった。なんでいるんだと振り返って思う。

走ったのか、息が上がっている神崎に私はどんな表情をしていたのか、わからなかった。






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